• 締切済み

寂しさがつきまとうのです

会社員52歳です とっても現在悩んでいます 休みの日 家でも 寂しさがつきまとうのです  子供も3人いますもちろん 家内とも うまくいってますが ここのところ寂しくなりとっていも つらいです いるべき場所にいますが 何かが 足りない いつも 何だろう 場所 人 何なのか わかりません 寂しくて 困ってます 友達に相談しても 答えがわかりません 同じ境遇の方は いませんか!! 私だけでしょうか!!! ヨロシク願います

みんなの回答

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20252/40150)
回答No.3

本当に付きまとっているのかな? 何かが足りないのは寂しい事なのかな? 足りない事があるという事は。 今の52歳の貴方が、 今尚「進行形」の人生を歩んでいるという事なんだよね? 辛い辛いと今を捉えてしまうのは。 何か貴方にとって劇的にこれだ、と思えるものが存在していて。 でもそれが見つからないんです、というような悩み方なんじゃない? ちょうど貴方は人生の踊り場のような場所に来ているんだと思う。 会社での勤めも全うしている。 奥様も居て、お子さんにも恵まれている。 今の貴方の足元から。 これからの将来はイメージとしては想像しやすいんだよね? 順調に行けば。 こういう感じで定年を迎えて。 こういう形での老後を送っていくのかな?と。 そういう風に思えるのは。 貴方が今まで丁寧に生きてきたからなんだよ。 ある意味貴方は家族の為に、今ある足元を崩さないように。 自分が大切な人の足元になる為に。 今まで丁寧に積み重ねてきたんだと思う。 そのプロセスの中では。 今の貴方の何だか寂しい~という感覚は少し脇に置かれていた筈。 そういう気持ちにぼんやりと向き合うゆとりは無くて。 今を丁寧に積み重ねていく事が貴方の大きな「軸」だったから。 悩みにはまり込まなくても良かったんだよね? でも。 今ある程度生きてきて、進んできて、積み重ねてきて。 ある程度の人生の形が見えた。 一呼吸置けるようになった。 貴方は少し脇に置かれていた「自分自身」の感覚に対して。 ようやく「時間差」で向き合おうとしているんだと思う。 それって本当に寂しい事? 自分と向き合う事自体が新しい目標であり、開拓なんじゃない? これからは自分の時間も増やしていけば良い。 直ぐに答えのようなものを急がないで。 自分を慌てて満たそう満たそうとしないで。 何かが足りないという、「何か」に重きを置かないで。 貴方全体の感度を上げていけば良いじゃない? 今の貴方は満たされている。 自分で満たしてきた部分もあるし、周りに満たされている部分もある。 だからこそ、貴方は自分の寂しい気持ちにも 向き合えているんだよ? 当たり前の悩みではない。 これからは。 今まで積み重ねてきた人生も「変わらず」に大切にしていく。 同時に、 今から積み重ねていける、今から開拓していける、 今から向き合っていける自分自身も大切にして。 貴方という一人の人間の「生」を広げていけば良いじゃない? それは残りの貴方の人生をかけた、 丁寧に向き合う課題であり、営みなんだと思う。 慌てる必要は全く無い。 自分をもっと大切に。 心に「ゆとり」を☆

tomiko3411
質問者

お礼

ご丁寧な回答 ありがとうございました 慌てる必要は全く無い。 自分をもっと大切に。 心に「ゆとり」を☆ まさに自分自身を考える時期に来てると感じてます 1日主義で考える  今 を生きている  あせって 人生急ぐ事はないのかもしれません ありがとうございました

  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.2

こう書くと驚かれるかもしれませんが、神 でしょうね。 あなたの心の空洞を埋めるものは。 別の言い方をすれば、もっとも純粋な愛。 人は神の代わりに様々なものを求めて人生を旅するそうです。 そして、あなたはいろいろ手に入れてきたけれど、代わりの物ではその心の隙間はうまらなかった、 そう学習した所なのではないかとお察しします。 それはまるで、自分の家だけを避けて、あちこち旅をしてきたけれど、 旅の果てに、どこかに帰るはずだったことを忘れている人のようです。 あなたの魂の核に近づき、あなたが本当に求めていた物がなんであったのかを知る事によって、 その空洞はうまり、やがてもう一人でいても決して寂しくはなくなるでしょう。

tomiko3411
質問者

お礼

心の空洞を埋めるものは 神  ありがとうございます そうかもしれませんね もうかれこれ 48年程度 この状態が続いてます つまり物心ついた時からです この年代仕事もきつく 将来のこととか 不安ですよね リストラもはじまったし! 子供には手はかからなくなったが これから大学にだしたりします それもあるのか ふとした時に まとわりつくように 寂しさが こみ上げてきます これも 生きている証拠ですよね  もう少し がんばろうと 思います  ありがとうございました

  • aymhfgy
  • ベストアンサー率43% (1472/3372)
回答No.1

質問者さまより少し、年上ですが同世代と言っても良いと思える年齢の女性です。 50歳を少し、過ぎた頃というのは人生の転機のような時で、もう一度、新しく生き直したいとか、質問者さまのように何とも言えない寂寥感に包まれるような時期ではないかと思います。 孤独感も寂寥感も人間にはずうっとあるのですが、それが如実に感じられるというか、改めて意識させられる年齢でもあると思います。 でも私はこの時期を誤魔化すことなく、それらと向きあって自分なりに受け止めていった人の方が確かな老年が迎えられるように思えます。 心が満たされず、不満と言う程でなくても何か寂しいという時は本当は実生活に何の問題も無く、平穏無事だからこそ、やってくる不安感のようなものだと思います。 何かに心を捉えられていたり、心配事があったりすると、漠然とした悲しさのようなものに心が引きこまれる時間はなくなるのではないかと思います。そういう意味では質問者さまは今は穏やかな時間の中で過ごされておられるのだろうと思います。 趣味でも何でも新しいことを始めてそのことに夢中になったりはまったりするのもひとつの方法ですがひょっとしたら無意識の所で老年を迎えることが辛いと思っておられてそこから心の痛みが生まれているかもしれません。それならそれで避けることなく、若さが残されてるうちに、残された時間を精一杯、喜んで感謝して受け止めよう、大切に一日を使い切ろうとする姿勢を持たれることも必要かと存じます。 60歳を迎えられた時、事故で息子さんを亡くされた知り合いの方がおられます。 その方が年賀状に書かれた一言が忘れられません。 (これからは一日主義で生きて行きます)と書かれていました。 今日を精一杯、生きてみるだけで良いと割り切ると質問者さまの心に忍び寄って来た寂しさは半減するのではないかと思うのですが如何でしょうか。

tomiko3411
質問者

お礼

思い切って 初めて WEVに自分の悩みを うちあけ こんなにご丁寧に回答をいただき 感謝してます 趣味で ギターをもう35年ほどやっています 若い頃は 夢がたくさんありました 昭和の時代の思い出や 人の優しさを ほんのちょっと ほしがっているのかもしれません。 今の時代 親が子伝え 子が孫に伝える 環境が乏しいのも あるのかもとも感じられます 何かに夢中になる事は 大切です 喜びを伝えるのもヘタです。 1日主義で考える事もいいと感じます 贅沢な悩みかも知れませんが どこかに 答えがあると もう かれこれ 45年程度 考えています つまり幼児期からの 探している次第です  今回は ありがとうございました  感謝してます。 

関連するQ&A