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初めて『死体』を目にした時の体験と感情
- 初めて『死体』を目にしたのは22歳頃。仕事で臨終の場面に立ち会ったが、身内の葬式は記憶にない。その状況に妙な喪失感を抱き、心臓が停止した瞬間と例える。
- 質問者は職業の関係で『死体』を多く見る機会があり、興味本位でアンケートを実施している。亡くなられた方の死後のお顔を覚えていることが前提。
- 要約文3
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18歳の時。伯父です。 伯父は自宅の和室の布団の上におられました。通夜に出席しなければと両親から言われ、友人との約束をキャンセルして向かったのですが、その他は余り憶えていません。 思い出すのは私が小学生の頃に伯父宅に父に連れられて行ったときのこと。 夏だと記憶していますが、それも定かではなく、伯父が車椅子に座っていたことと「おじちゃん、こんなんやから、冷蔵庫から勝手にジュース出して飲み」と言ってくれたことだけが鮮明です。 ニコリともしない表情しか知らないので、死後硬直が始まった状態に違和感はありませんでした。 頑固さゆえに周囲からは煙たがられていたそうですが、女性にはとてもモテる人だったみたいで、私自身も伯父の何気ない言葉に優しさを感じていました。 祇園精舎の鐘の声・・・そんな一節が浮かんできましたね。 ただ春の夢の如し。 「人生は楽しまな」伯父から学んだ気がします。 あ、そうそう。 死後体重が少し減るのは水分の蒸発ですよね?ヒゲが伸びるというのは細胞がまだ死んでいないとか。 野焼きで火葬すれば死体が起き上がるとかね。それを見た家族が「まだ生きてるー」なんて泣き喚いたらしいね。 死なんて早々に受け入れられるものではありませんね・・・ 執着という煩悩ですよ。 だから葬式で決別を図るんでしょうね。
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- 巧(@TYR_efes)
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んー、私の場合は・・・高校1年の時に 脳溢血で亡くなった祖父との対面が初めてです。
35歳で59歳の母を癌センターで看取りました。といっても逝去40分後に病室に到着しました。 この40分がとても悔やまれました。 危篤といわれてから航空券を借金で手配し、一日以上まるまるかけて夜便で早朝着、4歳の娘がお腹空いたというので、駅でうどんを食べさせてバスを逃した、スーツケースが大きいから一旦実家に帰ってから、などとゆっくり構えていた、そんな小さな積み重ねが40分遅れになったのでした。 残された父が、一人で待ってました。母はまだ暖かくて、寝たふりをしているように見えました。死化粧をして上げました。 生前は父と私と兄を困らせるだけ困らせてくれた愛情の無い母、最後の一ヶ月は脳に達して、父を罵倒したり人糞をあちこちになすりつけたり、悪夢でした。 やっと終わったと、ほっとしました。担当医が脳の解剖をしたいと申し出たので、快く同意しました。生き返って欲しくなかったので。
- hs1510
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一番最初は、小学校1年の時の祖父ですね。 学校に連絡が有り兄と帰宅した記憶があります。祖父の遺体を見た時に、「随分と小さくなっちゃった」と思いました。 次にその半年後に祖母で、夜中だったのですが、家族皆で看取ったのを覚えています。子供ながらに涙が止まりませんでした。 その後は、伯父や伯母を初めとして親戚です。臨終に立ち会うこともあれば無い事も・・・。 又、小学校5年生の時に近くの小学生がトラックに轢かれた直後に出くわしたのを覚えています。顔や腕、洋服にタイヤの後がくっきりと付いていたのを覚えています。即死との事でした。 中1の時には、小学校時代の同級生。 中学卒業した直後に同学年の女子2人の自殺者。間は1週間くらいあいていて特に関係は無い様でしたが、2人とも包帯で隠されていていました。 高校卒業直後病気だった後輩が亡くなり自宅で対面。お見舞いを拒否されていてしばらく振りにあった後輩は生前(自分が記憶していた)の面影は全く無く別人のようでした。 結婚後は地域柄、お葬式の手伝いは必須なので多い時だと年に3件くらい、そして親類等のお葬式が重なると1年簡に結構御遺体と対面する機会はありますね。
