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ダウン症の子供が役者として連ドラに出演することについて
- 「生まれる。」の第5話で、ダウン症の子供が役者として出演することが話題となっています。
- ダウン症の子役が所属するプロダクション社長は障がい者への理解が進まない理由として、メディアへの露出が少ないことを指摘しています。
- このようなドラマでダウン症を抱えた子供や成年の人が役者として出演することに対して、視聴者はそれを受け入れるべきかどうか検討されるべきです。
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こんにちは。 お気持ちわかります。 私の時代は障害者は隠す感じがありました。 教室も別とか 偏見な目が沢山あったのでそれを直せって言われてもなかなか・・ ただ、次男が幼稚園の時に障害児を受け入れる幼稚園だったんです。 私の時代の時とは違い小さい時からそれは特別な事ではないんだよって教えられ一緒にお友達として区別なく育つ次男はとても柔軟です。 偏見の目がないんですよね。 今学校も特別教室は一応あってもほとんどが一緒に勉強します(昔は隔離されてましたからね)。子供たちも一緒に過ごす仲間を見る目は素直ですよ。 偏見なんて目でみない 仲間として受け入れている。 親として大人として脱帽です。 私はどうしても 偏見っていうのもおかしいですが、大変だなとか色々考えてしまうので、これもある意味偏見の目ですよね。 子供たちはそれすら考えずに仲間としていますからね。 私の時代の方はもしかしたら違和感感じるかも知れない。 でもこの先の若い世代の方たちがごく普通に見るようになったら世間一般でも偏見の目がなくなる時代がくるように思います。 私は賛成ですしどんどん出て欲しいですね。 確かに違和感ないって言われたらありますよ。そういう時代に育ったので・・ でも先の未来を考えるととても素敵な事に思います。
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- hyakkinman
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♪そうさ僕らは、世界にひとつだけの花… 気にしたり、違和感を覚えるほうがおかしいです。 「大英断」っていう言葉が、悲しいですよ。
お礼
>気にしたり、違和感を覚えるほうがおかしいです そうなのですが、大英断といったのはこういう理由です。 ダウン症という症状は昔からあったと思いますが、こういう形で真正面からドラマに出てくるというのはつい最近のような気がします。 ならば、そのタイムラグは何を意味するのか?というのが疑問でした。 もしかしたら、かえってそういう方を傷つけることになるのではないか、見る人を気の毒にさせるのではないか・・・というような(勝手な)解釈が、結果的に阻害するような差別や偏見を生んでいたのではないかという感じがします。 テレビというのは影響力がありますから、なおさらそういう部分で保守的な体質になっていると思いますが、それに対しての今回のドラマということで大英断という言葉を使いました。 回答を頂き、ありがとうございました。
私は、日本のドラマを見る気はないですし、もちろんこのドラマを見ていないので何とも言えず、また何とも言うつもりはないのですが、日本人の悪いところは、すぐに自分は否定派につくか、肯定派につくかの「損得勘定」で物事を決めることです。 ですから、どちらかの意見が優勢になるとみんながその優勢な意見に飛びつき、それが正解となってしまうのです。 まさに主体性を持たない人種ならではの判断方法ですが、だからどんなことでも極論になりやすいのです。 具体例をあげれば「被災地の人に"頑張って"の言葉はダメだ」とか「花見は被災地の地酒を持ってやればいい」とかです。 それが馬鹿馬鹿しいルールであることに気づかない日本人の馬鹿さ加減にあきれてしまいます。
お礼
質問としては2択のような感じですが、人それぞれいろんな意見がありますからそれにとらわれなくてもいいような気がします。 むしろそういうことにとらわれない意見を聞きたいと思っています。 回答を頂き、ありがとうございました。
