10/15にフランクフルトのECB(European Central Bank)の前で、デモ隊が"Smash the Dictatorship of Capitalism" とか "Don't Sell Out Democracy at the ECB"とか雄叫びを上げたことは確かですが、 Dictatorship of Capitalismという言葉自体は、まだ「世界各国で叫ばれている」というレベルまでにはいっていないと思いますよ。
言葉の解釈ですが、欧州では、ナチズム以降、Dictatorshipという言葉は悪いイメージがつきまとっています。これを利用して、現在の体制を糾弾しようというところがデモが取っているスタンスですが、きびしい言い方をすれば、デモ参加者の多くには自分の不遇の原因を自分以外の誰かに負わせたいという意図もうかがえます。
しかしながら、富の社会的偏在を国家権力で平等化しようとする試み(社会主義・共産主義)は、機能しないどころか国民を貧しく不幸にするだけの愚かしい方法であることは歴史的に証明されています。富の再分配はやむを得ない分だけ(餓死者や凍死者を出さない程度)にとどめないと際限がなくなります。
問題は富の分布の偏りではなく、成功するチャンスの機会均等をもたらすシステム、例えば、貧困家庭出身者への奨学金制度であり、政府機関や企業における採用条件の本人の能力だけに依存する制度(出身や性別、年齢などを条件としない)、失敗者が再挑戦を行える制度などを健全に保ち、改善し続けることだと思います。
お礼
資本が巨大化すれば『資本主義の独裁』の要素は多くなるのですね。 大財閥軍団が親分で影の支配者が真の支配者なのですね。 選挙で国民意見が100%反映されれば平等の名の下に影の支配者は衰退するかもしれないのですね。 いま平等感が足りてないことは切実に感じますね。 自民党の馬鹿の仕業でね。