あえて今、プロストを振り返る・・・
私はマンセルファンなので、鼻曲がりのダンディの事は、あんまり知りません。
ただ、神がかり的な最終兵器・リアクティブサスが出た際、プロストとセナのウィリアムズ加入への執着に、ぞっとしました。
けど、なぜプロストは、1年で乗り捨てたのですか?
元々、既にモチベー(ション)がなかったのですかね?
マックス・モズレーさんがフランス人のFIA会長だったと思うのですが、お得意の政治力で、リアクティブサスを廃止にせず、何年もチャンピオンで居続ける事も、可能だったのでは・・・と思うのですが。
マンちゃんも去り際があっさりしてたので、F1政治に嫌気が差していたのでしょうか?
それともプロストもマンちゃんも、フランク・ウィリアムズに、ほとほと嫌気が差しただけでしょうか?
フランクさんは、自社のマシンに、カリスマドライバーを全員、乗せて箔を付けたい欲が、強欲過ぎる気がします。
昨日、マンセルの引退時の心境記事を、初めてwebで検索した際に、すもう協会みたく、政治力優先の、古いしきたりに左右される世界なんだなあ・・・ドライバーのモチべーなんて、建前に過ぎないのかなあ・・・と、初めて気が付いたんですが。
プロストは元々、政治的にも自分自身的にも、燃え尽きた状態で、ふら~っとリアクティブサスに、乗ってみたかっただけなのでしょうか?
プロストに詳しい方、語って頂けるとうれしいです。
なんだか現在、マンセルだけがF1OBとして大成功してる風に見えるので、人柄的にはマンセルが一番、実は人気の有るドライバー、だったのですか?(マンセルは労働者階級だったので、執拗にバッシングされてただけなのですか?)
お礼
え~っつ!!ケン・ティレル、ショックです・・・ 最近、たまにF1見ても、フランク・ウィリアムズ、全然画面に、映らないんですよ・・・なんで? レス、ありがとうございます。