「他人」には「深入り」しない方が良いと言うのは、極めて正論ですよ。
一番判りやすい、金銭的に困った人の、込み入った事情に深入りしたらどうなるか?って考えてみましょう。
他人から「込み入った事情を聞く」と言うのが、深入りです。
聞いてしまうと、最後はお金を貸すか、貸さないかと言う判断を迫られる場合が多いです。
お金に困っている人にお金を貸すのは、貸す人にとって大きなリスクです。
お金を貸す場合は、「問題解決する能力」が必要と言うコトです。
たとえば大金持ちの大人物で、その他人にお金を貸して、もしお金が返って来なくても、全く問題が無いと言うなら、「問題解決する能力が充分にある」と言えますが、そんな人は余り居ません。
普通は、お金が返って来なけりゃ、自分が困ったり、相手を恨むコトになります。
返って来たら、それはそれで一時的には良いコトですが、いずれにせよ、他人にとっては、恩人ではありますが、「あの人は頼めばお金を貸してくれる」と言う、一種の依存関係が出来てしまうんです。
またお金を借りに来るかも知れませんし、その時は更に金額が増えてるかも知れません。
次は返してくれないかも知れません。
「お金を貸す」と言うコトは、最初はたとえ少額でも、そういうリスクが付きまとうんです。
逆に、他人にお金を貸さないのは賢明です。
最初から貸さなくても良いし、どこかの時点で貸すのを止めても良いです。
ただ、他人の方からして見れば、「事情まで話したのに・・」となり、要らぬ恨みなどを買うコトになります。
自分にしてみれば、「どうして恨みを買わなきゃならないんだ!」って感じますから、その他人との関係は壊れます。
貸さないのは当然で賢明ですが、人間関係が壊れる結果に至ったのは、そもそもは深入りした結果なんですよ。
貸しても貸さなくて、ハッピーエンドは殆ど無さそうでしょ?
お互いに相手を恨み合う様な結果にしかならない場合が殆どです。
逆に「他人」の側からも考えてみましょう。
他人の込み入った事情と言うのは、その他人が自力では解決出来ない様な問題なんですよ。
また、他人にだって、親や友達は居ますが、何らかの事情で、親や友達を頼れないとか、頼りたくない様な状況だから、解決出来ないんですよ。
この時点で、「深入り」せねばならない様な問題は、かなりややこしいとか、大きなトラブルだったりする可能性が高いんです。
どう考えても、最初から近寄らない方が良いでしょ?
ついでに、深入りせねばならない様な事情って言うのも考えておきましょう。
まあロクでもないコトですよ。
上で書いたお金のコトとか、人間関係とか、犯罪に巻き込まれたとか・・・。
「宝くじに当たって、お金の使い道に困っている。君が少し使ってくれない?」なんて話しは、絶対に有りませんから。
たとえば、未成年の学生くらいの問題なら、人生経験が豊富な社会人なら、簡単に解決出来るかも知れません。
他人にとって、自分がその「人生経験が豊富な社会人」の様な存在であるコトが確実なら、「問題解決能力が充分にある」ので、深入りしても問題は無いです。
金銭問題でも、小学生が100円落として泣いてるなら、「お兄ちゃんが100円上げるから。もう泣くな!」って、簡単に解決出来ますからね。
でも、少なくともその小学生にとっては、自分で簡単に解決出来る問題では無いんです。
そういう問題に対し、他人が深入りするべきじゃないし、もし他人が深入りしちゃったら、その内容は、ほぼ100%、ロクでもないコトです。
言い換えたら、自分の命に換えてでも、救って上げたい様な相手(身内とか親友とか恋人とか)なら、深入りすれば良いです。
でも、そこまでも覚悟や義理が無い様な相手には、深入りしない方が賢明ってコトですヨ。