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私と母の生理に対する考え方の違い

私は今布ナプキンを使っています。でも、母は「汚い」呼ばわりします。 私は排泄や鼻水と同じくらいの自然現象だと思っています。これらはきれいなものではありませんが、汚いものも人間が生きていくうえで大事だと思います。それに、私は母に見せているわけでもありません。 母(昔)の時代は、生理を汚いよばわりしていたそうですが、なぜなんでしょうか?? こそこそと隠れるように生理の処理をしていた時代背景や、その他いろんなことを知りたくて書き込みしました。よろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • Luc
  • ベストアンサー率21% (11/51)
回答No.1

こんにちは。 私も布ナプキンを使っています。 ケミカルナプキンを使っていた頃は、汚いと思っていました。 私の場合は、布ナプキンを使い始めてから自然と受け入れることができました。 ご質問の件ですが、参考になるサイトがあるので 紹介しますね。 http://www.e-conception.org/info/nap_index.html エッセイ 「布ナプの自然社会学的考察」 布ナプキンの思想 というところに詳しい内容があります。

参考URL:
http://www.e-conception.org/info/nap_index.html
noname#5207
質問者

お礼

回答ありがとうございます。私も生理痛を軽減するために使い始めたんですが、その気持ちよさにびっくりしました。 >布ナプキンを使い始めてから自然と受け入れることができました。 そうですよね。私も生理について深く考えるようになりました。ケミカルのときはごわごわしていて、使い心地も悪かったと思います。それに、地球にゴミが増えることも、もっと嫌でした。Lucさんの回答だけでも十分に自分の考えのヒントをもらいました。ありがとうございました。

その他の回答 (2)

noname#118466
noname#118466
回答No.3

背景に千年以上に及ぶ神道と穢れの関係があると思います。女性の出産や生理は血を伴うものとして穢れと見なされたようです。後に段々と拡大解釈されて女性そのものが穢れと見なされて神域や特別な場所(相撲の土俵など)は女性の立ち入り禁止とされました。 昔の出産は子供の死亡や母親の死亡と紙一重の非常に危険なことだったので、そのような危険な場を踏んだ人が聖なる場所に現れる(参加する)ことを嫌ったのでしょう。しかし、一方では神に仕える巫女という制度も残っているので、穢れが政治的に利用される前の古代社会では、女性の穢れは一時的なもので清めれば済むことだったことが窺われます。 生理は出産に繋がる物として同じように穢れと見なされたのでしょう。現代のように衛生的な処理が出来なかった時代では、女性自身がハレの舞台から身を引いたことも容易に推測できます。排泄や鼻水と同じくらいの自然現象だと思うのは定住農耕民族よりも動物・家畜と常に過ごす狩猟牧畜民族の考え方ではないかと思います。 このような世代間の考え方の差はあらゆる面で見られることです。人前での抱擁、婚前旅行、出来ちゃった婚などすべてそうだと思いますけど・・・

noname#5207
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 千年ですか・・気の遠くなる話しですね。でもそのころから女性の性に対する蔑視があったんだなぁ、と思います。今みたいに医学があれば、女性にとって必要なものだと思われたんでしょうね。 ただ、私は血液の汚れや体の冷えが病気を引き起こすという東洋医学の考えに賛成なんです。それに対して一番身近な存在の母親が、私のしていることを否定することが理解できないのです。 >このような世代間の考え方・・(以下省略) 私もそう思います。人前でキスをするとか、できちゃった婚とか、昔はしなかったことに対して、いろんな考え方があるのはわかるんです。ただ、生理(あるいは布ナプキン)に対してだけは、昔から女性なら経験していることですし、子供を産むとか大事なことなのに、それを汚いと言うのかを知りたかったのです。 私の母の背景はどうなっているのか、ということかも しれません。 長くなりましたが、ありがとうございました。

  • izumokun
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回答No.2

>これらはきれいなものではありませんが、汚いものも人間が生きていくうえで大事だと思います。  素晴らしい考え方ですね。まったくその通りだと思います。女性の生理のメカニズムが明らかになる以前から、出血を忌み嫌っていました。出血は死を伴うからです。  死に対する恐怖心は、縄文時代の埋葬形式を見ても、その当時から存在していたことは明らかですが、時代が下るに連れ、特に日本では、日常の生活から死を遠ざようとしました。  平安時代、天皇が行幸する時に、沿道に人や動物の死体がないように死体を片付けていたし、中世になると、危篤状態の人は、外に連れ出されていました。  かかる思想は、「穢れ思想」と呼ばれていますが、その結果、「穢多」や「非人」と呼ばれて差別された人々をうみ出しました。女性の生理もその思想のもとに忌み嫌われてきたのです。  たとえば、女性が神殿の中に入れないとか、土俵の中に入れないとか、そのような愚かな風習も、「血=死=穢れ」という非科学的な認識からうまれて来たのです。  したがって、女性の生理を「汚い」呼ばわりする言動は、女性蔑視や被差別部落に通ずるものであり、容認されるものではありません。  piano_suki0117さんが仰るように、女性の生理は自然現象ですが、それにとどまらず、命を産み出すために不可欠なものですから、もっと尊重されるべきものだと思います。piano_suki0117さんの考えは間違っていません。自信を持ってください。

noname#5207
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 何となく、日本って変わっていった部分もあるけど、まだ男尊女卑の風土傾向がまだ存在している気がするんです。インドなんかは死体が道ばたに転がっているという話を聞いたことがあります。 生理は女性にとって血液の汚れを出す浄化作用だという考え方もあります。私はこれに同感です。 >命を産み出すための不可欠なもの 私もそうだと思います。生理がないと子供もできないのに、これを穢れているなどという心理がとうてい理解できません。日本がまだ村社会だというこよを露呈しているものです。 それにしても、平安時代から偉い人の前では汚いものは見せるな、というようなことがあったのですね。貴族だというだけで、死体とか自然の姿を隠して、自然の姿を押し殺すのは変だと思います。 今でも日本人は「見栄え」とかを大事にしますが、この風潮が私は必要ないと思っています。ただ、変わるのも時間がかかりそうですね。 長くなってすみません、ありがとうございました。

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