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ある兵士の物語
- ある兵士の話。男は家族を守るために戦場に向かうが、その結末はわからない。
- ある兵士の話。男は戦いに向かい、子供の約束を胸にしまい込んでいく。
- ある兵士の話。男は悩みながらも戦いに向かい、姿を消すことになる。
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こういった状況下だと、優し過ぎる事はかえって多くの犠牲者を出す事になるんじゃないでしょうか。 首謀者が存在する以上は、終わらないのも確かですし・・ これ以上の犠牲者を出さないためにも、彼の持っている『体力、知力、技術』で天下泰平の世の中にしたらどうかと言うかもしれません。 >『大きくなったら必ず父さんと母さんの仇は討つ』 こう言い放った少年の心を変える事ができるのも、人のすごいところではないでしょうかね。
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- ihyou_P
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再び失礼します。#6です。 つたない私の文章を読んでいただき、かつ丁寧なお礼をいただけましたこと、また「シンクロしている」と感じてくださったこと、ありがとうございます。 私の書いたエピソードには後日談がありますので、お目汚しですがそちらも紹介させていただきます。 最初のきっかけから約10年が経ち、彼はいつしか周りの人から尊敬され、頼られる存在になっていました。 その間、ずっと彼は「自分は常に強く正しい存在であらねばならない」と、自分の思い描いた理想の姿で存在し続けることを貫いていました。 彼はいつも誰に対しても、最大限の気持ちを傾け、心を砕いていました。 ひとに何か言う時、「心を砕かなくても、同じタイミングで同じことを言えば、同じ効果を得ることができる」とある日気が付いてからは余計に、「自分は技術でひとを救いたいのではない、心でひとの救いになりたいのだ」と思い、誰に対する時でも気持ちを抜かないように、いつも精一杯の力を傾けていました。 途中、何人かの女性と付き合うことはありましたが、彼にとっては「自分に関わりのあるひと全て」が特別に想う存在であり、特定の女性が「彼の心の中の1番」になることはありませんでした。 そんなある日のこと、彼の前に「彼を尊敬しない」女性が現れました。 彼を尊敬もしないが嫌いもしない。彼の生き方を肯定も否定もしない。 その女性がいつも皆に対してしているように、彼に対しても平等に、同じように自然体でいました。 そして彼女はただひとこと、彼をいたわるように言ったのです。 「強いけど脆い、ガラスの糸を張っているようだよ」と。 その後、そのひとことが原因となり、彼は自分が積み上げてきた(と信じる)物が崩れる喪失感と、自我の拡散(自我とは、インク入りの玉を浮かべた水を張った水槽のような存在。その時々で浮き沈みもするし、右や左に行ったりするが、自分の核はここだ、というのははっきりしている。人間的に成長するということは、その水槽が大きくなるようなこと。自我の拡散とは、玉からインクが漏れて、水槽全体に薄く広がってしまったような感覚のこと)を経験することになります。 さて、それから更に約10年が経ち、現在。 彼はその時の女性と同じように「自分を尊敬しない」別の女性と巡り合い、結婚してふたりの子供を授かって、「幸せ」に暮らしています。 かつての様に何かを貫こうとしたり、常に精神をすり減らすような生き方はしなくなりましたが、わりと自然体で自分が望む姿でいることができるようになったようです。 そして、時折琴線に触れる音楽を聴いたり文章を読んだりすると、自分の心の奥深くに潜って、ちょっと落ち込みながら思索を巡らせたり、こんな文章を書いたりしています(転載や引用ではありません)。 「2つの話に対する私なりの結論」というには少し婉曲的かもしれませんが。 最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。
お礼
