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今、増税して年金の財源にするなど言語道断でしょう。

増税して基礎年金の財源に、という議論があるようです。もちろん、基礎年金を税で担保するという考えそのものを否定はしません。分からないのはとにかく、今、増税によって解決せよという考えがわからないのです。しかも、解決は年金だけに至りません。税収不足そのものを大増税で担保しようとする考えが主流かのようになっているのが恐ろしいことだと思います。 たしかに、基礎年金を税金で担保すれば安心感が出て消費が伸びるから、と、いう論はありますが、本当に年金を税で担保すれば、日本の構造改革は格段に進展するのでしょうか? 消費性向が0.7程度であることを考えれば、増税1に対して年金1を給付しても消費は0.7しか伸びないことになり、デフレを助長する可能性さえあります。少なくとも、景気が安定成長に向ってから増税して基礎年金を税で担保するというのが、まともな考えではないでしょうか?それを、増税を主張する人は、かなり頑迷に主張されているようですが、どうも解せません。 さて、ここで質問ですが、ならば、何故に政府紙幣や日銀引受のゼロ金利国債で財源を調達し、景気を上げてから年金を税で、と、しようとしないのか疑問です。 たしかにこれらの諸策はリスクもありますが成功した前例だってあるのです。しかも、失敗したケースの多くの場合は有事における状況下で行った場合です。今は原発問題はあってもまだ、日本全域で焼け野原になるような事態ではありませんし、戦争をやっているわけでもありません。しかも、増税だってデフレを助長するわけですから、リスクがあるのに、増税はノンリスクのようなイメージさえ作られているような気がします。 どうして、与謝野さんのように日本の構造改革をするのに、頑迷に増税一本やりになってしまう心理にはどのようなことを背景にしていると思いますか?そして、こういう人たちに増税一本やりの考えを捨てるように説得できないと、日本の未来はないと思いますが、どうしたら説得できると思いますか?

みんなの回答

回答No.11

>日本の構造改革をするのに、頑迷に増税一本やりになってしまう心理にはどのようなことを背景にしていると思いますか?そして、こういう人たちに増税一本やりの考えを捨てるように説得できないと>> >貨幣経済を捨てる必要があるのでしょうか?>>  改革、大きいものほど時間が掛かる、そのリスクも高い...とするとやはり大都市都市部の改革変革、大混乱も十分予想され、そのリスクも高い、手が付け難いが習いでしょうが、大都市都市部が必要とする¥ 税など その障害弊害が至る所で表面化しその見直しが求められる、また不況対策、社会保障問題もあり合理化された流通サービスその新展開も求められる今日、一連の ~ 所得格差がなくなるとき貨幣はもはや何の役にも立たず、そのとき何の問題もなしに、貨幣を廃止することができるのは明らかである ~ どうでしょうか?

dai1000
質問者

補足

>改革、大きいものほど時間が掛かる、そのリスクも高い ええ。そうです。貨幣経済を捨てるというのも同じことで、おっしゃるようにリスクは最上位にあると思います。 >所得格差がなくなるとき これは少し前にこの質問の中でも書いたことですが、所得格差をなくすには、とりあえず、無限に近い「資源供給能力と住」を満たすための空間を先に担保する必要があります。何故なら、人口が増えてから取り組んでも遅いからです。 かなり昔ですが、ソイレントグリーンという映画がありましたが、宇宙開発や食料生産における技術開発等に大規模資本を投入できないような貨幣経済を否定するような社会では、あの映画のように、老人は全て安楽死させるというような社会にしないと難しいのではないでしょうか? http://movie.goo.ne.jp/movies/p5240/ そもそも、hateha2_gooさんのお説でも専門家の労働というものが残るわけですから、貨幣経済をなくしたときに、その対価をどうするのか?という問題に突き当たってしまうように思うのですが。

