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深く意見を教えていただける方募集しています。

最近ちょっと考えたことがあるのですが 自分が死ぬということは非常に怖くないですか? 死ぬ寸前までは、今のあなたの自我があるでしょうが、 死んだ瞬間以降にはなんの意識も保てないのですよ? 死んだらそれっきり、なんの想像も思考もできない。 一生意識がないという状態を強いられることになる。そこから抜け出せなくなる。 死後にはなんの保証もない。 もう一度生きるという行為そのものができなくなる。 一生そのまま、未来永劫に何も出来ないまま、永久に意識がなくなる。 あなた自身の中でよく想像してみてください。 これってすごく怖いことではないでしょうか? 私は想像してたら身のよだつような鳥肌がたってしまいました。 日頃の忙しさに忙殺されていたからあまり深く考える機会というのはなかったのですが 改めて考えてみると恐ろしいです。 よければ何がしかの意見を教えていただけると幸いです。

みんなの回答

noname#144649
noname#144649
回答No.10

死が怖いのか、死に至る過程が怖いのか。 多くの場合は、後者だと思います。 特に歳をとってくると、寝る前に、このまま明日目覚めないのではないかと思ったりします。 そうすると、無性に怖くなるんですね。 さあこれでいつ死んでもいいぞなんて、今日を精一杯生きることなんてできませんから。 明日できることは明日しようと考えるのが人間ですから。 怖いというのは、希望を絶たれることなんですよね。 だから、希望をなくしてしまった人は自ら命を絶つのだと思います。

iesi14
質問者

お礼

「皆様誠に回答ありがとうございます。 一つ一つ返答させていただきます。私の意見をまじめにぶつけさせていただくこともあるかもしれません。」 回答ありがとうございます。 そうなんですか!現状、私個人は死そのものが怖いです。 でも、確かに死ぬ瀬戸際になってくると、至るまでが途方もなく怖くなってくるかもしれません。おっしゃることが納得できます。 わかります。本当にありがとうございます。

  • IDii24
  • ベストアンサー率24% (1597/6506)
回答No.9

自分が怖いのは「死」そのものではなく死ぬまでの過程です。 よく寝る前はなんでもなく、朝起きてこなかったという死に方をなさる方が居ます。ある意味幸せかもしれません。今は医学が発達しているので、なかなか死なせてくれません。でもその方が辛いし怖い気がします。

iesi14
質問者

お礼

「皆様誠に回答ありがとうございます。 一つ一つ返答させていただきます。私の意見をまじめにぶつけさせていただくこともあるかもしれません。」 回答ありがとうございます。 私個人は現状死という状態がとても怖いです。 何もできなくなる。完全に何かできる可能性が永遠に絶たれるわけですから。 確かに死ぬ前に死を意識することなく逝けたのであればそれはよいのかもしれません。 でもそれは何か死そのものを避けてしまっている気がして、根本的な解決にはなってないように思ってしまいます。 でも怖くなりたくないのであれば意識しないほうがよいに決まってますもんね。

  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1846/10420)
回答No.8

夢を見ることも無いくらい熟睡していたら(記憶的には)死んでいるのと同じです。 そのくらい寝ている時に「抜け出せない」と感じた覚えはありませんから、死を迎え脳が活動を停止しても同じだと思います。 願わくば苦しむことなく眠るように死ねたらいいのですが・・・ あ、私は当然のことながら『死』は怖いです。

iesi14
質問者

お礼

「皆様誠に回答ありがとうございます。 一つ一つ返答させていただきます。私の意見をまじめにぶつけさせていただくこともあるかもしれません。」 回答ありがとうございます。 前半の部分に関しては確かにそうだと思います。 ですが私はその状態が永遠に続いてしまうことが何か途方もなく怖く感じてしまうのです。 なにもクリエイティブな活動ができない・・・ 死は怖いですよね。ありがとうございます。

回答No.7

死ぬことはものすごく怖い。 子どもの事も自分で守れなくなるし 出来る事なら 孫も夜叉子の面倒も 見てあげたいのに 何にもしてあげられないし したかった事も 大切にしていたものも 全て「意味が亡くなってしまいます」 (現物的価値は別として) ですが 死んだ途端 「喜び」も 「辛さ」も 「勿体なさ」も 「悲しさ」も 何もかもなくなるので 「死んでしまった後」は (強い恨みさえなければ) 私は安らかに永眠出来ると思います。 死んでしまう瞬間までは 相当恐怖に怯えたり 「絶対嫌だ~!!」と 泣き叫び 生きる手段を熟考して 最終的に 病気等で余命が出たのでしたら それまでには 諦め 受け入れ 身の振り方を考えると思います。 後悔しない様に 日々しっかり考え 楽しむことで 充実した日常を送る事が 快い「走馬灯」流す 手段かも…とか 思っています。 今「悩んでいる」  「不安に感じている」 と、 言う事実が 将来の後悔に成らない様に(笑)

iesi14
質問者

お礼

「皆様誠に回答ありがとうございます。 一つ一つ返答させていただきます。私の意見をまじめにぶつけさせていただくこともあるかもしれません。」 回答ありがとうございます。 心にずーんときます。 本当にありがとうございます。