返信少々遅くなり申し訳ございません。 続編有難うございます。 >(転載や引用ではありません)。 ええ、察しておりました。悪戯心から『転載、引用』と…。 深くお詫びいたします。 そしてまた同じくこの2話も『お察しの通り』でございます。 >『彼を尊敬しない』 そうなのです。ひとは尊敬を受けるより『そうなるまでの過程』が全てのようですね。 尊敬された=最終形となり、『変化、成長、また努力、注意』と其処に甘んじてしまい、それらを止めてしまうようです。 >「強いけど脆い、ガラスの糸を張っているようだよ」と。 >彼は自分が積み上げてきた(と信じる)物が崩れる喪失感 物心付いた時からひとは『様々な積み重ね』をしてきます。 そしてそれが『行き詰る』時が必ず来ます。 その時に『勇気を持って破壊する事』はとても重要な事に思えます。 『リフォームか建て替えか』。 建て替えには『古きモノの破壊が第1歩』ですものね。 リフォームは何度しても本来の再生にはなりません。 張りぼてで見せ掛けを変えても意味はありませんから…、 >自我の拡散 小我から、大我へ。精神的なのかエネルギーの変位か、またその何れもなのか、『自我』が邪魔をしなければ、『自然にそうなる』ようです。 (現状、まだ自我の塊のようですが…^^;) 自然体…私は『上善如水』の『水五訓』、これこそ『自然体』の極意と感じています。 webと言う『現代の象徴』ですが、『袖触れ合う』事ができた事、感謝いたします。 >「幸せ」に暮らしています。 この日々、末永からん事を・・・。 ありがとうございました、それでは。
- ihyou_P
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「ある女性の話」の方でお礼を頂き、こちらも読ませていただきました。 どちらの話に対しても直接的な回答にはならないかも知れませんが、少し思うところがあって書かせていただきます。 女性の話と兵士の話は紙の裏表に書かれていたということでしたので、兵士は「死」の象徴、女性は「生」の象徴として表現されているのかもしれません。 そのうえで、兵士は自分の家族を守ることを願い戦いに、女性は聖なるものを求めて旅に、それぞれ出立します。 そして、いずれもその先で求めるものを得ることはできませんでした。 少し話がそれますが、ある人の話をしましょう。 その人は、何気ない会話の中で、自分がその相手の心の傷に気が付いたことを口にしたところ、後日、「気が付いてくれたことが嬉しかった」と言われたことがありました。きっかけは、たったそれだけのことでした。 その人は、自分の放った言葉の影響力に驚きながら、「自分という存在が誰かの救いになり、みんなが幸せになってくれるようになったらいい」と思うようになりました。 そしてちっぽけな自分がそういう存在になる為には、様々な事に対する「答え」を持っていなければならないと思ったのです。 そして、その「答え」を他の人に信用してもらうためには、その言葉が嘘であってはいけない。嘘にならない為に必要なことは3つ。相手を心の底から思いやって言葉をかけること。誰かだけをひいきすることがないように皆を平等に想うこと。自分が発する言葉は常に自分が心の底から信じ、自分の言動は常に筋が通っているようにすること。と思い、それ以後実際に、自分の中に理想の姿を想い描き、その思想から外れた行動は取りませんでした。 やがて周囲の人間から、『その人の持っている「答え」を本にして出版しよう。そうすることで、その人のすぐ近くにいる人だけでなく、本を読んでくれたもっと多くの人を救えるようになる』と進言されましたが、『自分の言葉は、自分の周りにいる人に直接心を砕いて語りたい。相手を想わないで伝える言葉は、ただの記号でしかない』と言い、それをすることはありませんでした。 さて。 この人は、一応は自分が求めた姿になることはできました。 細かい話は割愛してしまいましたが、実際に、自分がなりたかった自分の姿に一応は到達することができたのです。 しかし自分は「強く、正しくあらねばならぬ」存在たれと願ったため、いつも張り詰めて誰かを自分の「救い」にすることはできなかったのです。 この人は、果たして幸せだったのでしょうか。 うまく言葉で書ききれませんでしたが、読ませて戴いたふたつのお話から、この人の話が思い浮かびましたので、紹介させていただきました。 論点がずれていたら申し訳ありません。
お礼
