- ベストアンサー
30年ほど昔の邦画の封切について、
つまらない質問で申し訳ないですが、30年ほど昔の邦画の封切は、 九州などの地方の映画館では遅れるのが普通だったように思います。 最近映画を見に行きませんので事情がわかりません。 この頃の映画事情に詳しい方お願いします。 関連情報もありましたらお願いします。 (質問) 30年ほど昔の邦画の封切日は、全国統一でしたか。それとも、地方は遅れましたか。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
具体的に書かれていませんので 一般論から云えば、1980年代の 東宝、東映、松竹の日本映画の封切りは 全国一斉公開であったと思われます。 日本映画の多くは、ブロックブッキング という興行形態で公開されており各社 「直営館」で二本立てで公開しているはずです。 ただし、すでに、一週間興行は、中止になり 客足が落ちると、シャシン替わりをすること が多くなりはじめたのではないでしょうか。 外国映画の全国一斉公開は確か、1970年代の 半ば「ジョーズ」であったと記憶しています。 確認するために、よく私が使用しているのが、 国公立図書館などに、備え付けられている 「新聞縮刷版」です。 夕刊下段に、前夜広告として、明日公開される 映画広告を見て、映画リストを作成した記憶があります。 また、キネマ旬報決算特集号、2月5日発売号、には 毎年、前年に公開された映画すべての一覧があり、 これを図書館などで見ても、確認することができます。 地方劇場の公開が遅れるというのは、直営館ではなく 2番館、3番館というように、遅く公開することにより 料金を安くみられる「名画座」での公開が多いです。
その他の回答 (1)
福岡県在住の者ですが 映画館が極端に少ない地域や離島などでは遅れる事もありましたが 邦画に関しては全国一斉ロードショーをしていたはずですよ ただし一部の洋画に関しては遅れる作品もあったと記憶しています。