こんにちは。 今回のご質問でlocaltombiさんのイメージが… 『あれっ!こんな一面もお持ちなんだ』と言うのが、 ちょっぴり寂しく感じました。 >私たちが抱いているタレントのイメージは、きれいで格好がよくて、 >個性的な人もそれなりに魅力があってと きれいで、格好よい方ばかりだったら… ドラマも映画も成立しないと感じます。 ドラマも映画も、小説も他の創作物も 『何かのメッセージ』を伝える為に作者は意図しているはずです。 それは“個性の対比…つまり、個性の尊重”が底辺に必ず在ると思います。 ダウン症然り、障害者然りまた他の呼び名も、 “ひとがひとをラベリングした”無用の境界線。 その境界線の内と外、右と左では必ず、 『自己側の肯定、他者側の否定』が行われ、 その境界線はやがて、『争い、衝突の前線』になるのは明白です。 NHK 福祉ネットワークと言うプログラムでは、 『様々な個性を持った方』がコメンテータとして活躍しています。 “ヘレン・ケラー”のお話はご存知のはず。 また、“画家、歌手、楽器奏者…”クリエーターは、 『個性ゆえの視点、感性』で創造しています。 それは例えば、身長140cmの方が見る世界と 190cmの方が見る世界の『見え方の違い』であって、 そのどちらも『世界』である事には変わりは無いはずです。 身長140cmの方が気づいた事を、 190cmの方が教えてもらえれば世界観は広がります。 勿論逆も同じです。 >テレビもそういうことをタブーとしない時代が来たのか、と思いました それはこういうことでしょう。 『あるべき姿、求められるべき姿』をメディアは一企業として、 収益の為に、つまりマネー資本主義の為に『良いトコ取り』してきただけ。 (その結果、数々の“やらせ”や“誤解”を生みつづけてきた。) 『ありのままの姿、あるがままの姿』では、『儲けが出ない』と言う卑賤。 それらが『様々な隠蔽工作、表面上の事なかれ…の実体』なのです。 そしてその体質が “ あらゆるモノ ” を蝕み、 『マネー資本主義』の名の下、闊歩してきたのです。 特に『高度成長期』と呼ばれた時代に、それらは増殖し、 各種バブルで“変異”し、金融破綻で“新たな耐性”をつけてきたのです。 …今回の件“ひと”がテレビに出演する。それだけのことです。 ひとが『演技する』… つまり『自己と言う本質(人)、日常のサイクルを一時的に“非”する』、 人偏に“非”…それが“優”れていれば、立派な“俳優さん”であり、 それは“認知された職種”でもあるわけです。
お礼
>私たちが抱いているタレントのイメージは、きれいで格好がよくて、個性的な人もそれなりに魅力があって まず確認しておきたいのが、ダウン症の方を卑下するとか差別するとか、そういう意図では決してありません。 タレントがきれいなのに対して、ダウン症はこうだから・・という意味でもありません。 問いたかったのは、ダウン症の症状はずっと昔からあったと思いますが、今回のようにドラマやバラエティなどで出てくることがなかったのは何故なのか?という疑問です。 ダウン症に限らず何か身体的にハンデを負った人を登場させることは、かえって本人を傷つけることにならないか、見る人を気の毒にさせないか・・そういう「見えない垣根、偏見」があったからこそ、実現しなかったのかと思います。 もちろん営利という側面はありますが、そういう「負とイメージ付けられてきた何か」は出さない方が無難という意識が浸透して闊歩してきたので、今までこういう形で見ることができなかった(見せてこなかった)思います。 芸術家も「個」の表現です。芸能人も言葉の通り「芸という個」をどのように発揮するかで評価されます。 ダウン症の方も同じ「個」であって、そこには何の違いもないのですが、「個の曲解」によってあらぬ方向に曲げられてきてしまったことが、今回のドラマをきっかけに何かが変わるきっかけ(トリガー)となって欲しいという期待もあります。 実際どう変わるか分かりませんが、流す側も何かを感じ取った末のことかと思いますから大英断ということです。 回答を頂き、ありがとうございました。
