※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:独断で進路を決めた過去(普通だったかな??))
独断で進路を決めた過去(普通だったかな??)
このQ&Aのポイント
親にも先生にも友達にも誰にもまったく何も相談しないで大学とか学部とか学科とか決めて勝手に進学した方おられますか? 今後悔しておられますか? 親は当時ありがちだった「学校任せ」の教育方針で、学校が、ある意味何も教えない事を知らなかったくらいだったのかな。先生が40人もの生徒の進路とか細かく心配する暇なんか無いの、考えればわかると思うのですが。結局、世の中にどんな職業があるのかとか、大学の各学科では何やってるかとかあんまり知らないで、仕事やれる自信が無くて、時間が欲しいので進学しただけでした。
思い出すと徒労感がふつふつと沸いてきます。親にも先生にも友達にもまったく何も相談せずに進路を決めたことで、自分の将来に不安を抱くようになりました。周りの人々が進路について真剣に考え、助言を求める中で、自分だけが自分自身で進路を決めたことに後悔を感じるようになりました。今でも、他の人たちが進路の決め方を慎重に考える中、自分はただ単に時間が欲しかったから進学しただけだという思いがあります。
独断で進路を決めた過去の経験から、自分の見識の狭さを痛感しました。親や先生、友人からの助言を受けることなく、自分だけで進学を決めたことで、自分の可能性や興味が限定されてしまったのではないかと思います。今思えば、進路の選択についてもっと深く考えるべきだったと後悔しています。次世代の若者たちには、自分の夢や興味に基づいて進路を選ぶことの大切さを伝えたいと思います。
こんにちは。
←なんでしたらプロフィールご参照ください。
質問は単純なんですが、まあ、30年くらい前の話なのですが、
「親にも先生にも友達にも誰にもまったく何も相談しないで大学とか学部とか学科とか決めて勝手に進学した方おられますか? 今後悔しておられますか?」
ぐらいの感じなんですが、親は当時ありがちだった「学校任せ」の教育方針で、学校が、ある意味何も教えない事を知らなかったくらいだったのかな。
先生が40人もの生徒の進路とか細かく心配する暇なんか無いの、考えればわかると思うのですが。
「将来の夢は?」とか、一度として親に聞かれた記憶が無い。
「なるべく金を稼げ」ともなんとも言われていない。
結局、世の中にどんな職業があるのかとか、大学の各学科では何やってるかとかあんまり知らないで、仕事やれる自信が無くて、時間が欲しいので進学しただけでした。
なんか、滅多に無いくらいのネグレクト家庭教育だったような気もしなくもないんですが、まあ、「夢」が「サラリーマン??」で、ほんとにサラリーマンになったので良かったんですかねえ。(引退モード)
思い出すと徒労感がふつふつと沸いてきます。
では、よろしければご回答いただければ。「相談して随分考えた」とか、「俺もそうだ」くらいの返事でかまいませんので。
以下、参考に自作の小説より抜粋。読まなくてもかまいません。(爆)
「僕はデフォルトで成績が優秀だったようで、勉強しろとかほとんど言われたことがなかったんですが、他所の家の苦労とかあんまり身につまされるようなことがなかったじゃないでしょうか。親父は戦中とかにまったくスポーツですとか出来ない状況で農業を始めたので、僕も特に運動とかしなくても農業が出来るから大丈夫だと思ったのかもしれません。農業の手伝いは随分したつもりなんですが、水中眼鏡も新しいスキー板もグローブもサッカーボールも、何も与えてもらえませんでした。小学生のときからスコップとか使ってたんですが、かえって体を動かすのが嫌いになりました。大学で学費がかかって農業の他に建設会社などにも働きに行かざるを得なかったので、父も恩に着せたいと思うんですが、たとえば高卒でも公務員になれるとか、進路のこととかまったく心配してくれないで、それどころか子供の頃から教育のことをまったく考えてもらえないで高校主席で大学に進学しただけで恨まれるのも困りますね」
「高校主席なんですか」
「共通一次試験が八九〇点くらいでした」
「こんな田舎でですか、すごい!」K医師は急にびっくりしたようだ。表情が変わる。
「先生も共通一次試験受けられましたか?」
「札幌で塾とか予備校に行きましたが、それより低い点数でした」
「小学生の頃一回親にそろばん塾に行かないか薦められたことがあるんですが、家計を気にして行かないと言ったら、『経理の仕事ができなくなる』ともなんとも説得されないでそれっきりになりました。高度経済成長期くらいのことかなあ」
「大学受験とか、独学ですか? 随分高校の勉強と様相が違うと思うんですが」
「まあ、O社のラジオ講座とか聴いてましたが。まあ、国立大学だけでもいろいろあるし、落ちるところを受けなければいいだけの話です」
「まあ、医者もまあ、特殊といえば特殊な職業ですからね。まあ、就職のポイントで勝負をかけましたか」
「いや、大学ではさっぱりやる気をなくして、やっと卒業できました。霞ヶ関のキャリア組みとか狙えとか言われてもしらけてたでしょうね。そんな事いう人物は周りにいなかったんですが」
「高校までのモチベーションはどうなってしまったんですか?」
「いえまあ、昔からやりたいことをやっていただけかなあ。やりたい職業のビジョンがなくて困ったかな。時間が欲しくて進学したようなもので、それで大学以降うまく行かなかったのだと思います。働いている自分を想像したこともなかったな」
「ビジョンがなくて勉強なさったのですか」
「まあ、クイズみたいで面白かったからかなあ。自動車を運転している自分を想像したこともなかったです」
「それだけ農業などの生活が不毛だったということなんでしょうかね」
「そうですね。高校で喫茶店に行ったこともなかったです」
「そういうのが貧困ということなんでしょうかね。私もあらためて考え直さなければいけないかもしれない」
(『暁』)
お礼
お忙しいところ、ご回答ありがとうございました。 「後悔してない」所が良いですね。 僕はいまだに「北大農学部だったかなあ」とか思います。なんか街の人のペースに合わせられなかったんですよね。 大学、社会人、煮え切らない日々でした。 なんのかんのいって、親のあとを継ぐような事、仕事内容を知ってるだけに躊躇することが多いんですよね。それでなんか「隣の芝生は青く見える」で、工学部行っちゃったんですが、まあ、当時農業が構造不況産業みたいだった事もあって、まあ、親も文句言わなかったんですが、アドバンテージを活かすなら農学だったと思います。 今はていたらくというか、年金生活なんですが、夢というか、本当は好きだった文学活動(ウェブ上の)とか出来て、今現在の生活は嫁がいない以外満足はしています。 今のところ、統合失調症患者の個人ページとしては国内アクセス数第2位になっています。 ほんと、何やればよかったかよくわからない僕ですかねえ。 経済的にきつい実家で、将来への夢を持てなかったのですが、若い方とかにはどんなに辛くても夢を忘れないでいただきたいです。 では、ae-1spさんもお元気で。 ありがとうございました。