はじめまして。
難しい問題ですね。
あなたはどうして幸せな人を見るとイライラするのか、深く考えてみたことがありますか?
また、それについて自分はこれからどうしたいのか、具体的な目標はありますか?
まずは原因を突き止め、自分がどうなりたいかを考えてみてください。
ここから下のことは、あなたが求めている回答とはかけ離れた答えかもしれません。そうだと思ったら読み飛ばしてください。
幸せな人を見てイライラしないようにするには、まずあなたが変わらなければならないと思います。
この時点で自分には変わる気なんてないとお思いになりましたら、それはもうどうしようもありません。自分を取り巻く環境を変えるには、自分が変わるのが一番です。難しいようでいて、それが幸せへの一番の近道といっても良いと思います。
あなたが幸せになるのです。
幸せになるには、感謝することと愛すること、そしてあなたが結構だとおっしゃった「キレイ事」を信じることが必要です。もちろん、幸せは人それぞれ形が違いますから、それが全てだとは言いません。
ただ、私が個人的に思う「健全な幸せ」には、それらが欠かせないと思うのです。
全てはあなたの考え方次第です。
幸せな人を見たときに、こっちの気も知らないで畜生と思うか、ああ素敵だなあと自分も笑顔になれるか。
大きな失敗をしたときに、自分はダメなやつだと思うか、これも将来のための経験だと思うか。
考え方次第で、人生が変わります。
例えば、ご飯を食べられることに感謝することができれば、ご飯をこれまで以上に美味しくいただくことができるでしょう。お腹いっぱい食べられたなら、幸せな気持ちになるでしょう。次にそんな素敵なものを提供してくれる相手に感謝し、そんな幸せを感じられるような環境に育ててくれた、あるいはこの世に産んでくれた両親に感謝し、祖先に感謝するでしょう。
ありがとうはやがて慈しむ気持ちに変わり、思いやりと優しさが生まれ、自分がいかに愛されてきたかを学び、愛することの大切さを知るでしょう。
その連鎖です。小さなことから始まり、それらは連鎖して大きな幸せを運びます。不幸や苦しみが感染するように、幸福も笑顔も感染していきます。
その連鎖に仲間入りするもしないも、あなた次第です。自分は他とは違うと思っているうちは、きっと仲間にはなれないと思います。自分も他人も同じ人間であり、同じように悲しみ、喜び、傷つき、幸せを求めていると認めることが必要です。
これらのことこそ「キレイ事」かもしれませんが、「キレイ事」もまた現実なのだと思います。
少し話はそれますが、バランスを取ってください。
人間はいつも自分勝手で、自分のことしか考えていなくて、それは真実だと思います。食べ物もろくに食べられない紛争地域の様子を知っては、それと比べて自分は幸せだと思うような生物です。誰かと比べて、自分がいかに恵まれているかを確かめたがる生き物です。見下し、妬み、自分だけは違うと思って生きています。
しかし、誰かのために泣き、笑い、尽くそうとするのも人間です。見ず知らずの人の健康を祈って募金をしたり、誰かの不幸を一緒に嘆いたり、誰かの幸運を一緒に喜んだりできるのも、人間です。人間の持って生まれた醜さと狡さを知っていながら、そういうマイナスな面をも受け入れようとするのが、人間というものです。
そのどちらか一方の面だけを見るのではなく、両方を見つめて生きていくことが、幸せに繋がると思います。
私の答えは、あなたの求めるそれとはだいぶずれているかもしれません。
お力になれなかったなら、申し訳ありませんでした。
寒さは厳しくなってまいりますが、お身体にはくれぐれも気を付けて、頑張ってくださいね。
拙文を長々と失礼いたしました。少しでもあなた様のお力になれましたら、幸いです。
ぜひ幸せをつかみとってください。応援しています。