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北方領土問題

学校のテストで、北方領土問題について 1000字程度で論述が出題されます。 ポイントなどを教えてもらいたいです。 実際に論述していただけるととても参考になります。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • kicho
  • ベストアンサー率14% (173/1192)
回答No.9

追伸 そういえば,湾岸戦争もイラク戦争もやったのはブッシュだったな。どういう因果関係か,ブッシュ親子は戦争好きだな。

  • kicho
  • ベストアンサー率14% (173/1192)
回答No.8

正解は先の方が書いたとおりです。国後と択捉は千島に明確に含まれます。これと歯舞・色丹の「北海道の一部」の島をごっちゃにしているのが問題です。ですので,政府の主張は国際的に通用しません。 しかしながら,わたくしは先の方とはちょっと視点が違います。やはりアメリカにもソ連ロシアと同等の責任があります。というよりも,この問題の根本的原因はやはりアメリカの二枚舌にあるといわざるをえません。裏でアメリカが汚い糸をひいていたのです。 (1)自国の犠牲者を少なくするためにヤルタの密約で勝手にソ連に対して千島の「引き渡し」をみとめる餌を与えた。 (2)サンフランシスコ条約で国後と択捉を含む千島を放棄をさせた。 (3)日ソの平和条約締結に横やりを入れて破たんさせたこと。千島をソ連に「引き渡すため」に放棄させておきながら,日ソ条約調印まじかに今度は「国後・択捉は日本領なのだから返還要求せよ。さもなくば沖縄は永遠にかえさないぞ」と恫喝して,条約調印を破たんさせた張本人・アメリカ国務長官ダレス。 日本もソ連(ロシア)もアメリカの謀略にまんまと引っ掛かったのです。アメリカはこういう謀略を非常に得意とします。ソ連(ロシア)もアメリカもどちらも大国主義で一皮むけば本質は全く同じなのに,印象が全然違うのはこういうことによるものです。アメリカが謀略に長けていて3枚くらい上手なだけです。 その証拠に, (1)1990年代の湾岸戦争 イラクに侵略されたクウェートを奪還するなどという大義名分で始まった戦争。戦争により石油が流れて汚染された水鳥のいたましい映像が配信されて,イラクのフセイン政権が悪の頭目・極悪人にされました。が,アメリカのやらせ映像であることが後でバレています。  (2)2000年代のイラク戦争 大量破壊兵器の隠匿を口実にフセイン打倒の戦争を起こしましたが,結局,大量破壊兵器も核兵器も発見されず,ウソだったことがバレています。 自由と正義を大義名分としてこういう「戦争犯罪人的」ことをしているのですからね。これに対して,アメリカを戦争犯罪で断罪した人はいませんねぇ。それどころか,TVを見ている我々も積極的に支持していました。 謀略とは恐ろしいものです。

