喪中が一年というのは間違った解釈によるものです。そんな約束事はありません。
そもそも喪中と忌中は違うものです。
忌中とは亡くなった日から数えて仏教では四十九日、神道では五十日を以って忌明けとなります。
一方「喪」は悲しんで社会生活ができない期間をいい、本来日数はありません。
しかしそれでは公務に差支えがあるので、古くから明治初期まで何度か変更を繰り返しながら規定が作られたのです。その規定で最期のほうに記録として残っているものに父母に対して13ヶ月の服喪期間が定められていたのです。
しかし、この規定は公式に廃棄されており、戦後は官公庁で忌引き規定が定められ、民間企業や団体でもそれに倣っているに過ぎません。それによれば父母は概ね7日となります。
つまり俗に言われている一年の喪の期間というのは既に因習でしかないのです。
さて、喪に服するというのは故人への哀悼の気持ちを表す期間を言います。即ちこの期間は華美音曲を慎むべきものです。
従って、一年間が喪だから年賀をしない初詣をしないのは構いませんが、各祝い事や旅行、宴会、行楽などを行なっているのであれば「喪に服している」とはいえませんよね。
それに個人的にはそんな因習に従って自分の幸せを放棄する事をお母様が悦ぶとは思いません。
公式に既に廃止された規定を慣例として守るならキチンと生活様式まで守る。日常の生活、行楽や宴会、ゴルフなどに興じるなら因習に惑わされず、忌中のみを守って忌明けを喪明けとして社会復帰するのが正しい生活の仕方ではないでしょうか?
神社本庁も各地などの習慣に合わせるとしながらも、忌中のみ守り、その後は必要があれば「清め祓いを受ければよい」としています(参考:「神道いろは」神社本庁教学研究所監修)
では具体的にどうすれば良いかを説明します。
良縁の御祈願をする前に御祓いを受けます。この御祓いは昇殿参拝を言います。
実は日頃行なっている拝殿前の参拝は単なるご挨拶であり、略式参拝です。
正式に神様に祈願する、御祓いを受ける際には拝殿に上がり、費用を支払って祝詞をあげていただく昇殿参拝だけが、真の参拝というものなのです。
忌中を過ぎて社会復帰するためにはそれまでの罪穢れを祓い清めて綺麗にならねばなりません。
その為の代償が「玉ぐし料」或いは「奉納」となります。
これは正しくは天恵にたいするお礼ではないので「初穂料」ではありません。
清めの起源は良く知られているイザナギの清めですが、「祓え」の起源は実はイザナギではありません。
これはスサノオが高天原において行なった乱暴の数々に対する賠償問題が元になっています。
なので、古来「祓え」では費用まで規定がありました。
つまり「賠償金」を支払って罪を赦して頂くことが起源で、私達が生活の中で意識的、無意識的に犯した罪を許して頂く事にあります。
これがセットになって現在の「清め祓い」となったわけです。
また、真の祈願は倭言葉による祝詞奏上が最も正式なものであるということも神社本庁をはじめ、関係者の共通した認識でもあります。
なので、清め祓いと良縁祈願をして頂こうという神社に行って事情を話し、清め祓いと良縁祈願をお願いすればよろしいでしょう。
ちなみに年の替わりは通常は元日を以って数えますが、暦的には節分を以って年替わりとします。
つまり来年が厄年であるなら、厄年は2月の節分以降となります。
なので、11月がご命日であれば、11月のご命日から来年の節分までは、誤認とはいえ、俗説的な喪の期間も明けているので、この期間であれば誰も異論は無いはずです。
でも、この期間であっても昇殿参拝によって清め祓いと御祈願をする事を勧めします。
お礼
イロイロあるんですね。やはりその家によってのかんがえかたもあるのかもしれませんね。ありがとうございました。