回答No.10

zakky74でございます。 >日本をどうすれば良いか?この問に多くの人は抽象論で答えると思います。新しい産業。未来の産業。資金を取り込め等々。抽象論を出せば、納得する人も多いと思いますが、そうした論が出たところでこの20年、低落の一途のようなような気がします。 仰る通りですね。 そして、抽象論だけに留まった話ですと実現はしません。ですから抽象論に留まる方たちは、前回の投稿で僕が述べました >>解決は出来ています。 >>それを知る人から参入・参加するでしょう。 などとは、とても言えません。 具体的なイメージが無いからです。 また、実際に起きているところを見ていないし触れていないからです。 >どうして、具体論が出ないのだろう?そうは思いませんか? 抽象論の具体化、具体論の抽象化、が自由自在に起きていないからです。抽象論は、本来は具体化させる為に行うべきものです。具体化にならない抽象論は、その時点で抽象論ではありません。抽象論にさえなっていません。違いますか? 更に言うと、具体論の抽象化に失敗している抽象論だから厄介であり問題です。また、そんな抽象論だから具体化がされず具体論に戻れません。 >多分、多くの場合、抽象論を出せば誰かが何とかしてくれるという無責任な期待が蔓延していたからではないでしょうか? 多いです。 僕もよく感じます。 旧い抽象論を整理した上で、切る事ですね。 抽象論から具体化に向かう際には、決断と勇気が伴います。ここにエネルギーが要ります。生半可なキモチでは、具体化には向かえません。責任を負う事も出来ませんし自由選択意思も持てませんね。 そして、旧い在り方・思い方・やり方・結果から抜け出す気概が無いという事でもあります。旧い在り方・思い方・やり方・結果に縛られている状態では、新しい在り方・思い方・やり方・結果を選択出来ません。 今までを引きずっている人たちは口だけ、行動しません。 >>今までの様に・・・ >>今までを少し向上させて・・・ >>これではありません。 >>今までとは全く違う・・・ >>これからは新しい・・・ >>これが大切だと思っています。 旧い抽象論を切る事。 dai1000さんとは、旧い交流に終わらせたくないんです。勿論、このQ&Aサイトに目を通されている多くの方とも、抽象論だけで終わる事はしたくありません。 >かくいう私も良くわからない。だから、質問することしかできないわけです。そこにまたもや抽象論で答えが返ってくる。これがまさにいくつかある日本の病理の一つの典型ではないかと思います。 仰る通りかと思います。 何をどの様に考えて良いのかが、仕組み・メカニズム・構造が鮮明でない故に、分からないんですね。部分的に見えるところはありましても、全体の構造、全体の流れ、全体像が見えない為に、本当にそれで行けるのかどうかに自信がありません。 具体論には責任が伴います。 実行段階だからです。 では、その責任を背負えるだけの、そして積極的に背負いたい、或いは自由選択意思によって喜んで取り組みたい、わくわくで臨みたい、とするだけの理解・納得できる材料が欲しいと思うのは人間だろうと思います。 それをさせない様にするのが旧い抽象論です。 新しい具体論に行く前段階で必要なプロセスは、旧い抽象論を如何に断ち切れるかが勝負だと思っています。旧い抽象論から、新しい抽象論へと明確に移動する時に、新しい抽象論の具体化へと実行段階へと入ります。 新しい方向性が出された場合に、よく総論賛成各論反対が起きます。これは旧い抽象論を断ち切ってないから起きる事ですね。総論に賛成している様で、実は抽象度の高すぎる総論においては、どこからが新しい抽象論で、どこまでが旧い抽象論で、何をSTOPさせて、何をSTARTさせるのかが、鮮明になっていないからです。 歴史を観ても、STOPが先なのが明確です。 例えば、経済学・政治学などを始めとして、数学・物理学など学術は西洋から出発して世界中に広がっていますが、多くの人はSTARTばかりに着目しますね。 ・学術が西洋から広がった ・数学や物理はニュートン、デカルトが貢献した ・西洋のルネッサンスによって多くの革命が起きた などですが、真に重要なのはSTOPが起きていた!という事ではないでしょうか? ・天動説が間違っていた・・・ ・何でいつも神、聖書、教会、牧師だけが・・・ ・何でいつも王様の判断基準だけが・・・ ⇒止めよう! これです。 それまでの理解方式・認識方式が誤っていた事を明確に理解した時こそ、そしてそこから真の追及が始まり、では一体真実は何なんだ?という展開から、その始まりが多様な始まりを開花させていきました。 歴史を振り返るという過去を観る観方では、STARTが確認されやすいですが、未来を創っていこうとする未来を観る観方では、STOPを確認せねばなりません。どちらも重要ですが、未来を切り開くのは後者です。 今の時代、特に日本の様な国ですと、これから新しい変化が求められている最中ですので、その場合にはSTARTの確認が出来ようハズがございません。未だ来ていないからですし、出会っていないからです。だから、出会う為には知恵が要ります。 それが、STOPを明確に観る事です。 STOPを明確に観て、理解・納得が深まる事を通して自然と観えてきます。 また、僕はこの投稿中にも何度も具体論について共有する意志を伝えています。 確かに現段階で、僕は具体論は何一つ言っていません。ですが、その事と僕が具体論を持っていないという事は別ではないでしょうか?具体論を、出していない理由や背景があるのではないでしょうか?そんな可能性もないのでしょうか? 勿論、「zakky74は具体論を持っていない」と判断されても構いません。dai1000さんがその様に判断されても、そして僕がここで具体論を共有しなくても、確実に日本では広がっていきますので、今知るか、後で知るか、の違いであろうかと思います。 僕が大切にしたいのは、dai1000さんにとっても新しいSTARTを知る前に、旧いSTOPと出会って頂きたいという事です。 天動説をSTOPさせて、地動説をSTARTさせる。その様に、 天動説的産業をSTOPさせて、地動説的産業をSTARTさせる。 天動説では、説明が不可能であった多くの現象がありました。まずは、その事を明確に理解した時に、天動説という前提の矛盾や固定観念が観えてきます。観えるからこそ、そこから抜ける事が出来ます。 固定されたポイント、それを明確に見定める作業を先にしたいと願う僕からのお願いは、dai1000さんにとっては必要の無い事であり、却下されるものなのでしょうか? >ちなみに新技術や未来の産業も長期に独占できてこその繁栄があると思いますが、現在のように長期の独占が不可能な国際環境では、これらを開発できたとしても長期間の独占が担保されませんので、これだけでは意味がないとは言いませんが、大きなアドバンテージとはならないと思います。 一体どうして独占できない状態があるのかの明確な原因が見えていますでしょうか?僕には、その明確な原因が観えております。観えているからこそ、この点は一切ご心配には及びません。 新技術も未来産業も、長期的に独占できるものです。 即ち、重要な発見と発明を原点としております。 もう二度と、その様なご心配なきようお願いします。 >したがって、我々の変えるべきは、国内要因である新規産業を起すということはたしかに重要ではあるものの、それ以上に外部要因である国際環境、特に貿易のあり方を変える必要があると思います。 従いまして、外部要因の影響を殆ど受けません。寧ろ、世界中から日本を真似しに、学びに、住みに、働きに、来るでしょう。貿易も、日本が主導を取る事が出来ます。 >すなわち、旧産業もある程度残せない状況では、新規産業ができても短命に終わると思います。 有り難い事に、それは杞憂でございます。 新技術・未来産業は、長期独占も可能ですが日本は基より、全世界が欲しいと思っている事です。まずは、ご安心下さい。後で、具体論に入りますので、先に整理しておくべき領域に入りませんか? 即ち、何度か提案しているのですが。 ・旧い産業の弱点、致命的な問題点、経済を牽引できない原因。 ・その原因の仕組み・構造・全体像を理解。 ・原因の仕組み・構造・全体像を抜ける道について共有。 ・抜けた新しい道が、旧い産業や仕組みでは突破出来ない全ての問題点、課題点をどの様に突破していくのかを共有します。 そこまでを整理した後に、ようやく具体論へと入れます。未解決の問題点・課題点を突破する職業・仕事・産業とは一体どういうものなのか?そして、それが広がっていく理由や新しい経済大陸である理由、日本は基より世界が一番欲しがっている事が鮮明になります。 今は、複雑に絡み合っていて、何をどうすれば良いのかが見えません。ひもが絡まっている状態です。まずは、ひもの絡まりを解く作業をしたいんです。その作業なしでは、新しく結び直すのは無理からぬ事ではないでしょうか? いつまでも抽象論でグルグルするのは、ひもが絡まっているからです。まずは解いて早く抽象論を終わらせましょう。 教育・経済・政治・文化芸術は全て変わります。 そんな大変革が起きる今からの日本です。 新技術であり未来産業だから可能です。 そろそろ原因を明確に観ませんか? 旧いパラダイムにピリオドしませんか?

dai1000
質問者

補足

>・旧い産業の弱点、致命的な問題点、経済を牽引できない原因。 >・その原因の仕組み・構造・全体像を理解。 >・原因の仕組み・構造・全体像を抜ける道について共有。 >・抜けた新しい道が、旧い産業や仕組みでは突破出来ない全ての問題点、課題点をどの様に突破していくのかを共有します。 >そこまでを整理した後に、ようやく具体論へと入れます。 ○○産業で具体的にこんなことをする、あるいは、こんなものを作るで答えになると思うのですが。答えを出したあとに。一連のその思考を生み出した過程である、 >・旧い産業の弱点、致命的な問題点、経済を牽引できない原因。 >・その原因の仕組み・構造・全体像を理解。 >・原因の仕組み・構造・全体像を抜ける道について共有。 >・抜けた新しい道が、旧い産業や仕組みでは突破出来ない全ての問題点、課題点をどの様に突破していくのかを共有します。 を語ればより理解は深まると思うのですが・・・。

