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「キモい」人の付き合い方
昨日、テレビで学校でのいじめのシーンを見てわいた疑問なのですが・・・ 「いじめは良くない」というのは紛れも無い事実です。 ただ、”普通”では無い人(性同一性障害・不細工・障害者・その他個性が強いマイノリティな方々)と出会った際に、気持ち悪さや不快感を感じることも判らなくはありません。 「キモい」と感じる相手と付き合わなければならない場合、どう対処・行動することが道徳的に正しいのでしょうか? また、マイノリティな方々(いじめ対象になる可能性がある方)は人付き合いの際、どうした方がよいのでしょうか?
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再び回答させていただきます。 >また、マイノリティな方々(いじめ対象になる可能性がある方)は人付き合いの際、どうした方が >よいのでしょうか? 「いじめ対象になる可能性がある方」について。 回答には「いません」と書きましたが、実はいじめっ子を含めてすべての方が「いじめ対象になる可能性がある方」に該当します。なので一般的にコミュニケーションの上手な取り方をわたしの経験から記しておきます。 倫理学者丸山敏雄さんの残した著書に「万人幸福の栞」なるものがあるのですが、そこに人の生き方や人間愛について要領よくまとめられています。一読されても損はないと思います。 具体的には (1)約束を守ること (2)挨拶は率先して声を出して発声する。相手が挨拶をする前に行いましょう。 (3)手紙、メール等交信には必ずすぐに返事をすること。 (4)お話はするよりも聞き上手になりましょう。できれば目を見てね。 (5)会話には相槌が必要です。オウム返しも有効ですよ。 (6)相手を認めましょう。自分も認めてもらえます。 (7)笑顔はコミュニケーションのグッドアイテムです。
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- peri1005
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>「キモい」と感じる相手と付き合わなければならない場合、どう対処・行動することが道徳的に正しいのでしょうか? 自分が嫌いだと思えば、相手も嫌います。人間同士なんてそんなもんです。 嫌悪感は誰もが持つものです。それを直線的に頭から出してしまえば、それに応じて相手の反応も変わってきます。口に出さずとも態度に出てしまえば同じことです。 どんな人でも自分と同じ人間であることには変わらない。違った感情をもっていても根本は同じなんです。嫌えば嫌うほどに相手も嫌ってくる。相手は鏡だとはよく言ったものです。 好きになれとは言いません。まず自分としては相手が傷つかない対応をどうとるかだけです。 理不尽には徹底的に抵抗してもかまいませんが、やられたらやりかえすことです。自分から嫌っておいて事をかまえる態度になったのなら、非は自分にあると考えることです。 私はこのように思います。ご参考まで。
お礼
回答ありがとうございました。 >嫌悪感は誰もが持つものです。それを直線的に頭から出してしまえば、 >それに応じて相手の反応も変わってきます。口に出さずとも態度に >出てしまえば同じことです。 はい、そうだと思います。特に、差別を受けるような因子を持ってしまっている方の場合、敏感に感じるのではと想像しています。 だから、相手に第一印象で"不快感"を感じてしまった場合には、コミュニケーションによって相互理解していくことが多少難解になってしまうのではと思っています。
- gadovoa
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確かに気持ち悪い障害を持った人っていますよね。 あなたは素直だと思います。 無理に押し隠すものではありません。 腕がなかったり、 目が1つしかなかったりすれば ものめずらしさからジロジロ見たり、 不快感があって当然です。 問題はここからですが、 あなたはよかったですね。 五体満足で頭も正常、平均して人並みで生まれてきたんですよね。 誰のおかげでしょうか。神様でしょうか。親でしょうか。 自分の持って生まれた運でしょう。 世の中には生まれながらに障害を持って生まれた人がいます。 たまたまあなたは障害をもつという確率から外れたのです。 もしかしたら、あなたが重度の障害を持って生まれ、 親からは嫌われ外に出してもらえないでひっそりと生きていたかもしれません。 