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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文: 悲観的な物の考え方の何がいけないのでしょうか?そこまで他人を不快にす)

悲観的な物の考え方の何がいけない?他人を不快にするものでしょうか?

このQ&Aのポイント
  • なかなか正社員として就職できず、派遣や期間工を繰り返している30代後半の独身男性の悲観的な状況。
  • 派遣暮らしで実家暮らしでなければ生活できないほどの稼ぎの少なさ。未加入の会社が多いため年金も心配。
  • 悲観的な考え方に対して家族や友人が機嫌を悪くし、絶交を申し渡す人もいる。なぜ悲観的な考え方が嫌われるのか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hyuuma8579
  • ベストアンサー率29% (326/1097)
回答No.11

ある事実があったとして、その事実のみによって幸不幸が決定されるわけではないからだと思います。その同じ事実を、どう捉えるかによっても幸不幸が決定されるのだと思います。 たとえば、賃金が比較的少ないという事実があったとして、その事実は誰が見ても変わるわけではありませんが、それをどのように受け止めるかは大きく分けて二つあります。 肯定的に受け止めるか、否定的に受け止めるかの二つです。 あなたは、将来等も含めて考え、その事実を否定的に捉えたわけですが・・・ たとえば、病気になったとしましょう。 病気という状態は誰が見ても変わらない事実ですが、その場合も二つの受け止め方があります。 「病気のせいで」ととらえて不幸だと考える場合と、「病気のおかげで」と少しでも良かったことを見つめようと考える場合です。 どんな状況にあっても、プラスの面に注目し、「楽観的に」見つめることが大切だと思います。 楽観とは「楽しく見つめる」ということです。 前向きに楽観する能力が「楽観力」なのです。 そのような発想をもてば、たとえ今の状態がピンチだとしてもそれをチャンスだと切り換え、マイナス的な出来事もプラスの方向に転換させる力になることでしょう。 ピンチに背を向けることなく、正面から向き合えば、それは飛び越えるべきハードルとなり、自分を成長させてくれる糧となります。 「あ、これは生きかたを変えるチャンスだ」、「自分を成長させる試練だ」などと考えるのです。 いきなり、こういう考えには転換できないからこそ、日頃からそのような心を準備しておく必要があると考えます。 『快癒力』の著者である篠原佳年氏は、著作の中で、病気について次のように説明しています。 「病気というのは、その人の内部から発信された、人生に対するメッセージです。 『あなたの生き方は病気になるほどバランスが取れていないのですよ』『だから、病気を楽しめとまでは言いませんが、せっかく、病気という形でメッセージを送ってもらっているのだから、じっくり、それを受け止めてみたらどうですか』 病気が、あなたに、過去の記憶の中にある『わだかまり』をはっきり見せ、『だから、あなたは病気になったのですよ』と教えてくれているのに、そのわだかまりから逃げてばかりいれば、いつまでたっても病気は治りません」 病気一つ取ってみても、ただ単に不幸だと悲しむものではなく、前向きに人生の良き転機と捉えることが大切だと思います。 「つらい」「悲しい」「惨めだ」という感情は、現状に対して葛藤したり、受け入れ難いと思うところから生じます。 しかしそれは、「起きている事象をすべて受け入れれば、つらい、悲しいとは思わなくなる」と言うこともできます。これが、何事にも背を向けないという生き方でありましょう。 人間関係も同じです。自分以外の人を思い通りにしようとするより、丸ごと受け入れてしまうほうが人生は楽になる、ということです。 人間関係が悪くなると「相手に変わってほしい」「相手をいかに自分の思い通りにするか」ということで悩みますが、それよりも、「自分がどう生きるか」ということに集中したほうが楽な生き方であり、結果的には良い関係をつくることができるものです。 困難に遭遇したとき、その時は分からなくとも、あとで振り返って、「あの時は苦しかったけど、あの出来事があったから、今の自分があるんだ。あの出来事は私の成長と幸せのために必要なことだった。あれでよかったんだ」と思える時が来るものです。 人生に無駄なことはありません。越えられない苦労は決してやってこないという楽観的な心の姿勢と柔軟な発想が大切だと思います。 また、周りの人は、そういう波動に反応するのです。 同質の波動は共鳴する性質があると考えられています。 プラスの感情をもって、にこにこと柔らかい波動を出して生活していれば、良い出来事、楽しいもの、プラスの感情をもった人たちを引き寄せるのです。 また、周りの人までプラスの感情にしていくので、周りの人たちを幸せにしていくことができます。 いらいらしているときの荒い波動を笑顔で柔らかい波動にチェンジすると、プラスのほうに、「巡り合わせが変わる」のです。 このように、すべてのものを受け入れる「楽観力」は、幸せの波動も作り上げるのです。

