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共同募金の歴史
以前、共同募金の歴史について質問したものですが、 また一つ新たに疑問が生じましたので、質問させて いただきたいと思います。 共同募金の歴史をみてみると、「社会事業共同募金 中央委員会」が母体となって行った共同募金のほか、 大正10年に実施された長崎の共同募金が、日本初 の共同募金であることが書いてありました。 この解釈としては、「共同募金そのもの」については、 大正10年に実施されたものが初であるが、全国規模 で実施されたものは、昭和20年の共同募金が初、と いう理解でいいのでしょうか?
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この理解で結構です。 共同募金の萌芽(めばえ)は長崎市ですが、全国的な規模で定期的に行なわれるようになったのは、昭和22年(1947年)の社会事業共同募金中央委員会の発足以降です(昭和20年ではありませんよ)。 つまり、戦争を経なければ始まりませんでした(GHQ[米国駐留軍]の意向もあったようです)。 大正10年(1921年)、長崎市内で長崎県社会事業協会によって行なわれた共同募金が、わが国で初めての共同募金運動だとされています。 10月20日から11月2日までの14日間に亘って実施され、当時のお金で3万7319円3銭を集めたそうです。 募金に応じた人に対しては、造花の徽章(バッヂ)が送られました。これがその後の「赤い羽根」に変わったことになりますね。 ちなみに、この募金は、財政困難や資金調達困難のために経営不振に陥ったりしていた民間社会福祉事業者を救済する目的で行なわれましたが、その年と翌年の2回限りで終わっています。 その後、昭和に入ってから、長崎市で長崎市社会事業助成協会(現在の長崎市社会福祉事業協会)が設立され(昭和7年6月1日)、救貧法(現在の生活保護法)を補完する役割として、救貧対策や社会福祉事業者への金銭的助成を始めました。 毎年10月に「花の日」というイベントを設け、一般市民や官公庁・学校などに浄財の寄附を求めて、それを財源としていました。 これは昭和22年まで続けられましたが、こちらも共同募金の始まりです。 募金に応じた人には、胸に造花の徽章(バッヂ)が付けられました。 長崎市は歴史上、クリスチャンたちによる共助精神(セツルメント運動の一種、と考えても良いかもしれません)が高かったため、このような動きが始まることになったわけですが、共同募金運動の流れとしては意外と知られていません。 戦前にも大きな動きがあったのだ、ということは、知っておく必要があるかもしれませんね。
お礼
大変詳しくご回答いただきまして ありがとうございます。 おかげさまで、疑問解消すること ができました。感謝いたします。