八百長
相撲の八百長がとりざたされています、この八百長という言葉がきになって語源をしらべてみました
”八百長は明治時代の八百屋の店主「長兵衛(ちょうべえ)」に由来するといわれる。八百屋の長兵衛は通称を「八百長(やおちょう)」といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間であった。囲碁の実力は長兵衛が優っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていた。
しかし、その後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれていた本因坊秀元と互角の勝負をしたため、周囲に長兵衛の本当の実力が知れわたり、以来、真剣に争っているようにみせながら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ぶようになった。
そもそも語源自体に相撲の年寄が関係しているあたり面白いのですが、
暗に相撲といはそうゆうもんだという”裏の意味”もあるように思えます。
語源の成立が明治期ですが、それ以前の江戸時代では八百長のことはなんと
呼んでいたのでしょうか?
お礼
株主総会は、最近少しは様変わりもしましたが、結論のところでは出来レースですからね。 労組や政党、果ては学校の生徒総会までがそんな調子では、中国のことを言えたものではないですよね。 ありがとうございました。