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靖国神社問題

靖国問題で、政治関係者?が公的もしくは私的に参拝することが問題になりますが(政教分離)公的は違憲だと思いますが私的は良いんじゃないですか? なぜ"私的"は問題になるのでしょうか?

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  • michael-m
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回答No.6

日本の政教分離は世界的に見れば異質です。つまり政教分離は「一宗教に偏らない」ものであって「宗教色を排除する」ものではありません。 従って日本独自の政教分離が憲法の求めるところであれば違憲となるでしょう。なぜなら、参拝の為に多少なりとも警察やSPなどが動くからです。靖国神道が宗教であるかどうかとか、初穂料の出所が問題なのではありませんし、だれでもできる昇殿参拝が問題でもありません。 つまり、私的参拝であれば、せいぜい私的秘書(公的費用の出ていない秘書)だけを伴って参拝すべきです。ました初穂料の肩書きに総理大臣と書けば公的です。もちろんわざわざ書く必要(規定)もないですから。 どうしても私的だというのなら、奉賛会の面々と行けばいいだけです。 仮に世界レベルに合わせるのであれば、公的な護衛も肩書きも問題ないでしょう。要するに賽銭が個人であるかどうかだけです。 でも、基本的に何を以って政教分離なのかを、日本独自の解釈で行なうのか、世界レベルに合わせるのか その論議も確定なさずに違憲かどうかの判断をするのもおかしな話です。 ちなみに私は第二次大戦の兵士らを祀る靖国の姿勢は正しいと思っていません、 あそこには国べつの意味で、国が靖国に参拝する意義はないと考えています。その最も大きな要因は、あそこには兵士を支えた銃後の兵である庶民が全く居ません。つまり日本国民と国に対して平和を誓っているものではないのです。

noname#134859
質問者

お礼

詳しいご説明ありがとうございます!!

その他の回答 (5)

  • siege7898
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回答No.5

本当に私的に参拝するとなれば、それこそ朝のジョギングのついでにジャージ姿とかでちょっと来てみました~みたいな参拝になっちゃいますよね。公用車で公費を使ったらそれは公式参拝と区別つきにくいということなんでしょう。 ちなみにそんなんで政教分離とか騒ぐんなら、役所を建てるときの地鎮祭とか京都や奈良のお寺や文化財の保護に公費を使ってるのはどうなるんだというツッ込みはさておいて、欧米の政教分離とは、キリスト教の各宗派に対して公平に扱いますという意味でしたので、もともと国民全員がキリスト教徒であることを前提にしていました。まあ今ではそれは通らないので、各宗教を公平に扱えばいいんですけどね。アーリントン墓地なんかは各宗教のお墓がありますしね。個人的には靖国神社の近所にある無宗教の慰霊施設なんかはかなりナンセンスだと思います。

noname#134859
質問者

お礼

公的と私的って区別が難しいんですね。 回答ありがとうございます!

  • hekiyu
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回答No.4

#3さんの言うとおりです。 米国で、大統領が就任するとき、聖書に手を当て 宣誓しているのを見るでしょう。 中韓の手先のような連中が、政治的に利用しようと 色々画策しているだけです。 ま、それでも御質問に。 私的でも問題になるのは、それが公的なものとの 区別がつきにくいからです。 公務員の護衛がついて、公用車で乗り付け、 内閣総理大臣という肩書きで記帳して、 それでも私的と言えるのか、公的じゃないのかよ、 ということですね。

noname#134859
質問者

お礼

私的と公的。 これからも議論が必要ですね(^。^;) ありがとうございます

  • mekuriya
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回答No.3

 馬鹿馬鹿しい。下らない。公的も私的もない。誰が何時どこで参拝しようがしまいが全然問題ではない。政教分離など全然関係ないし、違憲でも何でもない。 日本人は政教分離の意味を全然理解していない。  イギリスという国をご存知でしょうか。代々の国王は、ウェストミンスター寺院で戴冠式を行うのが慣例と成っている。ではどこの誰がイギリスは政教分離でないと主張していますか?ではどこの誰が公的な戴冠式だの私的な戴冠式だのと議論していますか?  事あるごとに海外の事例を持ち出して日本を批判したがる人達が、こと靖国神社に関連しては海外の事例に触れないのは何故なのでしょうか。  政教分離とは「政治」と「宗教」は適切な距離をとりましょうという原則のことをいうのです。かつて西欧では近世以前において「政治」と「宗教」が適切な距離をとっていなかった。その為に不幸な事件を引き起こしてしまった。中世においては「宗教」が「科学」にも「政治」にも介入して、その権威を行使して望ましくない影響力を振るった。そういう歴史的反省によって生まれたのが政教分離の原則なのです。  政治家だろうが総理大臣だろうが、どこの教会で賛美歌を謳おうが、どこの神社でおみくじを引こうが、どこの寺院で座禅を組もうが全然、政教分離の原則とは何の関係も無い。  要は批判の為の口実に無理矢理難癖をつけているだけの話です。馬鹿馬鹿しい。

  • trajaa
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回答No.2

各人の事例により詳細が異なる場合もあるので一般論として。 私人でと言いながら ・公用車を用いる ・警護要員を連れる ・内閣総理大臣何某と記帳する ま、これらはその役職上致し方ない部分もあるけど、結局は当人が「私人」と言っても、その姿を見る(見させられる)側に取っては、公的と受け取ってしまう。 例えば、遺族会などは私人だろうが何だろうが、時の権力者が参拝する事を重視している。 参拝している当人だって、どのような政治的なインパクトがあるか充分承知の上での事なので (外交面での自己主張と集票団体との関係性とのバランス) 問題にする側も、問題にされる側もどっちもどっち。 結局は政治的な意味合いの濃い、セレモニーでしかない。

  • rikukoro2
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回答No.1

『中国・韓国がが文句言うから』  そしてそれにアホなマスコミが騒ぎ立てるから。