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戦時中に起こった通州事件について
通州事件を知ってる人聞いたことがある人教えてください! 短い文ですみません
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こんばんは、ご回答申し上げます。少し長くなりますが、ご容赦頂きたく存じます。 通州事件とは、1937年に起きた支那人による日本人への大虐殺です。故中村粲先生の名著である「大東亜戦争への道」にその詳細が描かれておりますが、あるサイトに同様の内容が一部記載されていますので、URLを参考までに添付致します(結構きつい内容ですので、ご留意下さい)。 参考URL http://www.history.gr.jp/~showa/tushu.html 通州事件の位置づけについて述べておきます。遡って1900年頃、時代は帝国主義による植民地支配が拡大していましたが、我国はロシアの南下に脅威を感じておりました。1904年に日露戦争が勃発し、多大な犠牲を払いつつも我国は勝利、朝鮮半島と満州鉄道の権益を獲得します。対してロシアは、支那国内の国民党政府樹立に向けて排斥されゆく匪賊を利用し、彼らに共産党を興させて、排日運動を拡大することで抵抗しました(後に国民党の指導者である蒋介石を拉致し、全面抗日に至ります)。 排日運動と申せば生易しく聞こえますが、所謂テロのことです。ロシアは共産主義者の巣窟ですが、共産主義者=コミンテルンの第7回世界大会において、我国を戦争の泥沼に引き込む一方、鉄道などの権益において米国との対立を促すことで、双方を疲弊させ、その隙に乗じて勢力を拡大すること、そのために支那を利用することが決定されました。故に、支那兵による多くのテロが続発しておりますが、通州事件についてもその一環と言えるでしょう。参考までに、通州事件前までの主なテロ事件を記載しているURLを添付致します。 参考URL http://www.history.gr.jp/~showa/226.html 通州事件についてですが、当時の我国は満州国において様々な大小テロから身を守るべく、その付近を非武装地帯として支那との停戦協定を締結しました。その非武装自体が通州であったのですが、民主化を望む民衆の声に応じて、殷汝耕という者が冀東防共自治政府を発足しました。我国と冀東防共自治政府は良好な関係にあったのですが、冀東防共保安隊を率いる張慶餘と張硯田呼ばれる2名の者が、裏では共産党と繋がっていました。南苑に主力が向かったある晩、彼ら2名を迂闊にも信用してしまった我国の通州特務機関長である細木中佐は、見事に欺かれ、分散していた配下の保安隊を終結させ、一方で一切の交通、通信手段を遮断し、応援を呼べないようにされた挙句、虐殺されてしまいました。 彼らが我国を裏切ったのは、ある作戦の折に我国が彼らを誤爆したとの視方(みかた)があります。然し、今日では、支那側の資料として、張慶餘の「冀東保安隊通県決起始末記」などの著書によって事実が明るみになってきました。即ち、彼ら2名は、彼らの打算的な原理によって2年もの歳月をかけて日本人襲撃を企てていたとのことです。 東京裁判において我国の弁護団は、大東亜戦争は日本の自衛戦争である旨、通州事件を引き合いに出そうとしましたが、我国を侵略国と位置づけたい連合国軍の裁定によって却下されています。その後は、現在に至るまで、左翼思想に準じた歴史教育や報道が継続されているため、この事件については、知る人も少なくなっていますね。 長くなりましたが、ご参照頂けましたら幸いです。
お礼
ありがとうございました! 読んでいてなんでこのことが世に知れ渡らないかと悲しくなるばかりです! もっと多くの人が歴史を偏った視点では無くおおらかな視点で見て欲しい物です!