- ベストアンサー
82年の中日優勝の近藤監督は
82年の中日優勝の近藤監督はどうしてたったの3年で辞任したのでしょうか? たったの2年で優勝したのにも関わらずですよ。 同時期の監督の広島の古葉さんは、11年という長期政権を築いていたのにですね。 お教え下さいませ。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>82年の中日優勝の近藤監督はどうしてたったの3年で辞任したのでしょうか? ↓ 詳細は、当時の球団幹部とご本人にしか分りませんが・・・ 推察するに (1)名古屋・中日新聞のローカル球団であり、地元・生え抜きへの人気・支持が強く、そうでない近藤氏のユニークな作戦や用兵に批判も強かった。 (2)比較的、高齢の監督であり、生え抜きの選手やスター選手の監督候補(星野他)が数多く居り、球団のチーム強化への強力な支援や作戦補強へも絶対的な支持を得ていなくて、手腕を発揮したり、近藤式の用兵戦略を打ち出す為には他球団への移籍となった。 (3)投手の分業制や肩は消耗品としてのトレーニングやキャンプでの投げ込み、試合での選手交代に、当時は未だ理解されておらず、成績の低迷や不振な時期にはファンからの罵声や交替論が強まり、球団もバックアップや擁護よりもファンへの同調・追従が多く、追い出しに近い形での退団だった。 <参考記事> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%97%A4%E8%B2%9E%E9%9B%84
その他の回答 (2)
- kuni-chan
- ベストアンサー率22% (678/3074)
広島の古葉監督は特別と思った方が良いでしょう。 昭和50年のシーズン途中から監督に就任し初優勝しました。それまでの広島は万年Bクラス、最下位は当たり前、セリーグのお荷物と呼ばれた球団です。それを初優勝へ導きましたから、すぐに辞めさせたらファンが納得しません。 初優勝の後も強いチームを維持していましたから、球団として解任はあり得ません。 古葉監督が長期になった理由の一つに古葉ファミリーと呼ばれる強力なコーチ陣を忘れてはいけないでしょう。当時の監督とコーチは一体となっていましたから、監督が辞めればコーチも辞めるという事になります。これは良いチーム状況の時は避けるべきです。
お礼
大変わかりやすいご説明誠にありがとうございました。
- norikhaki
- ベストアンサー率25% (1154/4593)
5位から優勝しましたけど また5位に落ちてるからでは? 優勝は単にフロックだったと見られたからではないでしょうか。 広島時代の古葉監督とは成績では比較にならんでしょ? 古葉監督でさえ大洋の監督では下位から抜け出せず3年で辞任していますよ。
お礼
ありがとうございました。
補足
>古葉監督でさえ大洋の監督では下位から抜け出せず3年で辞任していますよ。 確かに大洋時代は1度も優勝してませんからね。
お礼
大変わかりやすいご説明誠にありがとうございました。