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子供を欲しいと思う理由と意味の喪失
- 子供を欲しいと思う理由は様々ありますが、一般的な理由としては後継ぎや老後の心配、愛の結晶が欲しいという願望、子育てを体験したいという欲求などが挙げられます。
- しかしこれらの理由は共通して自己中心的なものであり、子供が産まれる目的は産み出す人間の願望や利益のためであることに注意が必要です。
- 自分の生きる意味や人生は他人の一部であり、自分の為に生きられない虚しさや悲しさを感じるかもしれませんが、それでも生きる必要があります。もし自分の子供が意味の喪失を感じている場合、どのように対応するべきか考える必要があります。
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何度となく、生きている事が虚しく面倒だと思う時期がありました。 死にたいと思った事さえも。 その時は絶対と言っていいほど、壁にぶつかり充実できない日々を過ごしていたように思います。 でも、こんな私でも怖いくらいに何もかもがうまく行き、毎日が楽しく幸せで充実していた時があったもの確かです。 4ヶ月の子を持つ母です。 子供が欲しいと思ったのは、自分のエゴかもしれません。 今の世に生み出してしまって、沢山の辛いことや苦しいことに事を経験しないといけないと思うと心配で仕方ありません。 だからこそ、この子を想い、極力そうならない為に親はできる限りの事をするのだと思います。 経験したからこそ思うのですが、親を信頼し素直に気持ちを伝える事ができ、且つ、親に理解してもらい助けてもらう事が出来たなら・・・死を考えたりなんてしなかったと思うのです。 子供は親の様子を見、子供ながらに迷惑や心配をかけないようにするものです。 一人で悩み、どつぼにはまってしまうから生きている事に疑問を感じて行くのかもしれません。 親は心に余裕ができるくらい穏やかでいて、忙しくあってはいけないものだと思っています。 子供が入って来れるだけの隙を作るのも親の務めだと考えています。 もし我が子が、生きる意味を失ってしまったら、、 そうなる前に心の変化に気付き、付かず離れずの距離で心のサポートが出来たらと思います。 娘には、辛いことを経験するからこそ、幸せはより幸せに感じるのだと伝えたいです。 せっかく生まれてきたのだから辛いことも楽しい事も沢山の事を経験して欲しいと、、 そんな状況でそんな事を言ったなら“生んでくれと頼んでいない”と言われそうですが。。 ・・・私も親に吐いた暴言のひとつです。 身勝手な意見になりましたが、、子供の心がそこまで病んでしまう前に、変化を感じ寄り沿いたいと思います。
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生と死について 自分の存在価値について考えることはそれほど悪いこととは思いません 親のエゴのために生み出されたのに 何のためにいき続けなかればならないのか 私も 幼いころにそういったことを考えたことはありますし 生きること 死ぬことに 何の疑問も持たないよりも 色々考えるほうが人間として成長できるのではないだろうかと思います 若いころに考えることで 自我を確立していくのではないでしょうか 歳をとると 若いときって いろいろ 考えてたなって思います 昔 それらの疑問を解決しようと いろんな本を読み漁りました 色々な考えはありますが 人間は生まれると必ず死んでいきます どう生きて どう死んでいくのか 当たり前だけど 大きな問題です 何も考えず ありのままを受け止めるのも人生 そのときどきで 疑問を持って立ち止まるのも人生 誰かのせいにしながら生きていくのも人生です たとえ 誰かに従属したり 隷属しているように思われ その為に産み出され、生かされ、それでも自分を産み出した人間に感謝し、喜んでその目的を果たさなければならない。 役割を勝手に与えられ それをこなすことを義務づけられているかのような 重圧に押しつぶされそうになりながらも 自らの意思を持って 自分らしく生きていけるよう 努力していく生き方ができればよいなあとおもいますよ
お礼
ご回答ありがとうございました。
補足
>役割を勝手に与えられ >それをこなすことを義務づけられているかのような重圧に押しつぶされそうになりながらも >自らの意思を持って自分らしく生きていけるよう >努力していく生き方ができればよいなあとおもいますよ 「自らの意思をもって自分らしく生きていける」 この言葉に尽きるのかもしれません。 自分の意思に関係なく生きる事が強制されるのが辛い。 でも死ぬのは怖い。だから地に根を張る事もなく漂うように生きる。 自分の為に生きていいと信じられるか。 子供にはそう信じてほしいし、親・周囲の人間はそう信じさせてあげる事が大事なのだと思います。
- masato3816
