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いじめとハムスターを飼育放棄
わたしはいじめがありハムスターの飼育を放棄しました 最初は可愛がってました 母親に任せました 夏でした ほんとに自分のことで精一杯でした 皆さんはどうおもいますか 小学五年のときでした 余裕があれば違ってたのに
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個人的な意見です。参考程度に。 別にお母さんがその後かわいがっていたならハムスターも問題はない話だと思います。犬、猫でも子供にせがまれて飼育しても最後には親が一生懸命育てていたという家はありますよ。せいぜい、親から説教はあっても「家族」として迎えていれば誰が世話をするかは関係ありません。ましてや小学生ならある話です。一応、私の経験でも話しますが学校で低学年が世話を受け持っていた「ウサギ」小屋に上級生が野良イヌを入れ、全滅させたことがあります。今として思えば残酷な判断を簡単にしてしまう年齢ですし、かわいそうな話ですが「命」を学ばせるにはいい機会だったのかも知れません。 質問者はおそらくもう大人かもしれませんが、大変厳しい言い方ですが「余裕があったら違った」は逃げです。人生にリセットはありませんので起きてしまったことは覆せません。だから生き物を育てると言うことは「死ぬこと」も考えないといけません。別に十分に飼育知識に余裕があり、愛情を持って育てたとしても寿命が短いので数年で死にますし、そもそも死にやすい生き物です。ただ、かわいそうな話ですが「ペット」でよかったと言えるでしょう。人間社会でも「死」は必ず付きまといます。正直な話あなたの近しい人である両親や祖父母など年上の方はあなたよりはなく死ぬことでしょうし、自殺や事故、病気でも亡くなります。必ずそういう「喪失感」をあじわうことになるので乗り越える耐性もつけないと大変です。ですので、「余裕があれば」とか「他人に任せた」と言うなら「強くなってください」別に肉体的な強さではなく人間的な強さをつけましょう。どうも見ていて、「(言い訳的な)理由にしたい」や「他人からの評価(憐れみや罵倒)」のように見えます。そんなものより「自分」が納得する(許せる)ようにしないと何も変わらないと思いますが?
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- obrigadissimo
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ハムスターの身になって考えてみるのも 1つの方法ですね。どうして急に 愛してくれなくなったんだろうとショックを 感じていたかもしれませんよ。 イジメがあると その現実に向き合って解決しようとせずに、 逃げたりしちゃいますけど、イジメる側には 理由があり、小学5年生は、もはや、 子どもではないので、心の抽斗を増やして イジメを分析し、シッカリそれを調査して、 問題を解決してあげれば イジメ加害者の魂を救えてました。 子ども=10歳未満。
お礼
脅迫みたいなかんじだった怖かった ハムスターはちら見ぐらいは毎日してた 気にはなっていたが氷ぐらいしかいられなかった
そのことをすごく後悔されているのですね。お母様に任せたというだけで、殺してしまったとか八つ当たりしてしまったわけではないので、全然大丈夫だと思います!!ちゃんと、信頼できる人に預けるというのも大事な飼育の一つだと思います 事の重大さは全然違うけれど、私も4歳のとき旅行から帰ってきてすごく疲れているときにきちんと片づけをしないのなら小鳥のぬいぐるみを捨てるか?片づけるか?と父に迫られ、あまりに疲れていたので捨てると言い捨てて寝てしまったことがあります。そのことが今もすごく心残りなので質問者様の気持ちがわかります。 今その経験を生かして、小さき者に責任を持ったりいつくしんだりすることを忘れずにいようと思っています
お礼
でもね母親知識なかったから涼しいからって日当たりの良い場所においたの わたしだめだっていえなかった
- 1964orihime
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母親の立場です。 私だったら・・と言うことでお答えします。 いろいろな考えはあると思いますので、一例として読んでください。 イジメがあったのですか。 最初は一生懸命世話していたのに、余裕がなくなってしまったのですね。 辛かったですね。 親であればと言うか、家族であれば貴方がしんどい状態なのがわかっていたと思いますよ。 確かに口では、「まったく、自分で世話をするって言ったのに~~口ばっかりなんだから」とか言うと思いますが、心の中では、早くまた世話ができるように元気な状態に戻って欲しいと願います。
お礼
なんかね自分でもね なんで余裕ないんだろうとか はあはあ毎日いってた 身体が余裕なかった 気にはなってたから自分なりに氷おいたりしたけど…あとはちら見ぐらい
お礼
よく考えてみたら毎日観察はしてました しんだときは花をあげました 自分は結局父親と同じだったんです