こちらもお読み頂き、またご回答有難うございます。 >兵士は「死」の象徴、女性は「生」の象徴として表現されているのかもしれません。 そうですね、そして『1枚の紙の裏表に…』、ふれあうと言うより『一体』である『生と死』、裏表は主観はそう判断するも、紙は裏も表も何の意識も無く、ただ1面と1面そして『ひとつ』…。 深いです。 『思考』だけでは、ついて行くことが出来ません。 >「気が付いてくれたことが嬉しかった」 とても『痛感する言葉』です。 今の私自身、そしてこれまでも、これからも、 『気づかれたら』嬉しい…そのままです。 しかし、その逆は、『悲しい』ですね。 大自然の中の『多くの存在がすぐ近くで気づいてくれるのを待っている』、 そのようにも感じます。 >この人は、果たして幸せだったのでしょうか。 おそらく『気づいた』のではないでしょうか。 『何者かになろうとする心、それは自我』であって、利己になる。 そこに『利他は合いまみえない』ことを。 >何気ない会話の中で 何気ない会話には、『自我が存在していなかった』、 それを『気づいた』と思います。 そこでまた『幸せを感じる』となると、 それは『自己』に戻ってしまいますので、 その幸せは『一瞬で消えるシャボン玉』になるのでしょうね。 >この人は、一応は自分が求めた姿になることはできました。 『求める事=欲=俗』となり、求めた姿になったと言う事は、 また『振り出しに戻った、原点に返った』となるのでしょうね…。 >読ませて戴いたふたつのお話から、この人の話が思い浮かびましたので、紹介させていただきました。 論点がずれていたら申し訳ありません。 2話とエッセンスは完全にシンクロしていたと思います。 ご引用、ご転記、回答有難うございました。
- rowena119
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昔から、武力で作った平和は武力で破られる。中国では、政権交代時、前の権力者の血統・子孫は徹底して根絶やしにしました。これも復讐を恐れてのこと。イスラムではハムラビ法典にまで、報復が書かれている。昔から、判っている道理ですが、それを繰り返すのが人間の弱さです。さてお話の男ですが、私がその男なら、家族の下に帰って暮らします。自分の家族も守れないのでは始まらないからです。お釈迦様は多くの人を救う為、家族を捨てたそうですが、私には出来ません。
お礼
ご回答有難うございます。 武力に対して武力、Forse VS Forse人類の歴史なのでしょうか。 形は変われど現代社会の生存競争もPowerではなくForseのように感じます。 家族、血縁、地域、国家、世界とすべてが共存する日は未だ先みたいですね。 >それを繰り返すのが人間の弱さです。 私達もその弱さがある…のですね。 人類の進化は止まってしまったのでしょうか? >お釈迦様は多くの人を救う為、家族を捨てたそうですが、私には出来ません。 お釈迦様、イエスキリストは…果たして『誰かを永久的に救った』でしょうか? 両名とも『自らが救われた』のは間違いないでしょうね? しかし、他者を一時的ではなく『未来永劫』救ったのか…疑問の余地がありそうです。 両名が滅して早、二千数百年、その教えを伝えている筈の仏教、キリスト教ともに『宗教の名の下に戦火を繰り広げた事実』は史実に新しいですものね。 >私がその男なら、家族の下に帰って暮らします。 たとえ孤立しても守るべきものを守り、遺恨無く次に繋げるには 、同じ艱難辛苦があっても、それが最善のようですね。 ご回答有難うございました。
- tomban
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…だからこそ、日々を生きることに真摯になるべきなのです。 研ぎ澄ましながら生きていくのです。 外からの理由を受け入れたとき、自分の生きる理由が消えていくのです。 しかし、それを受け入れない限り、人は人として生きていけない。 …人は「削られて」生きていくもの。 刃こぼれするナイフのようにね。 だから、いつも研ぎ澄ましておかなきゃいけない…そうじゃないと、自分というものが役立たずになるからね。 戦争に行くのは、所詮は「誰かのエゴ」に自分が乗ってしまうだけのことです。 はじめたのは自分じゃないのだから。 しかし「自分の愛する対象を守らなきゃ」という「理由」のために、自分は歩みだすわけです。 その時点でもう、本当の自分というものは、どこかに消えてなくなっているわけです。 戦場で人が機械のようになるのは、本能の赴くままに奪いつくせるのは、それが「他者の感情」だからで、自分の理由じゃないからですよ。 戦争というものが怖いのは「自分を平気で無くせる場所」だから。 だからなまじ、仏心が生まれてしまうのは、戦地では不幸だってことです。 理由がどのようなものであれ、自分が戦地に赴くということは、確実に自分が失われていくということに過ぎません。 戦争はロマンじゃないんです。 もし、その男に自分が会ったらなんて声をかけるか?ということなら、私はこういいます。 「銃なんて持ってないで、さっさと帰って箒でも持ちやがれ!!」 …ってね。