回答No.9

zakky74でございます。 >ただ、金が流れれば、景気が良くなるのは誰もわかることですが、具体的に今後、どんな未来産業で稼げばいいかわからないので、日本は苦しんでいることは間違いなさそうです。 仰る通りかと思います。 同感です。 >もしもわからないのなら、旧産業でもいいから、目先、とりあえずはそれで食えるようにすることを考えるべきだと思います。 仰る事は分からなくはありません。 ただ、僕がお伝えしているのは、旧産業を死滅させる・・・という事ではなく、、旧産業とバランスが取れる様になるまで新産業胎動に力点を置くという事の意味です。 >新産業は具体的にはわからない、旧産業は陳腐化して稼げない、と、いう状態で、世界は勢い為替の切り下げ競争をやって安売り合戦の様相を呈している、この状況の中で飯を食っていかなねばならないわけです。 この発想が、既に旧産業を守ろうとする発想なのではないでしょうか?そして認識を改めるべきなのは、旧産業では稼げない・・・ではなく旧産業では貧乏になる・・・です。 だから、食べていくのが余計に大変になります。 どこかで断ち切らねばなりません。 >今求められているのは、現在の水準の賃金で、具体的にどういう仕事をすれば仕事を受注でき、そして、将来においてその賃金水準を上げる方向で行くには具体的に何産業にするのか?ではないかと思います。新規産業とか資金を呼び込め、実際、それはそうでしょうが、では、具体的にどういう職種で食って行くかという根本的な問題が解決できていないのではないかと思います。 解決は出来ています。 それを知る人から参入・参加するでしょう。 >具体的というのは、簡易な説明をすれば、野菜や魚などを作ってとって自給自足のような生活をするのか?あるいは機械部品を作って売るのか?、もしくは、金貸しで行くのか?と、いうような類の話です。 仰る通りです。 その事はよく分かります。 >zakky74さんのお説では、製造も金貸しも不十分ということならば、別の職種が必要だろう?そう思ったわけです。具体的には何で食えばいいのでしょうか?結局、具体的にはどんな仕事で日本人は飯を食えばいいと思いますか? ご質問の流れはよく分かりますが、本当にこのまま進んで良いのだろうかと疑問が幾つか残ります。勿論、dai1000さんの仰る通りに具体的には・・・の話が必要でありましょう。また、その話の展開はやぶさかではございません。 ただ、前回の投稿でも申し上げた事でもありますが、本当に重要な事はまずもって危機意識であり問題意識です。 新しい事を始めようとする際に、陥り易い錯覚があるのですが、新しい事を始めようとする前段階に、まずは旧い事をストップさせる段階が入りますよね? 変化には、ストップとスタートがあります。 旧い事を止める事なく新しい事を始めるのは真の変化ではありません。そして、今、日本にとっても世界にとっても真の変化が求められていると思っています。 今までの様に・・・ 今までを少し向上させて・・・ これではありません。 今までとは全く違う・・・ これからは新しい・・・ これが大切だと思っています。 それでなくては、世界中に溢れている投機マネーを日本に呼び込み、尚且つそれが投資マネー化するだなんて事は在り得ません。真の変化を確認出来る何かであるからこそ、そこに投資が集中します。 恐らく、そんな事は僕が言うまでもなくdai1000さんは理解されているかと思います。それだからこそ、思い切った決断が必要な時であろうかと思います。まず、大きな決断は、旧い産業、旧い経済の一体何が危機で、何が問題であるのか、についての明確な理解から入る事、これ以上は無理なんだという仕組み・メカニズムについて明確に理解する事から、かと思います。そして、そこに決断と勇気がいるんですね。 出来れば、見たくない様な事だからです(一旦、明確に見てしまえば、突破口までも見えるので、わくわくしてくる事なんですが) 具体的な産業は、そこと向き合うプロセスによって自ずと観えてきます。また、その時には僕から伝える事も致しましょう。まずは、 >>旧い中心産業の4つのサイクルをどの様に理解されていますか? >考えたことはありません。 >>「旧い中心産業の導入期・成長期・成熟期・衰退期」をどの様に理解されていますか? >同じく、これも考えたことはありません。 を考える事を提案致しますが、如何でしょうか? 加えまして、旧い中心産業では食べていけない・・・ではなく、旧い中心産業は貧乏にするという事も見つめる事が大切ではなかろうかと思います。 まずは、dai1000さん自身が、旧き仕組み・産業のメカニズムに明確にピリオドを打ち込む理解にまで踏み出す決断と勇気によって新産業への道は開けてきます。 具体的な新産業は、そこから入りたいところです。

dai1000
質問者

補足

日本をどうすれば良いか?この問に多くの人は抽象論で答えると思います。新しい産業。未来の産業。資金を取り込め等々。抽象論を出せば、納得する人も多いと思いますが、そうした論が出たところでこの20年、低落の一途のようなような気がします。 どうして、具体論が出ないのだろう?そうは思いませんか? 多分、多くの場合、抽象論を出せば誰かが何とかしてくれるという無責任な期待が蔓延していたからではないでしょうか? かくいう私も良くわからない。だから、質問することしかできないわけです。そこにまたもや抽象論で答えが返ってくる。これがまさにいくつかある日本の病理の一つの典型ではないかと思います。 ちなみに新技術や未来の産業も長期に独占できてこその繁栄があると思いますが、現在のように長期の独占が不可能な国際環境では、これらを開発できたとしても長期間の独占が担保されませんので、これだけでは意味がないとは言いませんが、大きなアドバンテージとはならないと思います。したがって、我々の変えるべきは、国内要因である新規産業を起すということはたしかに重要ではあるものの、それ以上に外部要因である国際環境、特に貿易のあり方を変える必要があると思います。 すなわち、旧産業もある程度残せない状況では、新規産業ができても短命に終わると思います。

回答No.8

⇒No.3No.5⇒⇒  >貧富の格差を容認してしまう貨幣経済(資本主義)はもってこいです。>>  ’容認してしまう ~ 怪しげな表現ですが、不正を表明しているとすれば合っているのでしょうか。  世界の人口70億人、そのための食糧35億トン~、人道的支援に水を注すようなが合っているのでしょうか。  >その先の欲求が生じるとい思います。>>  世界の状況その配信元はもっぱらマスコミ・テレビということになっていますが、それらが所有する技術、貧困防止、飢餓防止、人口爆発防止、国際紛争防止、災害防止など、数あるソースを教育的VTRとし編集し必要な地域の人道的かつ有効な教育につとめるなど、まずはひつようなのではないでしょうか?  >貨幣経済のさらなる進展ではないでしょうか?>>  いずれにせよ、世界の情勢に左右されることでしょうが、製造業ではなく非製造業商業的物言いのような感がありますが、言うまでもなく必要となるのは物資で間違いないが100%ではないでしょうか。  >人間が監視しなくてはならない。それは義務であり>> ” それでは、誰が機械を監視するのかと、あなたは私に問うかもしれない。それは実に簡単なことだ。生産手段の完全な自動化に必要な最初の約十年間は、軍隊が、この監視と保持の仕事に配属されることが可能である。あるいはさらに、現に毎年何週間かスイスで行われているように、兵役にかわって、公的サービスが一、二年のうちに創設されるかもしれない。そうすると、召集兵と専門家集団のみが各生産単位で働くことになり、それ以外の人間は完全に自由となる。 ”  >折衷的な政治経済体制を目標にした方がより現実的のような気>>  過半数とれば、喉もと過ぎれば熱さその他すべて忘れるのような政治体制選挙体制、カワルところまったくなしといったところでしょうか。

