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クリスマスにサンタは何でしょうか?
- クリスマスとサンタクロースの繋がりについて知りたい
- クリスマスはイエスの誕生を祝う日だが、なぜサンタクロースが関係するのか疑問
- クリスマスイブにバイト仲間と話していたらサンタクロースについて考えるきっかけになった
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今晩は。 オランダがアメリカに植民し、マンハッタン島にニュー・アムステルダムを建設するのは17世紀の初め、1626年のことでした。 しかし、その世紀のうちにマンハッタン島はイギリスの手に渡り、ニューヨークと改名。 アメリカが独立戦争で勝利した後、1804年にニューヨーク歴史協会が創設されたこのとき、アムステルダムの守護聖人であり、学問の守護聖人であった聖ニコラウスを歴史協会の守護聖人としたそうです。 いっぽう英国にはファーザー・クリスマス (Father Christmas) がクリスマスの日に子供達にプレゼントを持ってくるという習慣がありました。 これらがミックスされ、聖ニコラウスの祝日12月6日からクリスマス・イブである12月24日に移動し、サンタクロースがそのプレゼント役となるのは、19世紀のニューヨークで誕生したものといわれています。 その決定的なものは、1823年(1822年とも)にニューヨークの神学者と称するクレメント・クラーク・ムーアが他人の「聖ニコラウスの訪問」という詩をもとに「クリスマスのまえのばん」のタイトルで出版したのがきっかけとなり、サンタクロース物語は世界中に広まったというのが現在までの定説です。 では、サンタクロースは実在するのか。 サンタクロースは実在するのかは、1897年9月21日、アメリカ合衆国の新聞社ニューヨーク・サンに掲載された社説です。 筆者はフランシス・チャーチ氏であり、世界で最も有名な社説の一つとなりました。 これは8歳の少女、ヴァージニア・オハンロンがニューヨーク・サンに「サンタクロースは実在するのか」という題で手紙を送ることから始まりました。 当時、彼女は学校で「サンタクロースはいるのかどうか」で友達と意見を交わしていました。 彼女は結論が知りたくて、父親のすすめもあってニューヨーク・サンに「サンタクロースっているんでしょうか?」という趣旨の手紙を出したのです。 当時のニューヨーク・サンの論説委員、フランシス・チャーチ氏は、上司に、この手紙についての社説を書いてくれ、と頼まれはじめはぶつぶつ言いながら考え込んでいましたが、しばらくしてからこの社説を書き上げました。 "Yes, Virginia, there is a Santa Claus"(そうです、ヴァージニア、サンタクロースはいるのです) という題名で書かれたフランシス・チャーチ氏の社説は、新聞のトップ記事に載り、大きな反響を呼びました。 その後、この話は毎年クリスマスが近づくと世界中で語られるようになったのです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%AF%E5%AE%9F%E5%9C%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B
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- kusirosi
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サンタ・クロースは 聖ニコラスのことです。 4世紀ごろ、小アジア(現在のトルコ)にあるリキヤという地方のミラの町の神父、ニコラスは、人々に深く敬愛されていました。 数々の奇跡を行い、貧者や弱者を助けたニコラスは、やがて大主教になり、キリスト教への迫害に耐えながら、信者を守り、様々な伝承が残っています。船乗りたちを助けた話、無実の三人の兵士を救った話、溺れた子供を助けた話などなど、きりがないほどです。 こうしたニコラスへの尊敬は、死後もヨーロッパ中にも広がり、やがて「サンタ・クロース」伝説へと展開しました(サンタ・クロースは聖ニコラスという意味)。ニコラスが三人の貧しい娘たちに、クリスマスの夜に、密かに贈り物をして助けた実話から、聖ニコラスは、神の力で、死後、邪な権力者の手の届かぬ北の国に不死の体に変えられ移され、世界中の人々を見守り、クリスマス・プレゼントをしてくれる神の使いとなったと言われています。