あなたが五体満足に生まれたのはたまたまです。 その偶然、あなたも障害があって生まれたかもしれないのに、 障害者のことを悪く言えますか? もしあなたが重度の障害を持って生まれた場合、 嫌な扱いをされたら嫌ですよね。 みんなと同じく扱われたいですよね。 だからみんなと同じく扱えばいいだけです。 (扱うという語感に違和感があるのは承知です) もしあなたの目が見えなかったら、 外見的に障害がある人をきっと奇異な目で見ることはないでしょう。 性同一障害にしても、中国人にしても、アメリカ人にしても、 人という個体です。 人として、あなたが扱われたい態度で相手に接するべきです。 人間として嫌な奴とは付き合わないことです。
お礼
回答ありがとうございます。 >腕がなかったり、 >目が1つしかなかったりすれば 今回、「障害者」の言葉を使いましたがそこまでは想像していませんでした。たしかにそうゆう方もおられるでしょうね。そのような方々にお会いしたとき、自分がどの様に接するか・・・想像が出来ません。 >だからみんなと同じく扱えばいいだけです。 はい、すべての人がそうすることが出来れば差別やイジメの問題は解決するのでしょうね。 誰だって、悪口や暴力なんか受けたくないのですから。 ただ、相手の"普通じゃない"所をちゃんと理解して置かないと、相手を一人の人間として扱えないと思います。"普通"の人の価値観を押しつけてしまい、同情やおせっかいや勘違いなどで相手にしまいそうで、難しいところがありそうです。
- Wendy02
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#15の回答者です。 >表現の仕方を反省しております。申し訳ございませんでした。 #15の私の最初の文章では、こちらも、ふだんは書かない書き方をしましたから、こちらも申し訳なく思います。ご質問者がどういう考えか分からなかったからです。 私は、あくまでも、「社会的な差別(Social Discrimination)」という路線から話をしています。社会の差別的な対応というのは、表面的なものではないからです。その縮小版が、「いじめ」というものだと思います。 私は、倫理的とか道徳的というのは、ちょっと違うなって思います。道徳的にいけないというのは、「いじめ」の阻止の本質的なところまでは遡れないと思うのです。いわゆる、ジェンダーをトランスしたり曖昧な人たちを、トランスジェンダーといい、その人たちを嫌悪する状態を、米国の精神科医は、トランスフォビアという疾患名までつけているぐらいですから、だから、道徳とか倫理とかの単位ではありません。そういう感覚的なものを、絶対に正当化してはならないと思うのです。感覚的な感情を肯定することが「差別」の本質だと思います。 実は、私個人は、同性愛の人たちがあまり好きではありません。何度かトラブルになった経験で、もう二度と話をしようとは思いません。ただ、私は、彼ら、彼女らの存在そのものを否定しようとは思いません。 ただ、私は、「性的マイノリティ」と、自らが使っている人たちは、ある意味で本当のことを分かっていないのではないかと、思うことがあります。多くは、衣食住足りて、なお平等意識なのか、人権意識からか、「性的マイノリティ」とは言って、何か、少し特権のような風に感じている人たちもいるのではないでしょうか?性的指向性も性のあり方も多様性であるというのは、ゲイ・コミュニティから発展した考え方だと思います。 でも、現実の個々の問題を持っている人たちの不幸は、もう少し別なところにあると思うのです。ある有名な専門医は、性同一性障害の人たちに対して、ぶんぶく茶釜狸に例えたと言います。性同一性障害の人々が、「男性の体に閉じこめられた女性」という感覚を、本当に肯定するかは、私は、当事者ではないので分かりませんが、そんなところに、視点を置いたところで、それは、個人的(Personal)なことだと思うのです。ただ、芸を売って、人間(一般の人々)を楽しませてくれる分には、狸を生かしてくれるけれども、しかし、一度でも、人と同じことを要求したら、果たして、狸の言い分を認めてくれるのか、と私は考えてしまうのです。 #15で、一級市民と二級市民という区別をしたように、私は、こういう考え方と言葉を用いるようになりました。「性的マイノリティ」も「障害者」というものも、人権において、何らかの支障を持っているということです。一般の人たちと同じように選挙に行けないとか、病院に自由に行けないとか、思ったような職業に付けないとか、基本的な人権を主張できない見えない壁(Invisible Wall)があるということです。 