dai1000
質問者

補足

>そうすると、召集兵と専門家集団のみが各生産単位で働くことになり、それ以外の人間は完全に自由となる。  監視する集団にもミスがありますよね。と、いうことは監視する集団を監視・支援する人たちが必要になるし、適宜、修正する仕事もしなくてはならない。と、思います。修正を自動化することはできるかもしれませんが、その自動修正プログラムを作るのはやはり人間です。これにもミスがあるかもしれませんから、自動修正も完璧には難しいと思います。そうなると、一つの職種の平均労働時間は減少して対価は低くなる可能性はあっても、労働の種類は新たに数多く生じることになるのではないでしょうか? 現在のシステムは誰かがやる労働による結果を生むために、誰かが補助・修正するように、労働が生じているとも言えます。例えば、電気屋さんが仕事ができるのは、誰かがたゆまぬ努力で、電気屋さんの生活を支えているからこそ、専門分業が成り立つわけですが、これを言い換えれば、誰かのコントロールを受けているということです。ミスのある人間の作ったコンピューターを監視するのは人間です。その人間にはやはり、ミスがあるわけですから、その監視における労働の結果を全体の不利益にならぬように支えたり、監視したりするための労働が嫌でも別に生じるのではないでしょうか? と、なれば、労働そのものはなくならず、その対価は必ず払う必要が出てくるように思います。そして、対価を支払うためには誰かから対価を得なくてはなりません。ただし、労働の一部はどんどん機械に置き換わって行くわけですから、かくして、労働の対価は減少する一方で、労働の種類は拡大するのではないでしょうか?そののち、もしも、貨幣経済がなくなると仮定したら、労働のお返しを労働でする、と、いう形に置き換わるだけではないでしょうか? それなら、貨幣経済の方がずっと使い道の範囲が拡大します。貨幣経済を捨てる必要があるのでしょうか?

回答No.7

zakky74でございます。 政治を執り行う前段階では、必ず教育と経済の原理や仕組みなどについて熟知していなければなりません。原理や仕組み、とここで言っているのは、時代の変化に合わせる観点も必要ですし、未来価値を生み出し続ける観点もそうですし、大切な事を遺しつつ、しかし積極的に変化を推進しなければならないという観点からです。 原理や仕組みを熟知している事で、そうした対応が可能になります。従いまして、暗記中心の理解方式・認識方式では政治は執り行えません。 また、インターネットも登場し、人・モノ・金・情報は世界中を駆け巡る様になってきましたから、部分的な幸せや部分的な理想の追求でも限界です。69億人が運命共同体になってしまっているので、全人類や全体の幸せと理想について考えなければならない時代に突入しています。 そんな観点からの前回の投稿でございますし、補足に対してのお応えとしたいと思います。 >>金の流れを、一気に日本に呼び込む事で、景気は良くなります。 >具体的にはどうすれば良いでしょうか? この話の流れは、 >>今、最も日本が向き合うべき問題は、 としながら、 >>モノ作り・製造業に代わる新しい中心産業を立てる事です。 つまり、日本は総力を結集してモノ作り・製造業に代わる新しい中心産業を立てる事で、これ以上は経済の牽引が難しいモノ作り・製造業を一旦は置いておく事をお伝えしています。 >>そして、その中心産業が成長エンジンを創りながら、 モノ作り・製造業には、この成長エンジンが停止してしまっています。勿論、Made in Japanの躍進によってアメリカ・西洋は金融経済へと逃げましたが、この金融経済も成長エンジンが停止しています。 停止というのは、エンジンの機能に着目した表現として使っていますが、実際は破壊されていると言っても過言ではありません。 動力源でもあり、エネルギーの源でもあるエンジン、取り分け経済は年々成長せねばなりませんから成長エンジンでなければならないのですが、その成長エンジンが停止、若しくは破壊されている産業を中心に据えている以上、お金がそこを流れないのは当然です。 流れをイメージしますと、例えばですが血液があっても心臓が停止、若しくは破壊されている様なモノです。ですので、経済そのものが発展する新しい経済発展モデルが必要です。 経済も政治も、西洋のルネッサンスの恩恵を蒙り、第二次世界大戦敗戦以降はアメリカ・西洋を真似し、モデルとし、憧れ、追いかけてきた日本でしたので、日本を取り巻く経済の環境は西洋をモデルとして、西洋を真似したものです。 従いまして、その原理や仕組みには詳しくありません。 (暗記でしたら、相当なものです) 原理や仕組みから観ますと、今、明らかにアメリカ・西洋式経済発展モデルは崩れ去っています。また、中心産業もそうです。ですから、新しい領域を開発・開拓する産業が求められていますし、そこと相性の良い経済発展モデルを必要としています。 そこを打開できていないアメリカ・西洋ですので、雇用問題が解決出来ません(日本も、アメリカ・西洋ほど酷くはありませんが、その傾向がありますね)。 それ故に、 >>日本式経済発展モデルを創出し、 とお伝えしましたが、もう日本がアメリカ・西洋式にこれ以上真似する必要も学ぶモノも無いんですね。更に重要な事は、アメリカ・西洋式の土台が崩壊し、腐敗しているという点です。 速くそこから離れるのがいいです。 では、東洋はどうでしょうか? 東洋の方が可能性は高いですが、文明の観点から観るとまだまだです。また、消費者の意識、或いは需要市場の観点から観てもまだまだです。 日本は、明治維新を切り開き、敗戦後もアメリカ・西洋を受け入れて学ぶ事で、急速に文明先進国になり、最先端にまで到達しました。 そんな日本が東洋を真似る事は、文明の後退です。 東洋の可能性を大事にしながら、西洋の恩恵も大切にしつつ、しかし最も洗練され卓越されたものへと昇華するには日本の底力が必要です。日本の心、日本の国民性、そして日本文明が機能する事ですね。 それで日本流、日本式でございます。 これから、日本式経済発展モデルを新たに創出せねばなりません。日本人にしか出来ない仕事です。 日本は、オリジナルを超える素晴らしさがあります。 東洋の良さも、西洋の良さも、十分に活かしながらサムライの精神によって、わびさび美学によって、和の心によって、更に洗練させ卓越した素晴らしいモノへと昇華させる事が出来ます。 新しい中心産業が、新成長エンジンを備えながら、日本から新しい経済発展モデルを生み出し、それをアメリカ・西洋にも、そして文明水準が追いついてきた頃の東洋にも、日本式モデルを販売するんですね。 それは、新しい経済大陸を発見している・・・という事の意味でもあります。新しい産業、新しい技術、新しい経済、そこには膨大な経済大陸を発見していないとなりません。 裏を返せば、旧い中心産業の導入期・成長期・成熟期・衰退期というサイクルを明確に理解する事で新しい中心産業の導入期・成長期が観えてきます。旧い中心産業に対する明確な理解が肝ですね。 >>投機マネーに流れている莫大なお金の流れを、 ですので、投資マネーではなく投機マネーが大量に溢れています。実は、お金が無い・・・のではなく、お金は溢れすぎています。重要な事は、溢れすぎたお金の流し先(産業)が停滞しているので、新しい流し先をどう創るか?ですね。 つまり、未来産業、未来価値の発掘となりますが。 もし、それが見出せない場合は、守りに入りますから石油・ダイヤ・金・・・など、未来価値とは関係の無いところに流れます。 それは極めて不健康。 健康なお金は、未来産業、未来価値に流れる事です。 それが日本に出来るという事の意味で、今まで述べてきました。 >>一気に日本に呼び込む事で、景気は良くなります。 新しい経済大陸、かつての高度経済成長期を超える経済発展と未来価値創出の目処が立った日本には、膨大に膨らむお金の量を一気に日本に呼び込み、投機ではなく投資へと転換させる事が出来ます。 そうしながら、産業・技術・商品をポンポン生み出し、西洋でルネッサンスが起きた様に、日本から東洋のルネッサンスを起こします。 故に、お金はまだまだ日本へ流れ込みます。流れ込むたびに、日本からは新しい仕事・職業・技術・商品を生み出し続けます。そうする事で、お金と商品のバランスを在るべき姿へと戻します。 結果的に、日本の中心産業によって、市場の正常化、経済の健全化を為しえます。それをマーケットの次元上昇と言っています。 >>日本は速く次なる産業を生み出す事を考えるべき時かと思います。 それ故に、日本は旧い中心産業を一刻も速く終わらせる時ですし、それが国益です。未来には、日本式経済発展モデルがアメリカ・西洋も、東洋もモデルとして真似をしだすので、国益=人類69億人・全体の幸せ、でもあります。 具体的にどうすれば良いのでしょうか? まずは、明確な理解から入る事です。そして、新しい産業が生まれている事、新しい経済大陸が発見されている事を知る事ではないでしょうか? 勿論、理解も認知も出来ている人から続々と参加するでしょう。 小規模ながら既にその現実があります。 >具体的にその産業とはどのような産業ですか? でございますが、先ほども触れました様に、旧い産業についての明確な理解が重要であろうかと思います。そこでお尋ねしたいのですがdai1000さんは現段階では、 ・旧い中心産業の4つのサイクルをどの様に理解されていますか? ・「旧い中心産業の導入期・成長期・成熟期・衰退期」をどの様に理解されていますか?