お礼
ご回答有難うございます。 『外からの理由を受け入れた時、自分のそれは消えている』との事、 肝に感じますね。 ここでは『戦場、祖国、家庭家族、そして一家の柱』と、 『戦士、国民、父、ひと』と何処までが『外』で何処からが『内』なのか、 未だに疑問は残ります…。 他者の感情はその中に自身の感情も反映されている事に気づきます。 しかし『身を削る刃物』、『身を減らし周りを照らすロウソク』と、 『エゴと奉公』、”個人と社会”と訴えているのでしょうね。 切れない刃物、灯りの付かないロウソクはそれが『エゴ』であっても、 『無価値』、邪魔なものでしかないですものね。 おそらく『戦場』は男の現代社会を示唆していると思われます。 戦場も現代社会もロマンはない…そうも取れますね。 >「銃なんて持ってないで、さっさと帰って箒でも持ちやがれ!!」 周りが銃を持っているから自分も…確かに安易です。 銃と箒の対比は『其れを実践するには』智慧を必要としそうですね。 さらに考えさせられる部分が出てまいりました。 ご回答有難うございました。
- 誠治(SEIZI・SAGE)(@romanda201)
- ベストアンサー率10% (293/2677)
創造の悲しみや苦しみも有るらしいのですが それを上回る喜びも有るそうです! 戦争に意味なんて有りませんよ! 前に書きましたけど 「面子(めんつ)」 それが横たわっているだけです・・
お礼
ご回答有難うございます。 創造…何の因果も無く『創り出すエネルギー』これらは私達人間が誰しも持っているものなのでしょうね。 戦争に意味は無い…そうかもしれません、しかし其れは『傷』を確実に残すように思えます。 日本と言うこの国も戦後60年以上経過していながら、NOと言えない、属国、従国ぶりを露呈し、在日韓国、朝鮮の方にもそれ以上の心労を残していますね。 面子、プライド…この無形無力のまやかしモノにエネルギーを与え作用させてしまうのが、人間のエゴ(自我)のようですね。 そのエネルギーも『少しずつ確実に大きくなれば』必ず動き出す、厄介者ですが、すべては『ひと』によるモノですね。 ならば、防ぐのも『ひと』、一人一人のひとですね。 ひとのエゴも創造力も同じ源に有りながら、喜びにも、悲しみにも苦しみにも なるわけですね、そしてすべては『ひと次第』なのですね。 有難うございました。
- yasuto07
- ベストアンサー率12% (1344/10625)
これは、いっぱいの掛けそばと同じ類のお涙頂戴のはなしだよね、 わらえるけど。 戦争は、徴兵でなければ、行く必要がないんですよ。 まもちたいのであれば、ゲリラかなにかで、自分の家の周りだけ、まもればいいのですよ。 戦争は、個人の戦いではないのです。国というか、大きな利害者、利権者の戦いですから、 その子供も、兵士も、同じく被害者です。 「もういいんだよ、かえろうよ。」と、これをかければよいことです。 考えすぎはよろしくないですよ。 私は、いっぱいの掛けそばの話のほうが好きですね、特にきたの、たけしが、いうと、 よけい嘘っぽいところが、笑えます。
お礼
回答有難うございます。 被害者…その通りですね。 ではその『加害者』は”社会でしょうか、時代でしょうか”? 社会も時代も『その時を生きている人の集団の力』のように思います。 『個の集団』が加害者で、『その中の一つの個』が被害者…。 それはまるで『昨今のいじめ、パワハラ』のようですね。 『もういいんだよ、帰ろうよ』それで済むなら何よりですが…。 ご意見有難うございました。
お礼
ご回答有難う御座います。 ご回答の中にまた新たな視点、作者の意図が見つかりました。 >首謀者が存在する以上 首謀者が居るから戦いが起こるのか、小さなエゴ、我欲が巨大化し、首謀者を祀り上げるのか? 兵士の『首謀者を取れば戦火は納まる』、ここに作者は兵士の間違いを意図し『責任転嫁』の世の中を刺したのですね。 >こう言い放った少年の心を変える事ができるのも、人のすごいところではないでしょうかね。 少年の救済については全く見過ごしていました。 荒れた心、傷ついた心、『荒らすのもひと、傷つけるのもひと』、そして何より大切なのは『それを癒せるのもひと』なのですね。 兵士の『体力、知力、技術』というのは、文中まだ殺傷はしていない兵士、 しかし『親の仇』と言われた兵士、そして兵士はひと、しかも3つの特徴がある兵士…その力の発揮する場面の作者の意図が見えました。 ご回答感謝いたします。ありがとうございました。