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人を嫌う気持ちが嫌になり、考え方を変えました
私は嫌いな人がたくさんいました。 最近そんな気持ちに自己嫌悪するようになり、考え方を変えようと努力をしました。 周囲の人は悪くない。周囲の人がそういう人なのは、その人のせいではなくて、その人の親、先祖、その人の周囲が悪いという風に考えようとしました。 すこしずつそう思えるようになりました。その先祖や周囲というのがそうである原因も、そのまた先祖のせいだと思えるようになりました。 すると、人に対する嫌悪は小さくなっても、この世界や運命に対する嫌悪が大きくなり、以前よりも鬱々しくなりました。人じゃなくこの自分の生きている世界が原因なので、なんかもうどうしようもないというか。 なぜか自分の不甲斐無さや不器用さ傲慢さにも嫌悪感を抱き始めました。 最初に述べた自己嫌悪の原因は小さくなったはずなのに、その自己嫌悪の気持ちは大きくなったように思えます。 助けてください。息がつまるというか頭に血が上らないというか、とてもつらいです。どう考えればこの気持ちをなくせますか。
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- rosecose
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考えすぎ。 色んなこと交じり合って絡まりあって世界はできている。 だから、もちろん人の性格だって環境や体験、元々の性格によって形成されている。 もちろんそう。 だからさ。 世界はそうできてるんだからそれはしょうがないの。 純白のような綺麗さを求めても空しいし、きっと空っぽだよ。 他人の環境を考慮して他人への嫌悪感を減らそうってのはいいことだよ。 でも、誰のことも嫌いにならない人間はおかしい。 多少はむかつくってやつがいたっていいの。 そして、使い古された言葉で申し訳ないけど 過去は変えられないけど、過去を踏まえてこれからを変えていけるのは 今を生きてる自分自身なんだよ。 あなたが今日ひとつ人に笑いかけてたら、 その人は昨日より楽しい気分になれるかもしれない。 そういうもんなの。 変えられないものに思いを馳せて空しさを覚えるよりも。 まだ変えられるものに目を向けて生きていけばいいんじゃないかな。
嫌いな人は多かれ少なかれいます 確かにあなたの言うようにその人の育てられた過去にも原因はあるはず そう考えていくと今のあなたの状態までたどり着くわけですよね でもそれはさかのぼり過ぎでしょう その時その時の時代を生きているのだから しかしそう考えていくともともと運命は決まっているってところまでたどり着くかもしれませんね だったらそれはそれで受け止めるしかないのだから その中で生きればいい 最初に戻るけど 嫌な人は過去に問題はあると思いますが その過去にただ流されて生きてきたから今のその人があるんだと思います どこかで何かを感じ自分を見直して生きてくれば今のようにはならなかったと思います
- doorakanai
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あなたの考えは、多分ちがうな 遺伝子と環境のみで人格が形成されるとは思えない。 その要素がゼロではなくとも、色んな因果関係や事象が 人格形成にどう関わるかは千差万別。 親や先祖を基準に考えたら、激しく矛盾が生じるでしょう。例えば私とその家族。 小学生時分から、父+3人兄弟で麻雀をしていました。 父が亡くなってから、家族麻雀はなくなりましたが どうやら私だけが父の博打好きを受け継ぎました。 父の死後、元から興味がなかったであろう姉は、以降一切博打を打たず 弟はギャンブルではなく、将棋などの頭脳を使うゲームが好き 私はゲームより、運だけが頼りのギャンブル性の高いものが好き 同じ遺伝子と環境で育った人間が、ここまで思考と嗜好が乖離するのは あなたの理屈だと説明し切れない。 では、何が説明出来るのか。好き嫌いの基準です。 好悪に限っては、DNAも環境も多少は関わっても、それをどう処理するかは個人による。 ここを分析しようったって、どう考えても無理でしょ。 あなたの考えはまだまだ狭いし浅いと思う。 誰かがちょっと考えただけで答えが出るような、人間はそんなに単純な生物ではない。 あなたの思考も同じ。なぜ嫌いなのか。なぜあなたはそう思うのか。 そのルーツはどこから来るのか。どこからでもなく、あなた自身が思う事なのか。 誰の親がどうとかでなく、それを受け止めるあなた自身はどう考えるのか あなた自身を、もっと掘り下げて欲しい。