dai1000
質問者

補足

ありがとうございます。 >>金の流れを、一気に日本に呼び込む事で、景気は良くなります。 >>つまり、日本は総力を結集してモノ作り・製造業に代わる新しい中心産業を立てる事 その中心産業って具体的に何でしょう? >>日本式経済発展モデルを創出し、 その日本式経済発展モデルとは、具体的にどんなモデルなのでしょうか? >>健康なお金は、未来産業、未来価値に流れる事です。 その未来産業・未来価値が具体的に分からないのでみんな苦労しているのだと思います。具体的には何でしょう。 ---------------------------------- >旧い中心産業の4つのサイクルをどの様に理解されていますか? 考えたことはありません。 >「旧い中心産業の導入期・成長期・成熟期・衰退期」をどの様に理解されていますか? 同じく、これも考えたことはありません。 ただ、金が流れれば、景気が良くなるのは誰もわかることですが、具体的に今後、どんな未来産業で稼げばいいかわからないので、日本は苦しんでいることは間違いなさそうです。もしもわからないのなら、旧産業でもいいから、目先、とりあえずはそれで食えるようにすることを考えるべきだと思います。 新産業は具体的にはわからない、旧産業は陳腐化して稼げない、と、いう状態で、世界は勢い為替の切り下げ競争をやって安売り合戦の様相を呈している、この状況の中で飯を食っていかなねばならないわけです。今求められているのは、現在の水準の賃金で、具体的にどういう仕事をすれば仕事を受注でき、そして、将来においてその賃金水準を上げる方向で行くには具体的に何産業にするのか?ではないかと思います。新規産業とか資金を呼び込め、実際、それはそうでしょうが、では、具体的にどういう職種で食って行くかという根本的な問題が解決できていないのではないかと思います。 具体的というのは、簡易な説明をすれば、野菜や魚などを作ってとって自給自足のような生活をするのか?あるいは機械部品を作って売るのか?、もしくは、金貸しで行くのか?と、いうような類の話です。zakky74さんのお説では、製造も金貸しも不十分ということならば、別の職種が必要だろう?そう思ったわけです。具体的には何で食えばいいのでしょうか?結局、具体的にはどんな仕事で日本人は飯を食えばいいと思いますか?