回答No.7

多くの国が正式には南樺太・千島列島(択捉・国後を含む)・色丹・歯舞のロシアによる領有を認めていません。 サンフランシスコ条約第25条でロシアによる南樺太・千島列島(択捉・国後を含む)・色丹・歯舞の領有は明確に否定されています。 第25条 「この条約の適用上、連合国とは、…当該国がこの条約に署名し且つこれを批准したことを条件とする。…この条約は、ここに定義された連合国の一国でないいずれの国に対しても、いかなる権利、権原又は利益も与えるものではない。また、日本国のいかなる権利、権原及び利益も、この条約のいかなる規定によっても前記のとおり定義された連合国の一国でない国のために減損され、又は害されるものとみなしてはならない」 ソ連(ロシア)は連合国の一員として太平洋戦争に参加していますが、サ条約に署名していないのでサ条約上の連合国ではありません。この条文の存在により、サ条約を批准した46カ国は、ソ連(ロシア)による南樺太・千島列島(国後、択捉を含む)・色丹・歯舞の領有を正式には認めていません。 1952年3月20日にアメリカ合衆国上院は、「南樺太及びこれに近接する島々、千島列島、色丹島、歯舞群島及びその他の領土、権利、権益をソビエト連邦の利益のためにサンフランシスコ講和条約を曲解し、これらの権利、権限及び権益をソビエト連邦に引き渡すことをこの条約は含んでいない」とする決議を行っています。 2005年7月に欧州連合(EU)の欧州議会で北方領土を日本に返還するようロシアに促す決議案が採択されています。 ロシアは日本に対し「サ条約第2条cにより日本の放棄した南樺太・千島列島はロシアのものだ」などと主張しています。 ロシアがサ条約の条文を用いて、サ条約の有効性を認めるとすれば、この条約に存在する別の条文(第25条)もロシアは有効と認めたこととなります。ということは、ロシア自身がロシアによる南樺太・千島列島(国後島・択捉島を含む)・色丹・歯舞の領有を否定することを宣言したこととなります。 しかし、実際にはロシアは、南樺太・千島列島・色丹島・歯舞群島を国際法上何の根拠もなく、サ条約第25条に違反しながら、これらの地域の占拠を続けています。 ロシアは自分にとって都合のいいことしか言わないのです。 ただし、今の日本政府は四島返還論を主張していますが、四島返還論自体が「国後・択捉は千島列島にあらず」などという嘘が混ざっているので、ロシアから簡単に反論されてしまいます。 日本には千島列島に含まれる国後・択捉を領有する権利は法的にないにしても、歴史的いきさつから判断すれば、国後・択捉を領有する権利はあります。よって、返還を求める権利も存在します。千島列島に含まれない色丹・歯舞は法的にも歴史的にも日本に領有する権利は存在します。反面、ロシアには国後・択捉・色丹・歯舞を領有する権利は、法的にも歴史的にも全く存在しません。 1945年のヤルタ密約についてはルーズベルト米大統領が合意したのは事実ですが、実際にはその前に、1944年12月14日にソ連のスターリンはアメリカのハリマン駐ソ大使に対して「南サハリン(南樺太)とクリル諸島(千島列島)がソ連に「返還」(千島列島については「返還」という表現は不適当)されなければならない」と述べています。また、この時には大連、旅順の港湾の租借や東清鉄道と南満州鉄道の租借権なども要求しています。ヤルタ会談の前にスターリンの要求があったことを見落としてはならないと思います。ソ連(ロシア)の要求があったからこそ、米兵の犠牲者を減らすためにはルーズベルトも拒否できなかったということなります。そもそもの元凶はスターリンの野望なのであって、アメリカはその上に乗っからざるをえなかったのであり、アメリカよりもソ連の対日参戦のための条件をアメリカに示して受け入れるように要求したソ連(ロシア)こそが非難されるべきなのではないでしょうか。ソ連(ロシア)の要求がなければ、アメリカもそんな条件に合意する必要はなかったわけですし。 逆にソ連は米英に対してヨーロッパで参戦を求めましたが、米英はソ連に見返りなど求めていません。ソ連(ロシア)はヨーロッパでも支配地域(ポーランド東側など)を拡大しています。第二次大戦で支配地域を拡大したのはソ連(ロシア)ただ一国なのです。 第二次大戦におけるソ連(ロシア)の戦闘については、ソ連(ロシア)が第二次大戦を利用して、連合国の一員という仮面をかぶって、ヨーロッパや日本領へ侵略したというのが、実態なのです。アメリカよりもまずソ連(ロシア)が非難されるべきでしょう。

  • iamyou
  • ベストアンサー率26% (31/117)
回答No.6

 人の褌で相撲を取るのは汚く不衛生ですよ。やめましょう。

snowfruits
質問者

補足

でました!! こういう質問をすると必ずそういうこと言う人いますよね

回答No.5

結局、詰まるところ、日本の敗戦の仕方に問題ありき、なんですね。 ヤルタ会談は、昭和20年2月4日~2月11日だったと思います。 事実上、勝敗を決した、連合国と三国同盟なのですが・・・・。 昭和20年7月26日が「ポツダム宣言」の日ですから。 もし、呑んでいれば、原爆投下もありえませんでした。 済みません。話が脱線してしまったようです。 検索エンジンを駆使なされれば、参考文献は、いくらでも、あるでしょうから、是非、学習に役立てて、頑張ってください。

  • mtguzzi
  • ベストアンサー率23% (3/13)
回答No.4

他の回答者の方々の内容に補足する感じで、回答します。 1945年ヤルタ協定の際、アメリカは千島をソ連に引き渡しました。 また、なぜソ連の北方領土の実効支配が認められたかと言うと、 当時の西欧諸国の植民地主義は、実効支配が有効だったからです。 自分とこも力でねじ伏せている土地があるのに、ソ連に対してだけ「やめろ」とは言えないですし。 また、1956年、日ソ共同宣言のなかで、 日ソ間の平和条約締結に向けて交渉する中で、北方領土問題について解決しようということになりましたが、いまだその条約締結には至っていません。

