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首相の身辺洗ってたたき潰せ
- 菅や民主党による外国人献金や行動は国民の反感を受けている。
- 企業が電気料金が高く、制限がある日本から海外に移転したら大量失業になる。
- 捜査機関は厳密な捜査と取調べをして、菅を問責すべきである。
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私が勝手に名付けたんですけどもね、今の内閣は「管(くだ)らない内閣」と呼んでも良いと思います。なんせ市民運動ば~っかりやってきて政治のセの字も知らない人間が総理になり、今回の震災復興対策でアタフタしている。民主党自身も政治を知らないものだから、もう滅茶苦茶です。私はこの際、出来もしない事を言い続け、国民を愚弄してきた民主党幹部連中を一掃すべきであると考えます。管は勿論ですがそれを取り巻く鳩山、小沢、山岡、石井、原口、安住、前原、岡田、樽床・・・・。悪い奴らばかりです。こんな内閣でも支持率13%。100人に13人は支持しているという何とも摩訶不思議な数字。民主党がマスコミに圧力をかけた?実は支持率は5%にも満たないんじゃないのが真実なんじゃないのか?とさえ思ってしまいます。だって「近々辞めると分かっている総理」を誰が支持します? この際、過激かもですが刑法第77条「内乱罪」を適用して、管、鳩山、小沢は首謀者として死刑。他の幹部連中は無期懲役。それで挙げても良いと思いますよ。ただ、今は震災復興の真っ最中。少し落ち着いたら、検察庁は動くべき!
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- xx x(@hateha2_goo)
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>>首相の身辺洗ってたたき潰せ 身辺の調査の対象とされなければならないのは人類、すべてのひとびとではないでしょうか ? “ 所得格差の是正から貨幣の廃止へ 世界中のあらゆる政府が、所得格差を減少させるための計画を立案している。フランスではその差は六倍以内に、またスウェーデンでは、既に格差を四倍以内におさえ、さらに近い将来は所得の最大格差を三倍以内に、つまり最低賃金の三倍以上の所得を得る人を無くす方向で検討している。 そして、この傾向は労働時間の短縮傾向と連動しながら、全地球上で所得格差がO(ゼロ)になる日まで続いていくだろう。所得格差がなくなるとき貨幣はもはや何の役にも立たず、そのとき何の問題もなしに、貨幣を廃止することができるのは明らかである。おそらくその時、もしくはそれより少し以前に、次の根本原理があまねく認められることになるだろう。すなわち「すべての人間は何の代償もなしに、その出生から死亡に至るまで、快適な生活を享受する権利を有する」 配給経済 「終身強制労働」の廃止は、配給経済の確立に依存している。この経済システムが貨幣の廃止を可能にするのだ。 この経済システムは、緒生産単位が、人間がちょうど必要とするものを、多くもなく少なくもなく生産すべきであるという原則から出発している。 人間が生きていくうえで必要なものがある。衣・食・住がそれである。 社会はこれら三つの物を、すべての人間に何の代償もなしに供給すべきである。 国家は廃止されなければならない。実現される必要があるのは、生産手段の国有化ではなくして、世界共有化である。 もし、その職業、人種、宗教もしくは性別に関係なくすべての人間が、ロボットやコンピューターによる生産で衣食住に必要なすべてのものを供給されるならば、価値あるものはその本来の価値を取り戻し、それに似合うだけの金銭的価値しか持たないものは、価値がなくなるであろう。 例えば、芸術家はその作品が売れるかどうかを、気にかけることなく絵を描くことができ、そしてその作品を、通人気取りや欲がらみではなく、本当に評価してくれていると思う人たちにのみ、与えることができる。 ある一つの発明が興味深いとみなされるやいなや、たとえそれが無益なものであっても、その作品は大量に生産され、一つ持ちたいと望むすべての人びとに配給されることになる。 また、希少品についてはどうだろう。二十一世紀の文明は、人間の天才以外の希少品を知ることはないであろう。キャビア、シャンペン、ダイアモンド、何であれ、これらすべての物は実験室で合成され、好きなだけ生産することが可能になる。ぶどう酒、ダイアモンド、キャビア、肉、香水等々、すべては化学的なものである。つまり、あらゆる化学式は、科学的に再生産され得るのだ。生命そして人間でさえも、その遺伝子コードの中にその個性のすべてを含んでいる、D・N・A の分子に他ならないのである。” “ 貨幣の廃止すなわち真実の価値への復帰 現代社会において、人がある個人に置く価値は、しばしばその財産に比例する。作家、画家、発明家、音楽家、研究者に関しても、文無しの者は世間の関心を引くことがない。人は、個人に特有の価値よりも金銭的な価値の方を重んじ、それを強調するものとして「金持ちにしか金を貸さない」という諺がよく引かれる。このことは単に金を貸す場面だけではなく、人の気を引く場面においても全く同様に真実である。天才画家も、かれの絵を通りに並べると誰の気も引かないのに、この同じ画家が著名な画廊に展示すると、世の女性たちを有頂天にさせるのである。音楽家や詩人についても同じことが言える。