障害者の男性で、複数の警官に殺された事件がありました。警察は、何ら問題ないと言っています。また、病気で身体の不自由な男性を、痴漢をしたとして、十分な取り調べもせずに、刑務所に入れてしまいました。愛知県では、知的障害の青年を、子どもを誘拐して殺害したと罪に落とし入れようとしました。それが、もし一般の人だったら、そのようなことにはなりません。 性同一性障害の人たちに対するイジメというのを、ここのカテゴリで読んだことがあります。でも、それは、学生の社会だから、そこから抜け出たらと思うでしょうけれども、現実は、社会そのものが同じ構造であると思うのです。 この社会では、社会的弱者を、平気で生きる権利さえ奪うものだと思うのです。それを、単なる「いじめ」という括りではいけないような気がします。その実体をはっきりさせることと、差別側の行動とそういう人たちを明らかにすることで、改善を図る必要もあるのではないかなって思うのです。
お礼
再び回答感謝いたします。 色々と考えさせられました。社会の構造とか一般人の障害や差別の理解とか・・・ 長年「差別をなくそう」と世界的に色々と言われていますが、差別をなくすということは非常に困難なことだと改めて感じます。
- angel0331
- ベストアンサー率42% (253/589)
どう付き合うべきか それはあなたはどう付き合ったら良いか 人が人を差別することは良いか悪いか それを知っているなら自ずと答えは出ると思います。 ただ性を変える方は 感情的に受けられないと言う気持は私もわかります。 差別は良くないけど 差別とは違う感情が 働き嫌悪感を感じる それがあね人に 間違っているとは私は言えません。 ただ見た目の問題の不細工や 他の障害者に関しては、純粋に差別意識があるかないかになりますから 差別などすべきではないと思います。 性を移行するキモさ それは他の方々に嫌悪感を感じさせてしまうでしょう。 特に男性から女性に変化する場合 中途半端ですと気持悪いことこの上ないものです。 女から男に変わる場合 かわいい子だったりすると どうしてと思う方も多いと思います。 またどちらもそうですが 心の性側を必死に強調しようとし しぐさや口調がキモかつたり やたら格好つけたり男を強調したりするのが かえって違和感に感じたりします。 そういう方々に こうした方が自然だよとか それはやりすぎだとかアドバイスされるのは、虐めでもないですし わたしは良いと思います。 金八先生やいろんなドラマで性同一性障害が取り上げられましたが あまりにも現実離れして ありえない当事者に描かれ格好良く作られてますが 現実は、当事者なんて ぶざまで変態のようなものだと私は見てきた中で感じました。 ただ 本当に当事者なら トランスするしか道はないため 周りは、当人が行き詰っているとき 困っているときは、手を差し伸べて トランスの是非について他人がとやかくいうことではない為 放っておけば良いとおもいます。
お礼
回答ありがとうございます。 ワタクシ自身は特に偏見などは持っていないと認識しておりました。 (偏見持っていない人がこんなバカな質問はしない、と言われると返す言葉がありません...) ワタクシの経験では、性少数者の方とはお会いしたことはございません。もし、出会ったらどう接するか戸惑うだろうと思います。 障害者の方を町で見かけた歳には、身体障害者の方だった場合好奇の目で見てしまったり、唸り声や大声を出されている方だと「ウルサい」とムカついたりして、その後自己嫌悪に陥ることがたまにあります。 ワタクシ自身、人付き合いの経験が圧倒的に少ないのではと反省しております。多様な人々と接して、勉強していかねばと感じました。
- Wendy02
- ベストアンサー率57% (3570/6232)
大人げない、ひどい内容の質問だなって思います。 しかし、それは、子どもはストレートに表現に表しますが、大人になると、言わなくなるだけで、大半の大人は、社会的(政治的)に言ってはならないこととして、扱うだけです。現実には、それぞれ差別的な発言や対応、態度が様々に見られます。 その差別には、見かけだけの問題ではなく、外国人であるとか、三親等までに日本人でなかったとか、方言だけで標準語をしゃべれない、太っている、体臭が強い、極度の近眼など、人は、他人と区別したいものなのでしょう。私たちの社会は、特に、狭い国土で人との違いを付けにくいので、余計に細かい所に区分けしたがるようです。 逆に、私たちは、差別される対象でもあります。