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真実の行方のラストシーン(ネタばれあり)
映画のいちばん最後のシーンで疑問点があります。 実はすべてアーロンの演技だと分かったあとマーティンが拘置所から出ていくシーンで、マーティンが拘置所内にいる時のカットでは外にたくさんのマスコミが待ちかまえているのに対し、拘置所を出たあとのカットにはマスコミなど誰もいなく、ただマーティンが1人で歩き去っていくシーンで終わっています。 これはどういう意味があるのでしょうか? 実はマーティンは妄想に取りつかれていて、世間で注目を浴びていた事件だったということはマーティン自身の妄想だったというのは過大解釈でしょうか? アーロンの二重人格についての解説はいろいろ見つかったのですが、最後のシーンのカットがずれていることについての解説がみつからなかったので・・・ 分かる方よろしくお願いします。
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- noname2011430
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【ネタばれ】 私の解釈では、マーティンは裁判に勝って、本来はマスコミに取材を受けて脚光を浴びるはずでした。いつものように、正門から出れば、そうなるはずでしたが、(ここが質問者さんの書いてあるマスコミが待ち構えているシーン)、アーロン(ロイ)の真実を知ってしまい、また、これは、腕利き弁護士を自称するマーティンにとっても完璧にだまされてしまったので、そのショックは相当大きなものとなったはずです。とても正門から出て行く気分にはならず、人目を避けるように裏口から出て行ったのだと思います。 最後の留置所のシーンで、アーロン(ロイ)と話している場面でも、マーティンは、「ロイは最初からいなかったのか?」というようなことを言いますが、「いなかったのはアーロンだ」と言われ、マーティンは完全に打ちのめされた思いになったと思います。 そんな思いでは、とてもマスコミの取材など出られる気分ではなかったはずですから、逃げるように裏口から、と言うことだと思います。
お礼
なるほど、その解釈をするとマーティンのショックの大きさがよく分かりますね。 すっきりしました。回答ありがとうございました。