回答No.6

⇒No.3⇒⇒ >人には欲望がありますが、衣・食・住が満たされれば、その上の欲求>>  衣・食・住 、世界中で政治的に達成される必要があるのではないでしょうか? その上の欲求、その後でもおそくはないのではないでしょうか? ~ 核兵器の開発や宇宙船の建造などの馬鹿げた事業や、軍事予算などに浪費されているすべての手段を有効に使用することである。第一、これらのことは、人類が一度物質的制約から解放されてしまえば、より有効に、そしてより簡単に研究されるであろう。 ~ >全自動化されたコンピューターシステムを壊すかもしれません>> ~ 問題は、科学の平和利用がもたらす楽園を取るか、それとも、人間が自然を支配して利益を得るのではなく、自然に服従する原始時代への逆戻りという地獄を取るか、の選択です。  これは、自分たちの惑星から脱出できるようになる人類が、いわば、宇宙的レベルで決断する場合の当然の選択なのです。自分たちの攻撃性を完全に抑えることのできる者だけが、この段階に達することができるのです。そうでない人々は、自分たちの科学技術が発達して、人類を破壊し尽くすだけの十分な武器が発明できれば、直ちに自己破壊への道を辿ることになるでしょう。  自分たちの太陽系から脱出できるということは、とりもなおさず、その人々が、太陽系脱出旅行にも、また取り返しのつかない破壊をもたらす攻撃兵器の生産にも利用できる、決定的なエネルギー源を発見し、しかも、自らの攻撃性を制御できないことに起因する「進歩から破壊へのサイクル」からは、すでに脱却してしまったことを意味しているからです。 ~  何かと問題とされる政治、「進歩から破壊へのサイクル」から脱却し良識ある開発めざしてほしいものです。 >そのコンピューターは予めそうした人間を抹殺するシステム>>  人間を抹殺するシステム、それは過去において軍事政権においてはなはだしく存在したのではないでしょうか? 日本が文民統制に移行して久しいですが、何の取り得もない過去に逆戻りすることはないのではないでしょうか? >プログラムそのものにミスがあれば>>  原発事故のような無限ループをつくらなければ何とか復旧できるのではないでしょうか? >機械が勝手に自己のプログラムを書き換えるとなると>>  そのようなものすごいメカニズムまだ見たことがありませんが、~ 核兵器の開発や宇宙船の建造などの馬鹿げた事業や、軍事予算などに浪費されているすべての手段を有効に使用することである。第一、これらのことは、人類が一度物質的制約から解放されてしまえば、より有効に、そしてより簡単に研究されるであろう。 ~  良識ある、人道的政治を確立するほうが先ではないでしょうか? >かくして、人の労働はなくなることはないという一例にはなりませんでしょうか?>> ~ 将来はどうなるのだろうか?労働時間はますます短縮されるだろう。一日六時間、五時間、四時間、三時間......と次第に短くなっていくはずである。  逆に、年次休暇は長くなっていくだろう。また引退の年齢は、五十歳、四十五歳、四十歳......と次第に早まっていくだろう。  そのとき人間はどのように時間を費やすのだろう?あなたはどう思うだろうか?ここに一つの問題が浮かび上がってくる。あなたの受けた教育があなたをも汚染し、強制労働の終身刑に同意するようにあなたを形造ってしまっていることだ。人間には二つのタイプが出てくることになろう。一方は、一つの天職「天賦の才」を持ち、余暇もしくは引退後に、自分の好きな領域で自発的に労働することで自己開花する人びと、他方は、余暇を、自分の教養を高めたり文化活動やスポーツなど、各人に応じた娯楽のために活用する人びとである。  各人の自由時間が次第に増えるにつれ、常時あるバカンスでこれらの大衆を楽しませるために、あらゆる種類の作家、画家、詩人、エンターテイナー、芸術家がますます必要となるだろう。あるときは生産者、あるときは消費者というように、各人がその能力と嗜好に応じて自由にその立場を変えるのである。  一定期間(できる限り早急に)が経過すると、労働時間はますます短縮され、引退年齢もますます早まり、最後には義務的労働、強制的労働は完全に廃止されることになるだろう。働くことが好きな人々のみが「自発的に」労働を続けるのだ。そのとき人びとは、「人権宣言」の第一条に「すべての人間は何の代償もなしに、その出生から死亡に至るまで、快適な生活を享受する権利を有する」と記すであろう。 ~  ”働くことが好きな人々のみが「自発的に」労働を続けるのだ。” ~ 社会を変革するためには、まずその社会を構成する個人の変革から始めねばならない。暴力は常に不幸な人々によって引き起こされる。個人の幸福を増進することによって、人間に潜む暴力性を弱めることができる。 しばしば暴力は自分を不幸だと思う人々によって引き起こされる。政治家の技量の全ては、こうして権力の座にある人々を引きずりおろすために、この不幸の意識を強めることにあるといって良い。引きずりおろされた者は、同じ目的でまた同じことをする。こうして人々は常に不満の状態におかれ、ついにはこうしたことの繰り返しの後に、不満のはけ口を外に求め、それが一般的な意識に達すると戦争が起きるのである。 ~  国会における、馬鹿げた事業や、軍事予算などに浪費されているすべての手段を有効に使用することである。第一、これらのことは、人類が一度物質的制約から解放されてしまえば、より有効に、そしてより簡単に研究されるであろう ?

dai1000
質問者

補足

ありがとうございます。 >衣・食・住 、世界中で政治的に達成される必要があるのではないでしょうか? その上の欲求、その後でもおそくはないのではないでしょうか? ええ。ですから、衣・食・住を満たせば、当然、その先の欲求が生じるとい思います。そこに破壊衝動がおきれば、当然に破壊が起きる可能性は存在します。そうした意味もあって、全ての人に衣・食・住を当初から労働もなしで、当然のことのように満たしてしまうのが人類にとって本当に幸福な姿なのか疑問に思うわけです。 実際、衣・食・住の達成を先進国並の水準でとするなら、現状では不可能だと思います。 と、いうのも、これらを満たせば、とりあえずは人口は爆発的に増加します。この人口を支えるには多量の資源が必要になります。この問題を解決するためには資源に限りがありますから、地球という閉鎖空間だけでは現在、技術的な問題もあって不可能です。と、いうより資源の取り合いから国際紛争を招きます。これでは幸福どころか、不幸を招いてしまいます。 それを回避するには貧富の格差を容認して、残酷ではありますが、衣・食・住を世界の全ての人に満たさないようにして人口調節するしかありません。そのためには貧富の格差を容認してしまう貨幣経済(資本主義)はもってこいです。 一方、フロンティアを宇宙圏に伸ばせば、衣・食・住を達成することはできるかもしれませんが、そうなるには、技術的な問題があってまだかなり時間がかかります。 と、なると、最初にやるのは、貨幣経済のさらなる進展による大規模資本を使った宇宙開発の準備が必要になると思います。そのため、こちらの理由からも、貧富の格差をまずは容認して、衣・食・住を満たすことを後回しにするしかないのではないかと思います。 したがって、先にやるのは今、問題にしている衣・食・住の解決ではなく貨幣経済のさらなる進展ではないでしょうか? >何かと問題とされる政治、「進歩から破壊へのサイクル」から脱却し良識ある開発めざしてほしいものです。 hateha2_gooさんは機械にミスはなく人にはミスがあるとおっしゃっていましたよね。と、なると、最初にプログラミングするのはあくまで人間です。この段階でのミスを前提にすれば、当然、機械が暴走しないように、人間が監視しなくてはならない。それは義務であり強制的でもやらねばならない労働ではないでしょうか? >良識ある、人道的政治を確立するほうが先ではないでしょうか? おっしゃるように、人にはミスがあるのですから、100%良識ある人道政治の確立は難しいのではないでしょうか?したがって、100%人道政治を目指すよりは、その割合は時代によって変わるにせよ、経済合理主義50、人道政治50というような、折衷的な政治経済体制を目標にした方がより現実的のような気もしますがどうでしょうか?