ある区分けとして、両親は大卒であること、親が、大手の取締役や上級国家公務員であること、容貌は、眉目秀麗であること、標準語をふつうにしゃべることができる、語学留学以上の留学経験があり、英語はネイティブ並に話せること、高校、大学の活動、友人等は、特殊思想・宗教に参加していないこと、家の資産が、1億円以上ある、3代以上前から日本人であること、血縁関係、親戚に犯罪者がいない、精神病で患ったことがない、とか、こういう所に収まっている人は、どのぐらいにいるでしょうか。こういうものは、社会主義化した社会で、こういう人たちを、一級市民として、それ以外を二級市民と分けるわけです。 そして、今度は、一般人(小市民)の中で、再び、また、区分けしようとするわけです。際限なく細かく分けて社会構造のピラミッドを作っていくわけです。 テレビの金八先生で、「性同一性障害」というものを知った人もいるかもしれません。上戸彩演じる生徒の熱演で、理解したと思う人もいます。実際の人たちとは、大きく開きがあるわけで、私の知る範囲においても、「性同一性障害」の人々は、インテリが多く、高度な知識を持っている人たちが多いように思います。 ただ、残念ながら、本当の「性同一性障害」の人たちにめぐり合いことは、めったいにないはずで、テレビで見ても、例えば、はるな愛ちゃんが、「性同一性障害」とは言いません。障害者でも、肢体不自由な人もあれば、画家のジミー大西さんのような、自閉症の人もいます。また、裸の大将の山下清さんの知的障害の人もいます。私たちが映像で知るものとは違う所に、本質的なものがあると思うのです。 男性から女性に変わった、ある「性同一性障害」の人が言っていましたが、初対面なのに、「あなたは性転換手術をしましたか?」と、また、同性愛の人に対しては、「同性では、お子様が持てませんから、寂しいですね」と真面目な顔で言うのです。こういう人たちは、初対面の相手に、その質問が当事者に対して、言って良いことかどうかさえ分からないのです。 >今回質問してみて、偏見や差別って自分が思っているより少ないのかなと感じています。 それは違います。それは多くは、大人として口にしないだけで、そういう差別心を持っていて、それをオープンにしないだけなのです。問題は、その後の問題です。現実に直面した時に、差別心を乗り越えられるか、それとも、ないものとして目を伏せてしまうのか、そういう選択に迫られるのではないか、と思います。行政は、自分たちの目の触れない所にあればよいとしています。そして昔にあったような、不可触賤民というものを作ってしまいます。 若い人たちは、そういう軌道修正が出来るチャンスはあるけれども、年を取ってしまうと、それは思ったようには行きません。漫画家の小林よしのりさんだったと思いますが、「差別する人は後回し」と言っていたと思うのです。 そういうことに、直面した時に、私は、最初はどれだけ、ふつうに振る舞えるか、そして、そういう事に慣れていくか、相手の言葉に耳を傾けるだけではないか、と思うのです。失礼があれば、お詫びをするけれども、理論や理屈だけで、そういう問題を乗り越えようとすればするほど、おかしな形になっていくのではないか、と思うのです。また、マイノリティと病とは違いますから、マイノリティを治す(矯正する)という考え方は間違っていると思います。もともと、他人をひとつのグループとして括る考え方自体が、差別する考え方だと思います。 よく、「差別される側の人のことを考えろ」と言いますが、でも、人は、差別されても、また、人を差別するように思います。それが人の本質なのかもしれません。そうではなくて、その人は、どういう人であろうが、その人は一人しかいません。その現れている姿や命が、それぞれ違うだけなのです。そして早急に結論を出さないことしかありません。もしかしたら、そういう問題を考えるために、神様が、あなたに出会いを与えてくれたのかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 >大人げない、ひどい内容の質問だなって思います。 やや衝動的な質問だったため、熟考せずに文章を作ってしまいました。自分の道徳的な考えの幼稚さとともに、表現の仕方を反省しております。申し訳ございませんでした。 Wikiで性同一性障害者・マイノリティを調べてみました。自分がオネエキャラや女装、同性愛者などの代表として「性同一性障害」という言葉を使っており、また、(ワタクシが考える)"普通じゃない人"という意味で「マイノリティ」という言葉を使っておりました。それぞれ、「性的少数者」「少数者」という言葉の方が自分のイメージが表現できていたのかもしれません。もちろん、人間には多様性があり、様々な個性を持つ存在であり、"普通な人"って存在するのか?という話なってしまいますが・・・ >>偏見や差別って自分が思っているより少ないのかなと感じています。 >それは違います。それは多くは、大人として口にしないだけで、そういう差別心を >持っていて、それをオープンにしないだけなのです。 質問時、イジメがあった場合、「イシメは禁止します」「差別的な発言はダメです」などと教師や親が言って表面的に解決しても、心の中では互いに壁があって結局はいじめられていた側は"普通"に接してもらえないまま孤独と戦わなければならいのでは・・・などと、考えておりました。 長文のアドバイス感謝いたします。参考にさせていただきます。
