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インドの宗教について

インドにはお釈迦様が生まれ全土に普及、日本にまで伝導されたぐらいなのに、現在はどうして仏教徒がいなくなってしまったのでしょうか?ほとんどがイスラム教で牛も食べないと聞きます。ある時代の征服者の都合か何かで迫害でも受けたのでしょうか?どなたか教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • masazai
  • ベストアンサー率36% (55/150)
回答No.4

仏教に関しては、他の回答者さん方が回答されているので、 >ほとんどがイスラム教で牛も食べないと聞きます に関して。 インドではムスリム(イスラーム教徒)は約14%ですがヒンドゥーは80%です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89#.E5.AE.97.E6.95.99 国民の8割がヒンドゥーの地で、ヒンドゥーの神の乗り物とされている(=神聖な)牛を14%しかいないムスリムが屠殺したら暴動が起きるのは目に見えています。 それにインドの多くの州で、牛の殺処分が禁止されているそうです。だからほとんど食べられないんです。 http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2515158/3309358

OKAngel
質問者

お礼

ムスリム(イスラーム教)とヒンドゥー教を混同していました。 お陰さまでよく理解できました。有難うございました。 .

OKAngel
質問者

補足

ムスリム(イスラーム教)とヒンドゥー教を混同していました。 お陰さまでよく理解できました。有難うございました。

その他の回答 (3)

  • covanonki
  • ベストアンサー率48% (219/448)
回答No.3

元々、仏教はバラモン教のカーストでいう司祭階級の「バラモン」の特殊性を批判した学派から生まれた 哲学で、バラモンの下位に位置する、「クシャトリア」という貴族階級に広く受け入れられた宗教でした。 「バラモン教」とは、現在のアフガニスタンあたりから南下し、イランとインドにわかれて移動した「アー リア人」が土着のインド人、つまりドラビタ人を支配するために作られた宗教です。 「バラモン」に位置するのはすなわちアーリア人。バラモン教が定着したのはインドの北西部。現在のパキ スタン地域に当たります。 このパキスタン地域が、仏教の成立後、イランからアケメネス朝ペルシャが攻め込んできて、イラン系の アーリア人に支配されてしまいます。さらにこのペルシャ帝国はギリシャから攻め込んできた古代マケドニ アのアレクサンダー大王に滅亡させられ、パキスタン地域はマケドニアに支配されてしまいます。 バラモン教が最も定着した地域が他民族による支配を受けたわけですから、バラモン教にとっては大ピンチ です。もとはアーリア人がドラビタ人を支配するために作った宗教でしたが、その権威を維持するため、 「支配者の階級」でいるわけにはいかなくなりました。次第にバラモン教は先住民族の宗教や信仰をその教え の中に吸収するようになったのです。これが後の「ヒンドゥー教(インドの宗教)」です。 インドは、さらにマウリヤ朝マガダ国のアショーカ王によって全土が統一されるのですが、このアショー カ王が仏教に帰依。仏教はインド全体で広く信仰されるようになります。 そして、さらにインドはイラン系の外来王朝、「クシャーナ朝」による支配を受けますが、このクシャー ナ朝でもやはり仏教が信仰されました。ですが、クシャーナ朝はあくまでも外来王朝であり、この外来王 朝によって信仰された仏教は、続くインド土着の王朝「グプタ朝」では重用されませんでした。この時、 グプタ朝で国教として定められたのが「バラモン教」。仏教が衰退し始めるのはこの時からです。また、 バラモン教が「ヒンドゥー教(インドの宗教)」と外国から呼ばれ始めるのもこのころからです。 仏教はその地位を確保するため、ヒンドゥーの呪術的な要素を取り込もうとします(密教)。この教えが 大陸を経て日本にたどりついたのが「真言(タントラ)宗」です。 しかし、この呪術的な要素はインドの民衆にはあまり受け入れられず、却って仏教徒以外の民衆から衰退 していくことになるのです。 11世紀にはインドのさらに北西部にイスラム系イラン王朝が台頭します。イスラム国は密教の持つ偶像崇 拝や呪術信仰を忌み嫌いますから、イスラム王朝に真っ先に攻撃されたのは寺院仏閣。彼らによってイン ドから密教は滅亡させられます。 13世紀には南からキリスト教国が到来し、東インド会社なるものを設立し、支配しようとしていましたか ら、このころにはインドはすでに「ヒンドゥー教」を国教として結束し、北のイスラム、南のキリストに 対抗するよりほかなかったと思います。 というような話をまとめた、私のブログ記事です。^^ (宗教から見るインド)http://blog.goo.ne.jp/nonkinonki_001/e/ae24bc081acda7303406eae22ba46f9a (「仏教」と「ヒンドゥー教」前篇)http://blog.goo.ne.jp/nonkinonki_001/e/8dd883e370a48d6a71b2ec86a79e6f78 (「仏教」と「ヒンドゥー教」後篇)http://blog.goo.ne.jp/nonkinonki_001/e/57cf2f7e3314e524ff70b16f14078fd1 (「仏教」と「ヒンドゥー教」・・・で書ききれなかったこと)http://blog.goo.ne.jp/nonkinonki_001/e/7f68c72a28dedd836d731d1e59959fb5 良ければ、見てみてくださいね。^^