- IXTYS
- ベストアンサー率30% (965/3197)
> 私は嫌いな人がたくさんいました。 こんにちは。 私は今年70才になる男性です。 とても正直な告白です。 私はこの年令になってもやっぱり嫌いな人はいます。 でも或る時気がついたのです。 人は自分に良く似た人が嫌いなのだと。 私は始めてテープレコーダーで自分の声を聞いた時、驚いて気を失いそうになりました。 それまで自分の声がこんなに嫌な声だと知らなかったのです。 それと同じで、自分に良く似た人や自分の嫌な性格に似た人がとても気になり、大嫌いになる。 その時思いました。 『自分もこの人みたいに公害をまき散らしているのではないか』 自分と良く似た嫌な人に会うと『反面教師』として、自分に活かしてみようと努力して来ました。 周りに嫌な人がたくさんいるということは、ご自分の中にまだたくさん不満があるということかも知れません。 それらの人を心から受け入れられるようになった時、『大人になった』と言えるのではないでしょうか。 私は今でもテープレコーダーで自分の声を聞くと恥ずかしくてたまりません。 同じように自分に良く似た性格の人が現れると思わず小さくなってしまいます。 自分が得意になっている時に不思議とそういう人が近くに現れるのです。 そうなんです。その人を『反面教師』として神様が送ってくださっているのですね。
- zebura23
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私はズバリ言ってしまうので それをイヤな方もおられるようですが それでもよろしいですか? よろしければしばらくお付き合いください。 私たちは普通 自分を苦しめたり、傷つけたり、不愉快にさせる人がいる つまり嫌いな人がいるというふうに外の世界を見ています。 でも本当は違うのです。 外の世界というのは、私が出会う人というのは すべて例外なく自分自身の反映なのです。 あなたが嫌ってきた他人は、実はあなたの反映なのです。 つまりあなたは他人ではなく、自分自身を嫌ってきたのです。 世間にはさまざまな人がいますが、 私が何とも思わない人がいる一方で、反感を感じたり、 抵抗を感じるイヤな人がいるのはどうしてだと思いますか? 相手が悪いからでしょうか、相手が変わるべきなのでしょうか。 しかし私たちは他人を変えることはできません。 だからそう言う人から遠ざかって生活する、あるいは 批判したり攻撃することで相手を変えようとして争いになるか 嫌ってしまうというのが大体の人がとる態度です。 そしてあなたはそのような自分がイヤになってきました。 相手が悪くないのなら何が悪いのでしょうか。 実はあなたが悪いのです。あなたの心が悪いのです。 ズバリ言ってごめんなさいね。 あなただけではなく私たちはみんな汚い悪い心を持っています。 ですからそれを綺麗にするために、こうやって生まれてきている訳です。 私たちの人生の目的は自分自身の成長のためです。 私たちが自分に気づくのは、多くの場合、痛みや辛さ、不愉快、自己嫌悪 などを感じるときです。 そしてそれを気づかせてくれるのは他人です。 なぜ苦しいのか、なぜ辛くて痛くて不愉快なのか、 それは自分の中に間違った考え、間違った固定観念、思い込みがあるからです。 いつの時でも他人はあなたを鏡のように映し出して見せてくれます。 でも他人はそんなことは知らないし、普通に自分自身を生きているだけなのです。 ですから他人を恨んだり、憎んだり、嫌ったりするのは間違いなのです。 他人を赦すのはそのゆえに正しい行為です。 他人を赦すということは、つまり自分を赦すということです。 自分を赦すとき、あなたは癒されます。 人生の目的は、自分自身に向かうことです。
- ADATARA
- ベストアンサー率43% (583/1345)