- rockfish
- ベストアンサー率18% (117/643)
まあ、いじめの対象相手と言うよりも自分がなんとも思わない 相手との人付き合いと思えばいい。 人と言ったって所詮、生物の一員。 動物界では雌雄転換するのなんてザラだし、それに比べれば 同性愛も性同一性障害も障害者もなーんてことない。 ただそうは言え、あまり身近でない人たちを目の当たりにすれば 違和感が生じる、それがまあ「キモい」って感覚にも当てはまる のかもしれない。 道徳的に正しいかどうかは知らないけど、俺は普通でいるかな。 どういう相手をキモいって言うのか、あまり分からないけど。 話し掛けられれば話すし、逆に聞きたいことがあれば聞くし。 かれらも特別に扱ってなんて考えてないでしょ。 ただ障害を持ってる人はやっぱり色々不便があるだろうから、必要が あれば手を差し伸べるくらいは俺にもできる。 まあ、そういう意味じゃお年寄りに席譲るとか妊婦さんの荷物を持って あげるだとか、子供が取れないボール取ってあげるってくらいの行為 と同じようなことか。 いじめなんてどこにでもある。 性別、年齢、容姿、学歴、社会、どーこにでも。 あまり過敏にならず、大きく括って「普通の人」にしちゃえば楽だよ。 キモいと感じれば無理して付き合う必要は無いけど、あえて否定する 必要もないと思う。
お礼
回答ありがとうございます。 >道徳的に正しいかどうかは知らないけど、俺は普通でいるかな。 ワタシ個人的にはコミュニケーションが苦手なので、その「普通に接する」ことはちょっと考えてしまいます。 特に、障害者の場合相手が何が出来て何が出来ないのかが判らないので、障害について何処まで触れていいのか、気遣いがおせっかいになっていないかなど色々考えてしまいますね・・・
- tatunoko32
- ベストアンサー率36% (27/75)
お礼ありがとうございます。少しだけ付け足したくまた書きました。すいません。 前に書いた事はなるべくそう思って行動してるって感じです。俺もまだまだ未熟者なので至らないところもたくさんあります。 そう思い、考えるようになったのは人との関わりは生きていく上で避けれないし、無くなる事では無いと思ったからです。 だから都合良く考えた事でもあります。簡単に言えば自分が楽なところもある、って事ですね。 それでも普通に接していければ良いんじゃないかなぁって思います。 以上が前に書いた事と合わせてになる俺の考え方です。 度々ですいません。
お礼
再び回答感謝したします。 人間としてまだまだ修行が足りないと、勉強の必要を感じています。 アドバイス参考にさせていただきます。
- nokata
- ベストアンサー率27% (134/493)
本人が”普通”では無い人と思う人に対し、気持ち悪さや不快感を感じることは、まったく持って自由です。 しかしそれは自分が思うことであって、同意を求めたり、あからさまに蔑んだ対応を取ることは、倫理的にも間違っています。 初めからいじめ対象になる可能性がある方はいません。 全てのいじめの責任と原因はいじめる側にあるはずです。 いじめられる側にも責任があるはずだからそっちもも治せ、はあり得ません。 泥棒に入られないようカギをかけることとは根本的に違います。
お礼
回答ありがとうございます。 >全てのいじめの責任と原因はいじめる側にあるはずです。 >いじめられる側にも責任があるはずだからそっちもも治せ、はあり得ません。 はい、個人的にはイジメはいじめる側が100%悪いというのが見解です。 ただ、「他人を変えることが出来ないが、自分は変えることが出来る」なんて言葉があります。 (本来違うシュチュエーションで使われるべき言葉ですが・・・) いじめられている側は、何らかの自衛策を取らないといけないと思いました。 自分の性格や現状を変えることは出来ないとは思いますが、コミュニケーションの取り方など周囲と良い関係が気付ける方法があれば、というのが >また、マイノリティな方々(いじめ対象になる可能性がある方)は人付き合いの際、どうした方が >よいのでしょうか? という、ワタシの質問の意図だったのですが、ワタシの文章の書き方が間違っていたかもしれません。反省しております。
