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海外による禅の受容について
他国の人たちに日本の禅が人気ということですが、それは何故でしょうか? 終戦以降では日本の文化などは他国から相手にされなかったという個人の考えがあります。 では、いつから日本の東洋文化が広まっていったのでしょうか? 背景として何があったのか。 気になるので教えてください。 お願いします!!
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「他国の人たちに日本の禅が人気ということですが、それは何故でしょうか?」 禅宗に興味を持つ外国人に知りあいが居ないもので個々の外国人の考えはよくわかりません。 室町時代にできた日本文化の多くは禅宗の影響を受けています。 能や茶道、建築や作庭など、特に茶道は茶味禅味とか茶禅一如などといわれ禅宗の結びつきは大きいです。 茶道は総合芸術ですのでその裾野は広く、日本人も意識せずに生活様式や行動規範あるいは、価値観に茶道や禅が入り込んでおります。 古い日本固有の文化あるいは日本的な文化に興味を持つ外国人が禅宗に興味を持ってもおかしくはないと思います。 明治以降、曹洞宗は海外での布教活動に熱心なようです。 臨済宗の人ですが戦前戦後を通してでしたら鈴木大拙の功績が大きいのではないでしょうか。 「終戦以降では日本の文化などは他国から相手にされなかったという個人の考えがあります。」 アメリカだけを見れば、日本との戦争によって日本研究に多額の予算をつけ、戦後大量の知日派、親日派など日本研究者が育ったと言う側面もあると思います。 戦後日本の文化が海外に相手にされなかったというのは、戦後はアメリカの模倣が忙しく、大した文化を生み出せなかった時代ではあると思いますが、それ以前の文化まで海外が相手にしなかったわけではないと思います。 「いつから日本の東洋文化が広まっていったのでしょうか?」 ヨーロッパでは19世紀のフランスを中心にひろまったジャポニズムが有名だと思います。 それ以前では柿右衛門など伊万里の磁器は王侯貴族や富裕層にもてはやされており、伊万里に特注の磁器の生産を依頼しておりました。ジャポニズムが発生する背景としては、日本から輸出する磁器のパッキン替わりに詰めていた浮世絵が一部のコレクターにもてはやされていたとか、印象派の画家に影響を与えたとか言われています。 1867年のパリ万博に幕府や薩摩が出展、ずいぶん注目され、話題になったようです。このあたりからジャポニズムの影響を受けたものが大量に出始めます。
お礼
なるほど… そう言うことだったんですか 解答ありがとうございました!