70年頃の中国アニメは独特の美意識に彩られていたもので、
花鳥風月や山水と動物や子供を、静止画を基本に滑らかに動かしていましたが、
ああいう素朴な美意識はどこに消えちゃったんでしょうね。
美意識や創造性を、世代を継いで保存するというのは、
昨今ではどこの国でも難しい問題でしょうが、
経済成長を遂げるということと、職人的なクォリティというのは
両立しないものなのでしょうか。
大人の文化はそうして磨きあげられていくほかないものですが、
それらが失われると、
あっという間に浅日即席の子供の文化が、金儲けの風に乗って蔓延してしまいますね。
ちょうど、産業革命後に資本経済を確立した高度成長期の欧州全域でも、
意匠や制作技術が失われて、あらゆる生産品にエピゴーネンが乱立したのですよ。
イギリスは文化的危機を察し、王立の教育機関を作ることから立て直しを計ったのでした。
ところで、
子供の創造性というのは、
認識において、イメージが飛躍的に連結しながら概念をたくさん形成し、
ひとつひとつの概念をカテゴリー付けして、
たくさんのカテゴリーを蓄えたところから始まります。
そうするとまたイメージは、概念カテゴリー群を土台にして、
抽象と捨象をおこない、欲しい概念を浮かび上がらせるとともに、
イメージのターゲットを支えるたくさんの概念を、背景の要素にします。
そうした、支えである下部構造の概念が、数多く、豊かに連結していることが、
創造性の源だと言っても過言ではないでしょう。
つまり当の分野が未熟であっても外部の分野がどれだけ充実しているかにかかっています。
日本のアニメ開拓期には、多くの小説家や美術家が参画し、
それまでの私小説や大衆小説や翻訳小説、映画で培われた美的感覚を、存分に生かしています。
今の中国には、外部で脈々と培われた技術や志を転化して応用するという力が、
根本的に欠けていると思います。
文化大革命の傷が大きいのはさることながら、
中国の精神性のなかに、
ソースを異分野から流入させて熟成させるという感覚がないのではないかと思われ、
むしろ、欺く、ということで持ちこたえてきたウン千年の歴史があるようでもあり、
短期間低予算で、見栄で固めた装いにするという、癖のようなものが、
下部構造のイメージ連絡を阻み、息の短い浅薄なコピー文化を蔓延させているのではないかと思います。
お礼
そうですね。動画、あげた方がなおさらですネ。 結果、簡単・・ それがいいのか。。 何度、各国から批判されても 懲りない所は どの国にもマネできない、粘り強い国民性ですね。