私は、そもそもキモいという言葉とキモいと言う人達に問題がある気がします。 何様のつもり?と思ってしまいます。私はそういうデリカシーのない人達の方が人として苦手に感じてしまいます。 偏見を良い事だと思わないでほしいです。もっと心の美しい人達が世の中増えてくれたらいいのにと思います。 見た目が気持ち悪い人なんていません。それよりも心を豊かにした方がいいんじゃないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 >私は、そもそもキモいという言葉とキモいと言う人達に問題がある気がします。 今回、やや衝動的にこの質問をしましたが、様々な反応を頂き質問文の書き方、特に「キモい」という言葉を使ったことに反省しております。
- mintmiko
- ベストアンサー率21% (128/605)
『気持ちが悪い』と感じる相手と付き合う必要があるときは、まず、相手の何に対して不快感を自分が持っているのかを明らかにする必要があると思います。 もし、相手に伝えて改善してもらえる可能性があるなら、相手に私は伝えます。 たとえば、生理的に無理だなという場合は、極力自分からは関わりを持ちません。 相手からかかわりを持たれたときは、最低限の接し方をします。 相手を傷つけたいわけではないのだから、相手を傷つけない接し方を心がけます。 私には、こんなエピソードがあります。 高校時代のクラスメートに凄く体臭の強い友達(女の子)がいました。 それこそ、話をしたり、近くに寄ったりするだけで、とても酷いので、クラスメートが近寄らないくらいです。 その原因が、実は彼女の飲んでいるサプリメント(ニンニク系だった)にあると、たまたま、私は父に教えてもらいました。(実家が薬局なもので。) それは、同じクラスになって半年後のことで、一部の女子からは『臭いが強くてキモイ』と言われだしたころでした。 私は、傷つけるかなと思って、喧嘩になること覚悟で彼女に伝えました。 『実はマルマルちゃんの体臭凄く臭いんだ。たぶん、ニンニク系のサプリメントのせいだと思うんだけど。なんとかならないかな?ひどいこといってごめんね。』 彼女は、一瞬びっくりした顔をしていましたが、わかってくれたようでした。 ちなみに、家族そろって飲んでいたら家族はわかりませんよね。 (彼女の家も実は薬局で、そのサプリを扱っていることを、私の父がたまたま知っていたという偶然がかさなっての解決。) その後、臭わなくなったので、とても助かった記憶があります。 もちろん、臭い以外は問題なかったので、普通にその後は過ごしてましたよ。 マイノリティーの方々は、しいて言うなら『周りに迷惑かけないように、自己表現をすればいい』と思います。 ちゃんと、自分を素直に。だけど、傷ついたときは、傷ついたという。 治療が必要なマイノリティー(障害)なら、治療すべきだし。ちゃんとその障害も個性として本人が受け止めているのならば、周りに迷惑をかけない配慮もできるはずだと思います。 とはいえ、私が苦手なのは、不潔な人。シモネタばかり連呼する人。むやみに肩とか触ってくるひと。 と、結構偏見が強いです。 個性としてみとめられない!と思うのでそういう人は大体『私が悪いのだけど、生理的に無理!』といいます。 若干一名面と向かって言った相手(男子)がいます。 でも、彼は友達です。 仲悪くもありません。人として『全部』が無理なわけではないからです。 答えになったでしょうか。 ちょっとのことで、傷つけたり、傷ついたりしなければ、人の仲というのは円滑に進む気がします。
お礼
回答ありがとうございます。 長文のアドバイス感謝いたします。大変参考になりました。 ワタクシとしては、相手が傷付きかねないようなミスや欠点の指摘は勇気が無くとても出来ません。 相手の為にもそこをアドバイスが出来るというのは大変尊敬いたします。 自分が他人からどの様に見られているかを知ること、自分の欠点を指摘してもらえる人間関係をつくることをお互いが続けていけば、イジメとか無くなるのかもしれませんね。
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お礼
再び回答感謝いたします。 なんとなく、就職活動に向けたセミナーを思いだしました・・・ 親しき仲にも礼儀ありといいますか・・・ お互いが相手に印象が与えられるよう努力すること、コミュニケーションを円滑にすることで少しづづ相互理解をしていく、そうゆうことが大切なんでしょうね。 アドバイスありがとうございます。