回答No.5

⇒No.3⇒⇒ >1.貨幣がなくなるとして、>>  そもそも社会を考察するに、休憩所食堂を常備していない企業、工場、作業場、役所など存在しない! ~  人間が生きていくうえで必要なものがある。衣・食・住がそれである。  社会はこれら三つの物を、すべての人間に何の代償もなしに供給すべきである。 ~  衣・食・住 が何の代償もなしに計画供給される社会、何の問題もないということではないでしょうか。その他の生活用品、生産製造の施設、道具などそれらも万全の計画にて配給されることになるのではないでしょうか。 >もちろん経営者はその機械を設置して無人化することになるわけですが>> ~  人間が団結すれば、必要な仕事のすべてを機械化し自動化するのに、そう長くはかからないだろう。そうなれば人々は、自由に自己の開花に専心することができる。全人類が本気になって事を成せば、数年のうちに人類は労働の義務から解放されるだろう。必要なのは技術的・科学的能力であり、すべての労働者が、物質的制約から人類を解放しようという団結心に燃えて、個人の利益よりも社会全体の幸福のために、一心に働くことを決意することである。...  人間の代わりに仕事をしてくれる、コンピュータや電子装置がすでに存在している。これら科学技術が真に人類のために奉仕するように、あらゆる知識を利用しよう。数年で全く違った世界が建設されるだろう。 ~ >2.と、いうより、労働者がいなくなるとしたら>> 対価 ? ~  人間が生きていくうえで必要なものがある。衣・食・住がそれである。  社会はこれら三つの物を、すべての人間に何の代償もなしに供給すべきである。 ~ とその他etc(だれしもが人間らしい生活を送る権利をもっているのならば、社会のために何もしない者よりも、同胞のために他人よりもずっと多く働く者のほうが、多くの恩恵を受けることになるのは当然のことである。) ということになるのではないでしょうか? >3.また、全ての職業において、労働というものがなくなれば、>> ~ 人間が強制労働の機械、もしくは強制労働の場所へ行く通勤の機械と混同されている限りは、技術は社会の人間性を喪失させることになろう。機械と人間とは決して混同されてはならない。人間は開花のための場所で存在するように造られており、いっぽう機械は、ロボットやコンピューターに管理されて、労働のための場所で存在するように造られているのだ。  人間によって遂行される労働はすべて、必ず機械によって遂行されることが可能だ。人間が行うことのすべてをコンピューターは行うことができ、しかも、人間よりもはるかに上手に行うことができる。人間にはミスがあるが、コンピューターには決してない。  もし地球上の軍事予算に使い尽くしている金額を、工場、生産現場および事務所の改良に投資するなら、七年間で労働は完全に自動化され、人間はもはや労働する必要がなくなるであろう。  人間は自己開花するために造られ、機械は働くために造られている。ロボットが人間の作業を行うべきであって、人間がロボットの作業を行うべきではない。しかし現在、すべての企業で起こっていることは、残念ながら後者である。  それでは、誰が機械を監視するのかと、あなたは私に問うかもしれない。それは実に簡単なことだ。生産手段の完全な自動化に必要な最初の約十年間は、軍隊が、この監視と保持の仕事に配属されることが可能である。あるいはさらに、現に毎年何週間かスイスで行われているように、兵役にかわって、公的サービスが一、二年のうちに創設されるかもしれない。そうすると、召集兵と専門家集団のみが各生産単位で働くことになり、それ以外の人間は完全に自由となる。  もし、その職業、人種、宗教もしくは性別に関係なくすべての人間が、ロボットやコンピューターによる生産で衣食住に必要なすべてのものを供給されるならば、価値あるものはその本来の価値を取り戻し、それに似合うだけの金銭的価値しか持たないものは、価値がなくなるであろう。  例えば、芸術家はその作品が売れるかどうかを、気にかけることなく絵を描くことができ、そしてその作品を、通人気取りや欲がらみではなく、本当に評価してくれていると思う人たちにのみ、与えることができる。 (ラエル)~  今、現在、社会は数々の障害、災害、諸問題を抱えていますが、地道にひも解き、科学技術による解決を考察する実行にうつすどりょく、ひいては世界平和につながるものと考えたいものです。

dai1000
質問者

補足

ありがとうございます。 >それ以外の人間は完全に自由となる。 人には欲望がありますが、衣・食・住が満たされれば、その上の欲求にとらわれるのが普通だと思います。 もしも、コンピューターを管理する人間がいないとどうなるかを考えてみて欲しいのですが、例えば、仮に全てが全自動化され衣・食・住が満たされても、刺激を求める人間が必ず存在すると思います。そういう人は全自動化されたコンピューターシステムを壊すかもしれません。 そのコンピューターは予めそうした人間を抹殺するシステムを備えるということになりますよね。それは人にとっては完全に管理された家畜のような生活とはならないのでしょうか? >人間にはミスがあるが、コンピューターには決してない。 たしかにプログラム通りに動けば、ミスはないですが、プログラムを作るのは人間です。プログラムそのものにミスがあればどうにもならないと思うのですが。 もしも、機械が勝手に自己のプログラムを書き換えるとなると、それは、機械そのものが意思を持つということです。そうなれば、人に対していつも保護者となるようなプログラムで動くとは限りません。 そうなると、やはり、人が管理を永遠に行わねばならないと思うのですが。かくして、人の労働はなくなることはないという一例にはなりませんでしょうか?

回答No.4

日本経済の閉塞感をどの様に打破するか、がとても重要なんだと思います。 その際、最も重要な事は、日本の中心産業をいつまでもモノ作り・製造業に置いておいたままでは、それこそ未来が無いという事を国民一人ひとりが自覚する事が景気回復への早道ではないかと思います。 今の日本経済の低迷は、実は要らない商品が溢れているという点です。 日本が成長する為には、国内の需要を拡大する必要がありますが、残念ながらモノ作り・製造業では拡大が見込めません。加えて、これ以上モノ作り・製造業のジャンルからは画期的な技術革新がとても見込めない領域に突入しています。 これからは、モノ作り・製造業は文明後進国も十分に手がける事が出来るので、日本の優位性が益々失われていきます。加えて、3.11以降は地震・津波・原発事故・風評被害が起きているので、これ以上、日本ではモノ作り・製造業が出来ない環境が益々酷くなっています。 モノ作り・製造業では円高・デフレの問題をクリアする事も出来ませんし、雇用問題も益々深刻化します。致命的なのは環境破壊が起きています。 もはや日本においては360°逃げ道が無いのがモノ作り・製造業です。 これを中心産業に据えている限りは、増税しようとしても、他にどんな政策を立てようとしてもムダです。この20年が示しています。局所的な解決は、解消とは違いますから結果的に解決ではない様に、暫くしたらまた問題がぶり返してきます。 今、最も日本が向き合うべき問題は、モノ作り・製造業に代わる新しい中心産業を立てる事です。そして、その中心産業が成長エンジンを創りながら、日本式経済発展モデルを創出し、投機マネーに流れている莫大なお金の流れを、一気に日本に呼び込む事で、景気は良くなります。 そんな事を一切させなくさせているモノ作り・製造業にピリオドを打ち、日本は速く次なる産業を生み出す事を考えるべき時かと思います。

dai1000
質問者

補足

回答ありがとうございます。 質問です。 >金の流れを、一気に日本に呼び込む事で、景気は良くなります。 具体的にはどうすれば良いでしょうか? >日本は速く次なる産業を生み出す事を考えるべき時かと思います。 具体的にその産業とはどのような産業ですか?