貨幣の容認は、現代人の目にとって価値を持つ唯一のものなのだ。 現代の一流画家として認められはじめた私の友人は、かれを掘り出してきた画商が、どのようにしてかれを世に出し、かれの絵を人びとが先を争って非常な高値で買い求めるようにしていったかを、私に説明してくれた。この画商はまず手始めに、この画家の絵を買うことが大変な投資(いつも金がからむわけだが)になる、と映画の大スターに持ちかけた。次に大新聞の再重要ポストにいる記者たちにかれの絵を見せて、この若い天才画家に興味を示している大スターの話をしながら、この若い芸術家を世に出す記事を書くように、そうすれば一週間もすればその絵は莫大な価値をうみ、何の問題もなく売れるだろうと頼みこむ。こうして世に売り出す運動が始められ、他の新聞も後に続き「その作品を人々が争い求める新進気鋭の天才」とほめそやし、次にはテレビ・・・・・・。そうしておいて画商は、財界の大物たちに、値が非常に高く吊りあがる前に「まだ手に入るいくらかの作品」を買うようにと持ちかける。そこで一万フランを受けとり有頂天になっていた記者たちに見せた絵を、その大物に売りつける。卸商人の所に蓄えていた百枚近くの絵はたちまちのうちに売り切れ、あとはもう、ひとりでに値が上がり続けていく。上流社会の者たちは互いに見せて自慢し合い、あらゆる新聞が新たなピカソの出現と書き立てているあの有名なX のうちの一枚を、相場の二倍で買い戻そうとする。私の友人はこの間に、月々相当の金(まさに管理職の給料に匹敵する)を画商から受け取った。その代わりこの三年間、毎年何枚かの絵を画商に描いて渡さなければならないのだ!勿論、モンマルトルの家の下で、腹が空いて死ぬ思いをするよりはましであったろうが。 こうして、自分の好きな作品を創作できるという情熱は全くなく、もっぱら金と利益に基づくプロセスを経ることによって、芸術家のスターが作り出されていく。そして、名前はふせるが、このシステムの醜悪さを知りつくしている例の私の友人は、毎年彼が渡さなければならない二十五枚の絵を、その搾取者に預けるのである。かれはそれらの絵を、自分のものではない全くの見せ掛けのスタイルで、週末にぞんざいに描いて渡し、一年の残りの期間は、自分の好きな、そして自分自身のために残しておく絵を描くのだ!かれは契約が切れたときは、自分の本当の作品を展示するつもりでいる。しかしこのようにしてまで、天才が認められるためには、かくも暗い道を通らねばならないのだろうか! 貨幣が廃止されるとき、画家、音楽家、発明家および研究者は、自分のすきなことを行うことができるようになる。そして、かれらと同時代の、一人の画家の原画を手に入れるチャンスがあるのは、銀行に多くの預金を持つこと以外に何の価値も認めない者たちではなく、画家が描きたかったものに強く心を動かされて、画家の前に姿を現す者たちである。その情熱と感動があまりに大きいので、画家は好意でもって自分の絵をその者たちに与えるのである。そうしたときにこそ、真実の価値が定着するのだ。人はもはや、非常に高価なコレクションで画廊をびっくりさせようとはしなくなる。そしてたくさんの絵画、彫刻、タピストリー(壁掛)を手に入れる人とは、芸術家たちを最も良く評価して理解し、最上の情熱と友情と私心のない激励を芸術家たちに贈った者であろう。個人的な価値への礼賛が、貨幣への礼賛にとって代わるのだ。かれは芸術家たちと同時代に生き、かれらの創作物がうまれるのを目の当たりにする最初の者となるだろう。そして、かれらと生活を共にすることのできるよろこびで打ち震えている信奉者やファンたちと共に、芸術家たちは本当の創作活動を持つであろう。 所有することしかできず、自分自身が画家であろうとは決してしないものたちに、いったい何を教えなければならないというのか! 貨幣が廃止されるとき、人びとはなぜ「最初の者が最後の者になるであろう」と書かれてきたのかを、本当に理解することであろう。 (ラエル)” 身辺の調査その対象とされなければならないのは人類、すべてのひとびとではないでしょうか ? ~ 緒生産単位が、人間がちょうど必要とするものを、多くもなく少なくもなく生産すべきであるという原則から出発している。~ ~ 人間が生きていくうえで必要なものがある。衣・食・住がそれである。 社会はこれら三つの物を、すべての人間に何の代償もなしに供給すべきである。~ 首相の身辺洗ったところで、 ~ 天才が認められるためには、かくも暗い道を通らねばならないのだろうか! ~ ではないでしょうか ? 配給経済、この経済システムは、緒生産単位が、人間がちょうど必要とするものを、多くもなく少なくもなく生産すべきであるという原則から出発している。 気象庁のお天気予想システム(スッパコン)のような、消費者ニーズの受付からその製品の生産、納入まで滞りなくおこなわれる指導体制、物流の責任イコール世界政府の責任のような体制、構成され執り行われる必要あるのではないでしょうか ? そこには わが社の儲け、私の儲けなどというもの 私利私欲に塗れた小さな汚職は無い、そう断言できるのではないでしょうか ? 世界政府にてすべての人々への物流・サービスを管理する、それは世界から貧困・飢餓・災害をとりのぞき、余りある文明をもたらすのではないでしょうか ?
てか、どの政治家がやったって同じでしょう(笑) 日本は住みにくい国になる一方で、良くなったことなんて無いですからね。 自民党も、アホらしい国をつくり、民主党もそれを引き継いでますわ。 政治なんて政治家が勝手にやってればいい。