おはようございます。 今までにも松田聖子さんの出演したドラマ ? でもあったと思います。 それで感じるのは必ずしもダウン症だから出演がという社会が生み出した偏見だと感じます。 今は表向きは何も障害も無いように感じていても、心に障害を持っていたりしている方もいます。 また、特別視する人こそある意味障害を持っていると感じます。 以前ドキュメンタリーでは今までにも見たことがありますし、私はいいと思います。
お礼
>ダウン症だから出演がという社会が生み出した偏見 私も知り合いのお子さんはダウン症ですが、とりたててどうということはないのですが、やはり世間というか街中というか、そういう目で見てしまう人はいますね。 実際に接してみれば何ともないのに、先入観というかイメージでのみで語ってしまう、感じてしまうからいけないのかと思います。 回答を頂き、ありがとうございました。
- gogozenko
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こちらの投稿を読んで、真っ先に思いついたのが、先日観た映画の「八日目」です。 カンヌ映画祭で他部門の受賞をした映画ですが、 これはダウン症の人たちが俳優としてすばらしい演技をしている映画でした。 日本のドラマへの出演は、私は 日本人の隠す文化を打ち破る良い機会になると思います。
お礼
>日本人の隠す文化を打ち破る良い機会 この言葉を聞いて思い出すのは、かつて問題となったハンセン病です。 人里はなれた場所に隔離されて、産んだ子供は殺され、結婚もできず、一生のほとんどを差別や偏見の中で過ごした人の人生は壮絶でした。 今回のドラマが、日本の何かを打ち破る契機となればいいような気がします。 回答を頂き、ありがとうございました。
- meimeisan
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アメリカの、名前は忘れましたが、ティーン向けの連続TVドラマでダウン症の10代の役者さん(高校生の役でしたので、多分役者さんも10代だったと思います)がでているのをかなり前に見たことがあります。 http://www.ds21.info/?p=1034 自分は上のページに紹介されているコーキーとともにというアメリカのドラマを見て、ダウン症は珍しくない症状で、個性の一つというふうに考えられるようになりました。社会から隠したりするものではないと。 日本のTVではほぼドキュメンタリーのみだったのが、俳優として出演するというのは、画期的だとも思いますし、やっとか、とも思います。これが「大英断」だとしたら、ちょっと日本のTVの現状は寂しいものだなと思いますね。
お礼
そうなんですね、他の方も言っていますが、それもひとつの「個」なんですが、今までは「個」が芸術とか歌唱とか芸能とか、そういう部分でのみしか評価されずに、その解釈が極めて自己都合的に利用されてきた結果、自然と排斥されたのかと思います。 ですから、そういう考えが払拭されたのならば(あるいはそういうきっかけが生まれるならば)大英断といえるでしょうね。 回答を頂き、ありがとうございました。
- ho_orz
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Yahooトップでこのニュース見たが、「別にどっちでも良い」ってとこが正直な感想。 障害抱えてようと無かろうと、ドラマが成り立つなら別にどうでも良いんじゃね?
お礼
>障害抱えてようと無かろうと、ドラマが成り立つなら別にどうでも良いんじゃね 究極的にはそういうことかも知れませんね。 でも、そこに至った事情がどうなのか知りたい気がしました。 回答を頂き、ありがとうございました。
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お礼
根本的に間違っているのは、自分と違う人・・・それは性格であったり容姿であったりしぐさや言動であったりですが、そういう人はおかしいと短絡的に思ってしまうことかと思います。 もちろん社会常識的におかしい、マナーやルールができていない人はおかしいといってもいいかも知れませんが、そういう次元ではない「人そのもの」について異端視する風潮は、昨今の学校におけるイジメにも通じる問題かと思います。 おっしゃるように、私も小学校の時は「特別学級」というのがありましたが、“特別”という名前からして偏見的ですね。 回答を頂き、ありがとうございました。