OKAngel
質問者

お礼

まことに詳細なご解説有難うございました。私先週インドを旅行したのですが、世界遺産の訪問に明け暮れ、肝心のことが疑問のまま残ってしまっていたのです。 それにしても世の中に平和をもたらすはずの宗教がその時々の権力者によって左右されてしまうというのも悲しい現事実ですね。 お陰でよくわかりました。ほんとうに有難うございました。

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.2

>>ある時代の征服者の都合か何かで迫害でも受けたのでしょうか? はい、誇り高かった釈迦族は、近隣大国のコーサラ国より血筋アップのため「釈尊の近親から皇后を迎えたい」との申し出を受けたとき、「系図が正しくない王に姫を嫁がせることはできない」として、侍女に生ませた娘を偽って王に嫁がせたんですね。 そのことが生まれてきた王子である毘瑠璃太子が8歳のとき「下婢の子」と罵られて、事実を知ることになります。 その恨みは消えることなく、父の死後に王位を継いだあと、釈迦族のカピラ城を攻めようとします。 釈尊は3度にわたって、その攻撃を防ごうと立ちふさがって制止しました。でも、4度目の攻撃のときには、王は「今度は釈尊が出ても攻撃はやめないぞ!」と決意し、釈尊も「宿縁の止め難いことを知られ、世の無常を観じて精舎に留まられた」ので、釈迦族は老若男女の別なく生き埋めにして殺されたということです。ただし、「坊主(出家者)を殺すと祟りがひどい」ということで釈尊たちは殺されなかったそうです。それから、「おまえは釈迦族か?」と聞かれたとき、発音の似た別の単語と解釈して「違います」というようなウソをついた人も生き残ったそうです。ただ、「ウソはいけない」としてそれができずに殺された人のほうが多かったのでしょうね。でも出家者だけが生き残っても、彼らを支える在家信者がゼロになれば、先は無いですよね。 もちろん元々の原因は釈迦族にあるとはいえ、そういう行為を行った影響(神罰?)で、毘瑠璃王とその軍は七日後、河辺で嵐に遭い全滅。王宮も雷に焼かれ、王を失ったコーサラ国はやがてマガダ国アジャセ王の領土となったそうです。 なお、仏教の戒律のひとつである「殺生するなかれ」という、日本国憲法にも通じる「非暴力主義」「一国平和主義」を頑固に守ってしまい、正当防衛レベルの防衛戦争さえも否定していたことも滅ぼされる一因であったと思います。 これは、仏法の教えの誤りだと思います。ヤクザ同様の中国・北朝鮮という国が近隣にあるのに憲法九条を死守するのは、バカか自殺志願、滅亡したい国民ってことでしょうね。(まあ、先日のスクールバスを襲撃した若者みたいな心境?) 「殺生禁止」は理想ですが、ヤクザ・暴力団が闊歩する世界で理想主義をひとりだけ極端に守り抜くと、「愚か者」「卑怯者」「勇気なき者」という評価を後世から受けることもあると思いますね。

OKAngel
質問者

お礼

詳細なご回答有難うございました。私、先週1週間インドへ旅行したのですが、世界遺産の訪問に明け暮れ、肝心のことに疑問が残ったままでした。お陰さまで疑問が晴れすっきりしました。 それに極端な理想主義はナンセンスだとのお説、かねてより全く同感です。 無実の人を冤罪にするかと思えば、世をはかなんでも自分で自殺することはできず他人を傷つける狂気の若者を死刑扱いにできぬようでは、下手に就職するよりは刑務所でも入った方が楽と考える不届き者が増えるのではないでしょうか? つい余計な愚痴に行ってしまったようですみません。いづれにしても極端な理想主義は不幸な結果を招くことになるとのご教訓有難うございました。

  • vsm42952
  • ベストアンサー率27% (111/398)
回答No.1

こんにちは 仏教は基本的に支配者階級にしか浸透しなかったのです。その原因として、初期仏教は土着の神々を信仰の対象にしていませんでした。あと、呪術的な要素も排除しました。 民衆は土着の神々、つまりヒンドゥー教を信仰し続けました。庶民は疫病や飢饉を防ぐため、あるいは退散を願い、それぞれを司る神を崇め、呪術を用いました。庶民には分かりやすい信仰だったのです。 仏教は哲学的な要素が強すぎて、そんなことに時間を割いていられるのは支配者階級しかいませんでした。 民衆と支配者、どっちが多数かと言われれば、民衆に決まっています。仏教もヒンドゥー教もイスラム教民族の攻撃を受けましたが、民衆に深く根付いたヒンドゥー教は残り、仏教はチベットや中国、東南アジアに伝来して残りました。でも、民衆に親しみやすい形でヒンドゥー教の影響を色濃く受けています。だから、今の仏教にはお釈迦様以外に色んな仏様がいるのです。

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