- wamodan
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わたしは幼少の頃ですね。 5歳くらいかな。 父と夏に海に行った帰りに、その海でドザエモンが上がって警察などがたくさん来てました。 変わり果てたであろう、女性の死体を見ました。 次が25歳の時かな。 通勤途中の電車が人をはねました。 そちらも女性でした。 あ、でもこれはお顔は見えてないからノーカウントですかね。 身内の死体はまだ未経験です。
- kiyocchi50
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正確ではないですが、小学校低学年の時に曾祖母が亡くなって、その時に、遺体に触れたのですがその冷たさ、堅さは衝撃だったのをよく覚えています。
20代の頃、自衛官をしていましたが勤務先(地方です)の裏山で 捜索願いが出ていた方の首吊り…地元警察と山狩り中に発見しました。 発見が早かったのか腐敗はしてませんが…すでにお亡くなりに成って ました。
私は21歳の時、祖母の逝去がはじめての経験でした。 よくドラマなどでは、遺体を前にして大声を挙げて泣く、シーンを多く見ていたので、そういうものなんだろう、と考えていました。 しかし実際には、遺体を初めて目前にした時のショックというものは、とても大きく、泣き叫ぶどころではありませんでした。 本当に哀しみに出会った瞬間、人は、声も出ないくらい、涙も一瞬、出ないくらい、固まってしまうのだと、感じました。 祖母は、とても安らかな顔で眠っていましたし、頬も冷たかったけれど、柔らかかったです。 それほどに哀しく、切ない、という感覚でした。 そして我にかえってようやく、静かに、涙が溢れ出てくる。 その後は枯れるくらい、涙が流れました、、、。 そうですね。身体に魂が入っていて、初めてあの、人の暖かさというものを感じるという感覚ですか? それはありましたね。
<人から物へ変わってしまった瞬間 それは正しい感覚と思います。亡くなってしまえば生きてない体、物体でしかない。 それを順序立てて遺族が認識して行く作業が葬儀なのだと聞いたことがあります。 さて、私は親戚が遠方に多く付き合いもあまりなかったためかなり葬儀の経験は少ない者です。 祖父母の見送りもしてませんし、中学時代に親友の母の葬儀があった時は事故のためご遺体の損傷が激しくお棺は開けられませんでした。 それが余計に悲しかったですが。 はじめて間近にご遺体を見たのは夫の祖母が亡くなったとき、37歳でした。 いい加減、分別のある年齢でしたし、夫の祖母ですから近い関係でもなく、正直あまり感情はありませんでした。 その後は友人が亡くなったりと何回か葬儀でご遺体を拝見しましたが、悲しいとは思うもののご遺体そのものに特別な感情は湧きませんでした。 あえて言えば死に顔はどなたも同じだったな、という事です。 それよりは焼かれたあとの骨を拾った時に、無常感を抱きました。 これが人間の最後の姿なのかと。本当にいなくなってしまったのだな、という実感でしょうか。
20代後半女性です。 つい昨年の12月に、 火葬場で、棺桶に入った祖母と、 最後のお別れをしました。 大往生だったこともあり、 それに祖母なので、少し遠い存在ということもあり、 泣いたりできなかったです。 私はずっと昔から、葬儀屋で働くのが夢という 変わった女なので(^_^;)、 死体そのものには何の抵抗もないですが、 質問者さんが感じられたような、 不思議な感覚はよくわかります。 不思議ですよね…。「死」って…。
私は5歳ですね。鮮明に覚えています。義父でした。 義父の勤める鉄工所で火災事故があり、義父は全身やけどでした。数日の入院ののち息を引き取りました。5歳で覚えているわけないって言われそうですが、私は事故の一部始終を目の当たりにしました。事故の数分前には義父の側にいたので1つ間違えば私もそうなっていたかも知れません。 その事故の恐怖感と葬儀の時の遺体の状態(全身包帯でまさにミイラ)の記憶は未だに取れません。すでに45年がたちました。
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