回答No.3

 もし私たちが「既に」一日八時間以上は働かなくなっているとしたら、それは機械のおかげに他ならない。  しかし、明らかに資本主義社会では、このシステムは成功の見込みがない。というのは、例えば工場の所有者は、全労働者を解雇し、かれらにはもはや給料を払わず、そうすることでかつての労働力であった労働者を飢えるままにしておきながら、機械のおかげで自分たちは荒稼ぎするからである。これは不正であり容認できないことである。 百人の労働者に代わる一台の機械を製造させた経営者は、もはや働くことのなくなった百人の労働者たちに給料を支払い続けねばならない。その時機械は、労働者たちがレジャーと開花の文明に入ることを可能にするのだ。  多くの管理職や独立した労働者たちは、数人が共同して一つの仕事を行なうようになってきており、 順番で有給を取ることができる。というのも、かれらは絶えることなく、半分の給料はもらうことができるからだ。  将来はどうなるのだろうか?労働時間はますます短縮されるだろう。一日六時間、五時間、四時間、三時間......と次第に短くなっていくはずである。  逆に、年次休暇は長くなっていくだろう。また引退の年齢は、五十歳、四十五歳、四十歳......と次第に早まっていくだろう。  所得格差の是正から貨幣の廃止へ、この傾向は労働時間の短縮傾向と連動しながら、全地球上で所得格差がO(ゼロ)になる日まで続いていくだろう。所得格差がなくなるとき貨幣はもはや何の役にも立たず、そのとき何の問題もなしに、貨幣を廃止することができるのは明らかである。おそらくその時、もしくはそれより少し以前に、次の根本原理があまねく認められることになるだろう。すなわち「すべての人間は何の代償もなしに、その出生から死亡に至るまで、快適な生活を享受する権利を有する」  「終身強制労働」の廃止は、「配給経済」の確立に依存している。この経済システムが貨幣の廃止を可能にするのだ。  この経済システムは、緒生産単位が、人間がちょうど必要とするものを、多くもなく少なくもなく生産すべきであるという原則から出発している。  人間が生きていくうえで必要なものがある。衣・食・住がそれである。  社会はこれら三つの物を、すべての人間に何の代償もなしに供給すべきである。  国家は廃止されなければならない。実現される必要があるのは、生産手段の国有化ではなくして、世界共有化である。(ラエル)  ”日本政府、税収を目論むしか能がない”が大問題ではないでしょうか?物資生産製造業が機械化オートメーション化して後、作業人員その数が必要とされないは明らか、それは人間を労働から解放するその促進を意味するものではないでしょうか? 日本政府、働く必要のなくなったひとから税をとる、無益若しくは愚か、テレビのフィクションの観過ぎではないかとおもわれます。  _労働時間の短縮傾向、所得格差がなくなるとき貨幣はもはや何の役にも立たず、そのとき何の問題もなしに、貨幣を廃止することができる_。機械化は失業者を生み続けるのであって、在りもしない雇用捏造論を画策し、己の金権延命だけにしがみつく政府、非難を浴びて当然ではないでしょうか?すべての人びとの所得、すべての国民の所得を創造してこそ発展する政治、新時代の政治とはいえないでしょうか?

dai1000
質問者

補足

回答ありがとうございます。 質問です。 >社会はこれら三つの物を、すべての人間に何の代償もなしに供給すべきである。 1.貨幣がなくなるとして、大規模なインフラ等の構築に貨幣を介在させないとしたら、具体的にどのように作ることになると思いますか? もちろん経営者はその機械を設置して無人化することになるわけですが、その設置は貨幣なくしてどうやって設置するのでしょうか? 2.と、いうより、労働者がいなくなるとしたら、いったい誰が、サービスや財を提供することになるのでしょうか?どんなに科学が進歩しようとも、メインテナンスや運営などに人手が全くいらないということはないと思います。そこには労働という状況が生じるので対価が必要になります。このとき貨幣がなくなっているとすれば、それに代わる対価の支払いを何でするのか見当がつきません。具体的にはどういう対価が支払われるのでしょうか? 3.また、全ての職業において、労働というものがなくなれば、科学技術の進歩や芸術までも機械にとって代わられるということになるということですよね。その場合、人間そのものの存在理由はどこにあるのでしょうか?

回答No.2

ソースが何処であれ質問者さまの指摘に誤りは無いように感じます。 >本当に年金を税で担保すれば、日本の構造改革は格段に進展するのでしょうか? しません。そろそろ人並みな最低限の生活を保障するために金を弱者にバラ撒く手法は変えるべき。 例えば富の無い老齢者を集中居住させ補助しただけで管理費が膨大に節約できる。 判断が鈍っている者を自由にさせて孤独死、都市間格差より余程良い。富のある者は民間施設で贅沢すればヨシ。家族の補助が継続されるならそれもヨシ。 >基礎年金を税で担保するというのが、まともな考えではないでしょうか? そもそも現行の年金制度は破綻済み。税収が上がらないとやりくりできない仕組み。税収があがる見込みなど全く無い。 >たしかにこれらの諸策はリスクもありますが成功した前例だってあるのです。 リスクを取らないからこその公務員組織。 >与謝野さんのように‥増税一本やり この人は特別鈍い。一度オオスズメバチの巣に放り込んでやって「ハチに刺された程度の痛み」を教えて差し上げたい。 >どうしたら説得できると思いますか? 増税して税収が上がった歴史は近未来には無い。税収が20兆落ちて権益が下がったと思う公務員の仕掛け。打破すると息巻いた民主党も飲み込まれて現在に至る。 説得するには・・・税収が無くても公務員組織は未来永劫安泰であるという仕組みを作るしかない。 もちろんタコが自分の足を喰って生き延びようとする理屈になる過程であるが。 *シャウプ勧告以来、この国の税制の方向は変ろうとしてきたが根本的に合衆国という地方分権が完成された国と中央集権国家とは沿わない部分が大である。 まず震災対策、公務員改革、地方分権、税制改革とパッケージで考える必要のある中で政治家は長い夏休みを取る様子、公務員は相変わらず保身のため5%給与カットという献身の無さ。

dai1000
質問者

お礼

ありがとうございます。 >リスクを取らないからこその公務員組織。 だからこその政治家の存在なのですが・・・。どうにもならないようですね。 >説得するには・・・税収が無くても公務員組織は未来永劫安泰であるという仕組みを作るしかない。 税収が無くても安泰の仕組みですか。ヒントとしては面白いです。面白い視点です。例えば、具体的にはどんな感じか教えていただけたら幸いです。