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子ども欲しいとは思いませんが、 知識がないんだなあ、と思います。 まず、親子が血縁によってのみ成立すると考えている時点で間違い。 法律は養親子関係を法的血族と位置づけており、 養子は嫡出身分を取得します。 実親子であっても婚外子の場合は非嫡出子となり法律上差別を受けることを考えると、 法律は、親子関係における血のつながりをさほど重視していません。 にも関わらず、 親子関係を出生においてのみ成立すると捉え、 その関係の中でのみ思考している時点で、 知識が足りないことがわかります。 また、子どもは15歳になったら親を選べます。 実親との縁を法律的に切るのは不可能ですけど 実生活上で断ち切ることは可能です。 扶養義務も断れますし。 自分で親を選べるのにその権利を行使しないのは 単純に自分自身の選択です。 自分で選んで決めたことなのに 「自分のために生きられない」 というのはおかしいでしょう。 まあでも小学生に法知識がないのは仕方ないので、 勉強しろよ、 勉強すれば君の人生は大きく拓けるだろう。 と、言うかもしれません。 ま、でも多分、伝わらないでしょうねえ。 子どもってのは、わかったように思っているだけで 本当はなんにもわかっていないのです。 絶望も同様。 絶望しているように思っているだけで それが本当の絶望であることは少ないでしょう。 少なくても、「それでも生きていかなければならない」 と思っているなら、放っておいても大丈夫でしょう。 本当に絶望してたらそんな事考えないから。 大人になって思い返した時に 身をよじるような恥ずかしさに襲われるだろうと思いますけど、 まあ、誰しも一度は経験することです。
お礼
ご回答ありがとうございました。
補足
質問文では触れませんでしたが、養子などの状況であっても同じ感情を持っています。 血縁上の親、そうでないにしても誰かが自分を何らかの目的に使おうとする。 それを簡単に拒めない(自分の立場の弱さや周りの圧力の為)から苦しんでいます。 >勉強しろよ、 >勉強すれば君の人生は大きく拓けるだろう。 >と、言うかもしれません。 「親は子供を愛している。」なんて言葉よりずっと救いになると思います。 ただ、それを「親」の立場にある人間が言えるかどうかはやや疑問に感じますが。
- chirin580
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ご両親の立場から考えたら悲しいでしょうね。 そこまで育てるのもそれなりの苦労があったことだと思います。 病気のときや怪我や不慮の事故などで子供を失う危険は小さいときは多いもの。 小学校中高学年まで自分たち夫婦の利益だけで子供なんて育てられないものだと思いますよ。 もう一つの考えとしては、そこまであれこれ深く考えられるように成長したんだなとも思いますね。 ともかく、子供がそのように思っているのなら一度気持ちをぶつけてきて欲しいと思います。 ちなみに妊娠中ですが、今のタイミングで子供が欲しいと思ったことはありませんでしたよ。 授かったので産んでみるって言うのが一番近いでしょうか。 どうも、タイミングやら体調やらをいろいろと考えてみると、子供は子供の事情でお腹に宿った気がするので。
お礼
ご回答ありがとうございました。
補足
愛情を与える事・育てる事の解釈は2つ。 後の目的の為に育てている、後々言う事を聞いてくれるように良くする。 またはそれ自体が目的。 前者の場合、自分が目的の為の道具であり、生かされているに過ぎないと感じる。 後者の場合も、自分は親が愛情を与える為、子育てを楽しむ為の人形に感じる。 どちらの場合も自分はそれを拒めない(と思い込んでいる)から苦しい。 >もう一つの考えとしては、そこまであれこれ深く考えられるように成長したんだなとも思いますね。 >ともかく、子供がそのように思っているのなら一度気持ちをぶつけてきて欲しいと思います。 上記の事も含め、親子で話し合える環境があるのが望ましいのでしょう。 しかし、子供の生殺与奪は保護者である親に握られています。 自分一人で生きていく事が出来ない事もわかっているでしょう。 だからこそ自分の思いを隠し続ける。気持ちをぶつけてそれがどんな結果になるかわからない。 親が「言う事をきかない」と理由で子供を殺せる現実がある以上、親との対立は子供には危険なものです。 親鳥は外敵から雛を守るけれど、雛はその親鳥から身を守らなければならないんです。 子供である自分の立場の弱さと反抗の危険性・安心感の無さ、これらを拭えない限り親子の対話は成立しないものだと思っています。
お礼
ご回答ありがとうございました。
補足
感じている辛さ・苦しみは、親という存在が自分に生きる意味を与えたから。 親の願望を処理する為に、自分は「自分でない誰かの為」に生きなければならない。 親は子供の辛さ・苦しみを解消したいけれど、 それを与えてしまったのは他でもない親自身なんです。 子供の感じる苦しみが「自分の存在理由が親の幸福の為に過ぎない事」であるなら、 その苦しみを取り除くにはその役目を果たす必要がないと伝えればいい。 ですが、それが可能かどうかはわかりません。 例えば、愛の結晶が欲しくてその子供に愛を与えたい(受け取って欲しい)、育てたい親が、 「愛情を受け取らせる為だけの人形としての生」 =親を好きにならなけらばならない、その愛情を受け取らなければならない、育てられなければならない事、 自分が選べない・変えられない事に苦しむ子供に 「私の愛情を受け取らなくてもいい」と言えるでしょうか? 辛い事・苦しい事を「私(親)の幸福の為」に経験して欲しいというのは理不尽な願いです。 それがいずれ自分(子供)の幸せに繋がるものでも、 自分を苦しめている人間の言葉ではご指摘の通り説得力がありません。 まず苦しみを与える事を止めてほしい。 そして子供に選ぶ力を与えられたらなと思います。