わかります。
わたしも、過去にいじめられた相手の顔をしょっちょう思い出して、怖かった、顔がきもちわるいとかも思ってました。
経験談から、あなたの参考になりましたら。
わたしが癒されたきっかけの一つは、同窓会に行った時でした。
いじめっ子に会った訳ではないです。本当に内輪のものでした。
そしたら、気づきました。みんな変わって行くし、大人になって行く。
それまでは、過去のいじめっ子は、わたしの心の中ではずっとあのときのまま、時が止まっていて、
いまでもわたしのことをいじめたいと思っている、後悔も反省もありはしない、と思い込んでいました。
今はどういう生活をして、何を考えて暮らしているのか.. 大人になったあの人は。
大人になってもいじめっ子、みたいな人もたまにいますが、たいていは変わって行くのだ、
今あの人は、忘れたかもしれないし、後悔・反省しているかもしれないし、自分の子供には同じことをさせまいと思っているかもしれない。
会った訳ではないからわかりませんが、きっと本人に会っても、少なくともいじめられはしないでしょう。
むしろ、相手が大人になっていれば、「あのときは悪かった」「謝りたいと思っていた」という言葉が聞けるかもしれない...
そう思ったとき、私の中で止まった時が、少しだけ動くのを感じました。
もう一つの大きなきっかけは、過去にいじめっ子だった人の、後悔と反省を聞いた時でした。
自分が、過去にいじめられて苦しかった経験をしたとき、教えてくれました。
非常に親しくなった人数人と、あとカウンセラーさん自身の体験でした。
ひとりは、母親の再婚相手(まま父)にいじめられつづけ、やがてひねくれるようになり、
学校で自分も誰でもいいからなぐりたかった(八つ当たり)、と言っていました。
いじめるやつに、幸せなやつなんていませんよ、不幸だからやるんですよ、とも。
その方は、中学の熱血教師が矯正してくださったおかげで、心を入れ替えることができたそうです。
ひとりは、いじめられたことも、いじめたこともある。
いじめたときは、自分にいじめが向くのが怖かった。いじめられたとき、本当に反省した、
自分に強い意志がなかった、兄が優秀でいつも劣等感があった、と言ってくれました。
もうひとりは、数年かけて家庭が崩壊していくうちに、心が荒れ、
強さ=暴力、悪い方がかっこいい、 というふうに、ゆがんだ価値観にとりつかれた。
いじめだけでなく、重大なテストも白紙、その他いろいろ、悪いことをして生きてきました。
そんな生き方をしても、本人が不幸になっていくばかりだったため、
疑問を持ち始め、いい年になってからようやく人生をやりなおし。
借金もまめにかえして、たくさん働いて、正直に生きています。
さいごのきっかけは、心理ワークで、過去のいじめっ子と架空の対話をしたことでした。
いじめっ子の謝罪からはじまり、それを許すに至るまで、長い手紙のやりとりのような対話でした。
(いじめっ子本人が、いま謝罪の気持ちがあるかどうかは、本人の心の問題なのです。本人から直接謝罪や償いがあれば一番ですが、心理ワークの目的は癒しなので、いじめっ子の「良心」は何と言うだろうか、という想像の対話となります。)
ワークを通すうちに、彼もまた、不幸な子供であったということが心から信じられ、同情をよせることすらできました。
幸せな人は、人に悪いことはしない、これはほんとうだと思います。
そして、彼が私をいじめた理由は、わたしが悪い人間だからとか、そういう理由ではなく、優しそうだったからあなたに甘えた、自分の苦しみのやり場を求めていた、と言ってくれました。
弱さをさらけ出し、人に助けを求める勇気はなかった、いじめという形で自尊心を回復しようとしていた、本当に弱くてずるい人間だった、と。
不思議です。これは私が想像する彼の良心の言葉なのですが、本当だろうな、と思いました。
長いワークを通して、私の心の中で、わたしと過去のいじめっ子は、和解することができました。
今は彼は、私の心の中で笑顔でいます。わたしの味方だ、と言ってくれています。
ここまで和解するには、道のりは長かったです。
けれど、最初のきっかけがいくつか訪れるだけでも、苦しみは減りました。
どうか、あなたも苦しみから解放され、心に安らぎがありますよう...
お礼
海外におられるんですね。 羨ましい