こんにちは! 58歳の男性です。 血の通っている人間ですから,嫌いとか好きはあるでしょう。 考え方を変えたとしても,性格が変らないのですから,嫌いな者は嫌いでしょう。無理に嫌いじゃないと思うとストレスが溜まり自己嫌悪に陥ります。 犬や猫や植物も含めて,生きているものは,この宇宙船,地号の乗組員です。死んだものは元・乗組員で,乗組員ではありません。同じ時代に居合わせた乗組員同士の関係です。ですから,雑踏ですれ違う見知らぬ人は,ただ知らない他人でもありますが,宇宙船,地球号の乗組員同士という仲間の関係でもあります。 提案として,1日なんと暮らせたら,10円玉1枚プールしておいて,特別良いことがあったら100円プールして,年末に福祉に寄付すると,見知らぬ乗組員が助かります。そういう気持ちを持てるかどうかで,人生が有意義に,生き生きとした部分が持てるかどうか決まります。 嫌いな人は嫌いのままで良いではありませんか。嫌いな人と,あるとき,ひょんなことがきっかけで仲が良くなる,その逆もありますし,だから人間関係はおもしろいのです。そう,人間関係はむつかしいと考えるのではなく,面白いのです。
お礼
解答ありがとうございます。 >考え方を変えたとしても,性格が変らないのですから,嫌いな者は嫌いでしょう。無理に嫌いじゃないと思うとストレスが溜まり自己嫌悪に陥ります。 そうですよね。考え方を変えて原因の本質、悪者を見つけても、嫌いなものは周囲そのものですよね。 この自己嫌悪の原因の一部もストレスなのかなあとも思えました。 >提案として,1日なんと暮らせたら,10円玉1枚プールしておいて,特別良いことがあったら100円プールして,年末に福祉に寄付すると 寄付の心は身近な無償の愛ですよね。純粋にそういう気持ちを持つことが、今の気持ちを変える道だと思えました。また純粋にそういう気持ちを持つためには、上の方の言う自分を赦す心を持つことが先決だと思います。 もう少し、気楽にいけと言うことですよね。諦観にも聞こえますが・・・ すべての人に無償の愛をささげられる人間になりたいです。 すごく参考になりました。ありがとうございました。
- ririko97
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貴方は 優しくて 真面目な方だと思います・・・ 人間が 嫌いな時期は 嫌いでいいと思います・・・ ただ 無理して 自分自身を 責めない方がいいですよ・・・ 確かに 今の ご時世 何か 心が乾いている人が多いいような気がします・・・ だからと言って あなたのような方が 苦しみ 心を 痛めることはありません・・・ どうか 純粋な心を汚すことのないように 自分自身を 大切にして下さいね・・・ 自分が 壊れたらどうしようも ありませんからね・・・ 自己嫌悪より 前に向かって 自分のために生きていってくださいね・・・
お礼
ありがとうございます。 私は自分が嫌な思いをしない為に考え方を変えようとしました。 結果、こんな様ですが・・・ 上記の方もおっしゃる通り、わたしは純粋ではありません。 自分と似た性質を持つ人を嫌っていることもわかっています。 心配ありがとうございます。 すっきり解決できる日が来るのを信じています。
お礼
解答ありがとうございます。 >その要素がゼロではなくとも、色んな因果関係や事象が その色んな因果関係や事象とは何ですか。周囲の環境ではないんですか。 遺伝だってあなたの兄弟がまったく同じ遺伝子をもっていてかつ(ミクロ的な意味でも)まったく同じ環境で育った結果 それぞれ思考や嗜好が乖離した場合は、私の理屈は通らないといえるでしょうが・・・ メンデルの法則によれば、まずまったく同じ遺伝子を持っているわけがなくまた同じ遺伝子を持っていても あなたたちを取り巻く環境が少しでも違えば表現型の問題により、兄弟がそれぞれ違う性質を持つことは十分説明できます。 ただ、東洋思想で言われる阿頼耶識が原因として生じる末那識などの考え方もあり、 そういう思想に助けを求めたいとも思いましたが、なにしろそういう思想には根拠がなく 東洋思想を学ぼうと思えば、宗派が多すぎて結局は念仏唱えて空を見ることと謳っているものばかりで なかなか心の底から信じることができないのです。