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顕正会というものに誘われましたが

今日すごく久しぶりに昔の友人と会ったのですが、顕正会に誘われました。 何かよく分かりませんでしたが、のほほんと話を聞きました。 友人曰く、「最初は半信半疑だったが、とにかくお祈り(?)をするようになってから自分の性格(宿命)が変わった」と言っていました。 節目節目で守られていると感じるとの事で。 3月の地震でも、被災地にいた友人に次々と幸運が起こって助かったのだと言っていました。 また、地震で顕正会の人たちで亡くなった方はいないと言っていましたが真実でしょうか? まだ沢山の行方不明の方がいるのにどうしてそんな事分かるのでしょうか? 名簿で全員に確認したのでしょうか? また、自分の飼っていたペットが死んで死後硬直してしまったけど、何かを唱えながら(何か忘れました)なでていると、死後硬直からまた柔らかくなっていったとも言っていました。 こういう事は普通、起こりえるのですか? 以下、余談ですが… また、私は今身体の調子が悪い部分があり、それはいつ治るか分からない病気です。 毎日痛い思いをしています。(ただ、1日中痛いわけではありませんし、我慢出来ます) そういう時に「お祈り(?)をしたらきっと痛いのも良くなるよ」と言われると「えっ…」と心が揺らいでしまいます。 宗教の話は単純に面白いと思いますが、今まで本当に心が動いたのは「仏陀」だけです…。 (かと言って何もしていませんが…) 友人にも「うーん、別にいいや」とお断りしましたが…。(それ以上はすすめてきませんでした)

みんなの回答

  • lions-123
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回答No.5

>顕正会というものに誘われましたが ↓ 私は、貴方の対応と疑問は正しいと思います。 事例については、誇大・我田引水・偶然を必然に結果論に・・・だと思います。 <私見> 一般論で申し上げますが、私が思うのは→宗教は自らの意思で信じるものであって、他から押し付けられたり、我欲から現世利益をネダリ、依存するものではないと思います。 ◇人は、心は、強くもあり弱いものでもあると思います。 その心が挫け弱い時に、見守り・励まし・叱咤してくれるのが宗教であり,信心だと思います。 心が自信に溢れ強く傲慢に成りがちな時に、行き過ぎを優しく諭し、厳しく言動を律するよう戒め導いて下さるものだと思います。 それを、宗教を万能に見立て、我欲の実現をネダリ、その欲や我侭を商行為に歪曲・便乗・悪用するのは宗教ではなく悪徳商法だと思います。 そして、時代が変わり科学が進歩しても、繰り返されるカルトや霊感商法は、強引な勧誘や他の宗教宗派への批判は、思い込みの激しさ、善意の押し売りの要素も含め、全て人間の性・業・弱さの故だと思います。 ◇自分を慈しみ優しく見守り包み込んで頂いてる、それが大自然であり、祖先であり両親・兄弟・家族・友人・知人・恩人・有識者、そして何よりも自分自身であり信じ支え生きる信仰ではないのでしょうか・・・ 私は自らが弱い人間と知るからこそ、人生の折々・節々で、自分を鍛え・叱り・見張って下さいと・・・お祈り、誓います。 何よりも、欲を利害を恨みを宗教で安易に買おうとしたり実現獲得しようとは思いませんし出来ないと考えています。 まして、自助努力・自己責任を人事を尽くさずして、安易に宗教に頼り、満たされないと責任転嫁、成否や可否を宗教に委ねるのは、真の宗教・信心ではないと思います。 いささか、押し付けがましい、上から目線の表現や意見になっていたらお許しください。 要は、貴方の疑問や悩みを善意からだとしても、付け込み誘い込むのは、真の友情でもアドバイスでもないと思います。 問題の改善解決には、適材適所・適切な対応が必要であり、それは医療やカウンセラーや家族やコミュニティーだと思います。 その上で、自分を信じ宗教を信じるのは、支え合う、見守って下さっている・・・と言う安心感・心強さ・律し戒めとしての眼には見えない自分への慈しみと愛情、無償無限の助言助力だと思います。 聞こえるか聞こえないか、見えるか見えないか、信じるか信じないか、活かすか活かせないかは、全ては自己責任・自助努力です。 http://www.google.co.jp/search?q=%E9%A1%95%E6%AD%A3%E4%BC%9A&rls=com.microsoft:ja:IE-SearchBox&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sourceid=ie7&rlz=1I7GGIH&redir_esc=&ei=-UIGTveqKauemQXtzMXEDQ

noname#137229
noname#137229
回答No.4

>>宗教の話は単純に面白いと思いますが おやおや・・ 単純に面白い・・ですか、その発想こそ面白い。 それはともかく「触らぬ神に祟りなし」・・が今のあなたにふさわしいかも。

  • nmyt78
  • ベストアンサー率42% (36/84)
回答No.3

信仰心は人それぞれなのでこれは悪いとかいいませんが、病気や心に不安をかかえている人に幸せと安心をあたえるとか言って入教を訴える所はある事はあります。話を誘導して、気がつかないようにその人の事情をなんとなくで聞き取り、あなたは今〇〇で困っていますね?とかまるで神の力でわかっていますという感じで言って信用させたり。入ってしばらくしては何もないですが、時間がたって来て信仰心あるとか思われたら、あとはもうお布施とか何かパワーグッズとか言って売ってきたり…。まあテレビとかでもたまにやってますけど、全てではないけどそういうのもある事だけは覚えておいてほしいですね。結局何かあった時に頼りになるのは自分自身の力と努力なんで。だから頑張って病気と戦って下さい。

  • ultraCS
  • ベストアンサー率44% (3956/8947)
回答No.2

>地震で顕正会の人たちで亡くなった方はいないと言っていましたが真実でしょうか? 厳密にはちょっと違いますね。亡くなったのは熱心にお題目を唱えなかった方々なんです。 というのが、こういう奴らの常套手段です。 熱心に信仰していた者は助かったというのは、裏返せば、助からなかった者は信仰が足りなかったということで切り捨ててしまえば済むんです。 >また、自分の飼っていたペットが死んで死後硬直してしまったけど、何かを唱えながら(何か忘れました)なでていると、死後硬直からまた柔らかくなっていったとも言っていました。 ペット助ける前にすることはないんでしょうかね。少なくとも、今回の地震で亡くなった方を生き返らせてくれた神も宗教も寡聞にして存じ上げません。まあ、だから宗教はダメだと言いたいのではなく、宗教が救える場面とそうでない場面があると言うことで、それを弁別できないような教派は信ずるに足らないと言うことです。 こんなん、ほとんどのカルトがやっていることと同じです。 こういう簡単なレトリックに引っかからないように

回答No.1

よくある勧誘ではないでしょうか。 普通はそのような事は起こりません。