  • mimazoku_2
  • ベストアンサー率20% (1905/9114)
回答No.6

私は、小5の時から、そのジレンマに襲われていましたね。 だから、今を大切にし、「死」を考えなくしました。 人間に約束されているのは、「死」のみで、それまでは自由時間です。 他人との違いは、生~死の間の時間軸の目盛り位置が違うだけ。 目盛り位置が重なれば、「出会い」であり、「離れれば」別れです。 特に時間軸は、エネルギーの変化、とりわけ速度(スピード)の変化を強く受けます。 簡単に言えば、交通事故(歩行、自転車、電車、船、飛行機を含む)などは、速度のベクトルと、時間軸のの目盛りが同じ高度で一致すると、人間は衝撃を受け、場合によっては死亡します。 だから、生きると言うことは、自分の時間軸をどの方向へ進めるかで、違ってきます。

iesi14
質問者

お礼

「皆様誠に回答ありがとうございます。 一つ一つ返答させていただきます。私の意見をまじめにぶつけさせていただくこともあるかもしれません。」 回答ありがとうございます。 小5ですか、私の場合は小学生のころは人の存在意義というものについて考えていましたが 死についてはあまり考えませんでした。むしろ死がリアリティーをもって現れたのは高校3年生くらいです。 なにか斬新な考え方ですね。死だけが約束されているですか。

  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11790)
回答No.5

昔はそう考えたことがありました。 自分という存在を客観的に側から見ているというか、そんな感覚がありました。 その時、側の自分がもう一方の自分に対して“死んだらどうなるんだ”という恐怖を感じたことがあります。 ですが、いくら騒いでもあがいても悲しんでも、人間は性別や貴賎を問わずいつかは死ぬという現実がありますから、今では何とも思いません。 有が無になる、動が静になる、柔が固になる・・・結局元に戻るんですね。 そういうものだと思っています。

iesi14
質問者

お礼

「皆様誠に回答ありがとうございます。 一つ一つ返答させていただきます。私の意見をまじめにぶつけさせていただくこともあるかもしれません。」 回答ありがとうございます。 わかります。非常にわかります。そうですよね。何か第三者的な視点に引っ張られるような印象がありますよね。 個人的には同じ感想を持っている人がいて非常にうれしいです。 確かに割り切るというのはひとつの選択肢であるとはお思います。 時がたてばそうなれるのでしょうか・・・、でも無頓着にはなりたくはないです。あくまでも自分の意思で割り切りたいです。

  • dsdna
  • ベストアンサー率24% (308/1281)
回答No.4

 >よければ何がしかの意見を教えていただけると幸いです。  何を今更言い出すのですか?あなた寝ないの?  寝ている間は意識が無いはずです。目覚める保障もありません。それにも拘らず、あなたは、毎晩意識を失っているはず(寝ているはず)です。そのまま死んでしまえば意識がなくなるので、怖いという感情も湧きません。  怖がるのは構いませんが、意識が無くなるくらいなんだ、というくらいの些細なことです。 

iesi14
質問者

お礼

「皆様誠に回答ありがとうございます。 一つ一つ返答させていただきます。私の意見をまじめにぶつけさせていただくこともあるかもしれません。」 死というものに恐怖を感じないというのはある意味で才能だと思います。 個人的には感情がトレースできません。 決して私とあなたのネット上においての一対一の話し合いだと終始せず 自分の中で深く考えてみたら、もっとリアリティーをもてるかもしれませんよ。 でもあなたのように考えられるのはうらやましいことなのかもしれません。

noname#146981
noname#146981
回答No.2

こんばんは! 『死』・・・・・確かに怖いです。 でも、残念ながら一度は必ずだれにでも訪れます。 考えたらきりがないし、答えを求めても出ないし、仕方がないと思います。 逆に、いつやってくるか分かってたら、もっと怖いと思います。 それに自暴自棄になってしまい、何をしでかすかわかりません、(自分です) だから、悔いの残らないように、なんて偉そうですが、毎日毎日(その日その日を.)悔いのないよう、精いっぱい生きていきます。

iesi14
質問者

お礼

「皆様誠に回答ありがとうございます。 一つ一つ返答させていただきます。私の意見をまじめにぶつけさせていただくこともあるかもしれません。」 回答ありがとうございます。 確かに考え続けても回答は出ない気もします。 でも個人的には何かの答えがほしかった。もしかしたら恐怖への紛らわせなのかもしれません。 ・・・悔いの残らないようにですか、1つの立派な生き方だと思います。

noname#144350
noname#144350
回答No.1

私は逆です。私の考え方は稀有だと思う。 私は【死にたくない】って生にしがみついている方が怖いです。 致命的な病を患った時 これまで生にしがみついていると仮定したら‥、益々死に対して恐怖を抱くと思うから。 長生きもしたいと思わないし 死にたいとも思いません。 死後の事等どんなものか 知らんで良いです。何にもならない‥。そこを考えたところで 死なない訳ではないから‥皆いずれいつかは死ぬんです‥私はそれを肯定して 生を感じて生き抜きたい! いつ死ぬか‥それは天のみぞ知るところ‥寿命等知らんで良い。 だからこそ毎日毎日覚悟して生きているつもりでおります。 死にたくないって言うのは 欲 ‥気持ちは理解できる。 長生きしたいって言うのも 欲 ‥理解できる。 だけど 私は死を恐れたくない‥受け入れて生きていきたいと常々思っています。

iesi14
質問者

お礼

皆様誠に回答ありがとうございます。 一つ一つ返答させていただきます。私の意見をまじめにぶつけさせていただくこともあるかもしれません。 なるほど、確かにおっしゃることも正しいと思います。 死にたくないとあがくならば、それだけ死が怖くなってくるのはあると思います。 それに、こんなことを考えても何にもならないかもしれない。それもあると思いますし。ひとつの正しい意見だとは思います。 ただ私はそれに目を背けてそのまま死ぬのもいやだとも思います。 目をそむけ続けて、知らぬ間に死んでいたとなったらなんだか報われない気がしませんか? 欲といえば欲なんでしょうね。

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