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JR京都駅の地下東口についてです
JR京都駅地下東口にはJR西日本関西圏内への自動改札機の本格導入の前から自動改札機がありましたが、それはいつ頃からどうしてでしょうか? この自動改札機は入り口専用でした。この当時、JR西日本で自動改札機が導入されていた線区は片町線(学研都市線)くらいでしたから、「片町線以外でのJR西日本の駅でここだけ自動改札機があって何かの効果があったのでしょうか?」と今でも不思議に思ってしまいます。
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私が、昭和60年4月に京都に住むようになったときには、もう国鉄京都駅地下東口には自動改札がありました。それ以前、いつ頃からあったかまではわかりませんが、この京都駅地下東口は京都市営地下鉄が北大路から京都駅まで開業したときに、このあたりの地下街と一緒に開発されたのではないでしょうか。 なぜ、国鉄がこの地下東口だけ自動改札を設置したかは知りません。 以下は、個人的な想像ですが、(1)新しい地下街ができて、京都市営地下鉄は全駅自動改札なので、見栄を張って国鉄も地下鉄の改札口横の新しくなった地下東口だけ自動改札を導入したか、(2)この地下街を開発する地元などの要望でトータルデザインとして導入したか、(3)当時国鉄は大赤字で将来潰れる可能性が大(実際は昭和62年4月に国鉄解体、JR発足)なので、新規職員の採用を完全にストップしていたと思います。このため、京都市地下鉄開業に伴って、乗換えのため新たに多くの改札を増設しなければならないのに、改札係員を大幅増員できなくて、やむなく自動改札で対応したのではないでしょうか。 国鉄では当時自動改札対応の裏の黒い切符はまれで、大半の駅では自動改札対応でない切符を発売していましたので、観光客の多い京都駅の他の改札では自動改札は無理だったのではないでしょうか。しかし、この地下東口だけは地下鉄から最短距離での乗り継ぎの地元客が多かったので、改札口横の自動券売機で自動改札対応の裏の黒い切符を買って、すぐこの自動改札から入ればよく効果はあったのだと思います。遠くまで行く人は、地下鉄降りて一旦地上へあがり、京都駅正面の烏丸中央のみどりの窓口などで切符を買って、烏丸中央改札から入っていました。 それでも、ときどき田舎の駅から往復切符を買って京都へ出てきたお年寄りがこの自動改札に自動改札対応でない帰りの切符を入れて、ゲートが閉まって戸惑っているのをたまに見たことがあります。最も酷い光景は、当時はまだ滋賀県の田舎の駅などは、硬券の往復切符を発売していて、その半分になった硬券往復切符の帰りの券をこの自動改札に無理に突っ込んで、詰まらせているのも見たことがあります(1回だけですが)。
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- kyo-mogu
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地下鉄との連絡もあり、乗客の数が多い。改札に経つ人間の人件費削減という意味も有ったような気がしますが。 また、試験的な意味もあったようにな。 一部自動改札だったと記憶しております。
お礼
私としても非常に不思議に思っていましたJR京都駅地下東口の自動改札機でしたが、自動改札機自体は国鉄時代からあったのですか~。 この当時、新宿駅をはじめとする山手線の駅ですら自動改札機はなかった時代だけに、片町線や武蔵野線で自動改札機を導入した国鉄は京都駅の地下鉄開業に伴い新設する地下東口でも地下鉄からの乗り換え客が多く見込めることから「近距離利用客がほとんど」「駅員削減の合理化」といった条件に基づいて自動改札機を導入したようです。しかし、地下東口改札の自動改札機は入り口側のみでここから片町線(片町~長尾間)の駅とを行き来する分には効果はありましたが、それ以外の駅とを行き来する場合には帰りの駅では裏が黒い切符は売っていないことも多く出口側まで自動化してしまうと裏が白い切符しか売っていない駅からの利用客が駅から出られなくなってしまうことから出口側には通常通りに駅員いる改札口でした。 ちなみに、当時、京都駅地下東口や片町線の駅で使用されていたタイプの自動改札機は現在も大阪弁天町の交通科学博物館に展示保存されています。 当時、関西の国鉄では片町線くらいにしかなかった自動改札機が京都駅に突如設置された経緯を詳しくご回答頂けましてどうもありがとうございます。