  • dai1000
  • ベストアンサー率24% (170/699)
回答No.3

北方領土とは、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島、その他内閣総理大臣が指定する「北方の地域」を指し、日本固有の領土である。この領土は、当時のソ連が日ソ中立条約を破棄し、不当に日本国領土を侵略したものである。 北方領土の歴史は以下である。 1855年、日本とロシア帝国は日露和親条約(下田条約)を結び、択捉島と得撫島の間を国境線とした。 1869年、蝦夷地を北海道と改称。このとき国後島・択捉島の行政区分をあわせて「千島国」とし五郡を置いた。 1875年、日本とロシアは樺太・千島交換条約を結び、「それまでロシア領だった千島諸島のグループ」を日本領、樺太をロシア領とした。条約締結後、当時の行政区分で「千島国」と定められていた国後島・択捉島に、得撫島以北を編入し、国後島から占守島までが千島国になった。 1941年、日米開戦 1943年、モスクワにおいて米・英・ソ三国外相会談が開かれる。この席上、米国はソ連に対して、南樺太と千島列島をソ連に与える見返りに、対日参戦することを求めた。 1945年、8月~9月において、ソ連軍、北方領土制圧完了。 1951年、サンフランシスコ講和条約で、日本は千島列島を放棄する。平和条約国会で、政府は、日本が放棄した千島列島の範囲に、国後島・択捉島が含まれると説明。 1956年、2月において、日ソ交渉に先立って、サンフランシスコ条約起草国である米国や、英国、フランスに対して、同条約中、放棄した千島の範囲について問い合わせを行う。その返答は以下であった。 米国:北方領土は常に日本の領土であったので、日本に主権があることは正当として認められなければならない。 英・仏:日本に好意的な回答は得られなかった。 この北方領土だが、戦後において長い間様々な交渉が重ねられてきているが、未だに、ソ連の後身であるロシアが占領しており、返還が実現していないが、以下のような解決策が提示されている。 <四島返還論>日本の政府が公式に主張する解決策である。四島とは、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島のことである。 <二島譲渡論>ロシア政府が公式に認める唯一の解決策である。二島とは、国後島、択捉島のことである。 <三島返還論>歯舞群島、色丹島、国後島を日本領、択捉島をロシア領。 <共同統治論>歯舞群島、色丹島、日本領、国後島、択捉島を共同統治。 <面積2等分論>歯舞、色丹、国後島、択捉島の25%を日本領、択捉島の75%をロシア領。 <千島列島全島返還論>共産党の主張する解決策である。全千島列島をロシアが日本に返還。 <二島返還論>歯舞群島、色丹島を日本領。国後島、択捉島は継続協議。 最後に、これは論文に入れる必要はないと思いますが、北方領土を奪回するには、まずは、韓国に侵略された竹島奪回が先で、竹島奪回の前に、憲法9条改正が必要で、それ以前の問題として、尖閣諸島の防備を固める必要があると思います。尚、竹島奪回は武力奪回も含めて考えないと、実現は困難でしょう。1000文字越えてますが、何とか縮小してみて下さい。

回答No.2

旧ソビエト連邦だった時代のスターリンが大日本帝国に敗戦、一週間前に宣戦布告してから、南樺太、千島列島、北方領土を占領されました。 話は飛びますが、今の北朝鮮の政府、いわば、ロイヤルファミリーを作ったのも、スターリン時代です。金日成(キムイルソン)を主導者として、選んだのも、スターリンです。 ウィッキペディア等で、北方領土問題、また、金日成、スターリンなど、検索なされれば、回答を得ることができます。 お勉強、頑張ってくださいね。☆ミ

noname#134018
noname#134018
回答No.1

北方領土問題は、自民党政権時代、返せ、というのは口だけで、返してもらうどころか、実際には、お土産までつけて、あげてしまっています。現在、ビザなし交流までさせて、北方領土でロシア人の豊かな暮らしを実現させてしまっているのが、その成果です。北方領土問題対策協会という、天下り団体を作って、天下り官僚にベラボウな税金を払っているだけになってしまっています。

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