その他の回答 (13)

  • nemuchu
  • ベストアンサー率52% (1828/3483)
回答No.3

状況を改善する為の努力をしていないか、分相応という言葉をご存じないからでしょう。 私の知人にも、やたら悲観的で、いつでもネガティブキャンペーン中とでも言いますか、「みんなもっと悲観的になろうよ!世の中は嫌な事だらけだよ!」という話法をする方がいます。 その方は、自分よりもはるかに努力した結果としてその方にとって理想としている生活を手に入れている人と自分を簡単に比べて、「自分にはあれもない、これもない、やっぱり自分はだめなんだ」と落ち込みます。 正直、理解できません。 例えば、派遣や期間工を繰り返していたとの事ですが、派遣ならば派遣なりに努力して派遣先から良い評価を貰って期間終了すれば、その評価を伝え聞く派遣会社から「信頼」が得られますから、 次の仕事探しの時に、より良い会社からの紹介予定派遣(数ヶ月後に正社員登用の可能性がある派遣社員)の求人を優先でまわしてもらう事ができます。 しかし、「どうせ派遣だ」と適当にやっていれば、登録したての人と大差ない扱いしか受けられません。 そういう努力をきちんとしましたか? そういう努力をした結果、派遣から大手有名企業の正社員になった人を、私は実際に知っていますよ。 そもそも、「年金に未加入の派遣会社」に登録する事自体、選択ミスですよね。 大手派遣会社に登録する事すらできないほど、職務スキルが無いんですか? どうしても年金加入できない職しかなかったとしても、手取り14万でも、実家に住まわせてもらっているのでしたら、貯金もできますよね。 実家に家賃と食費で5万いれたとしても、9万残り。 小遣い5万として毎月4万くらいは貯蓄できて、大学卒業の24歳から35歳までと計算したら、500万程度の貯金があるはずです。 で、質問主さんはいくら貯金がありますか? 口先で「ああでこうだからもうダメだ」みたいなネガティブキャンペーンをする方って、「それって、アンタの努力が足りないだけじゃん」という方が多い印象です。 「いまの状況からして未来が悲観的」なのは、自分の行動の結果です。 それをぐちぐちと、まるで「一切自分はわるくない、精一杯やっているのに。世間が、政治がわるい」とでも言わんばかりに悲観論をぶちまける人とは、 そりゃ、お近づきになりたくないですよ。 貴方に必要なのは、危機感ではなく、未来をよりよくする為の努力です。 「幸せになろう」という努力をしない人に、好意をもつ人間は少ないです。

lifedrop
質問者

お礼

 あなたが自分の視点でしかものを書けない人だということがよくわかりました。私もそうですが、あなたの場合、自分が出した結果に満足して他人を見下しているという事がよくわかります。その根拠を説明します。  >そういう努力をした結果、派遣から大手有名企業の正社員になった人を、私は実際に知っていますよ。  私にもそういう知人はいます。ただし、私は転職経験が多いのでわかるのですが、世の中には口先だけで正社員登用を口にして実績が一切ない企業だってあるわけです。私も経験していますし、人からも聞いたことがあります。  >そもそも、「年金に未加入の派遣会社」に登録する事自体、選択ミスですよね。  あなたはさぞかし裕福なのでしょうね。だが私はそうじゃないのです。  簡単に説明しますと、面接で合格しない間にも時間は経過します。面接の費用だけでなく生活費もかかります。そうやって窮地に追い詰められたら、そういう会社でも行かざるをえないというのが何も解ってないですね。それにハローワークの募集とかでも加入をうたっておきながら実際は未加入という会社だってあるわけです。私も入社した時に何度それをやられたか・・・。  正直こういうことが平然と書けること自体「理解に苦しみます」。  >どうしても年金加入できない職しかなかったとしても、手取り14万でも、実家に住まわせてもらっているのでしたら、貯金もできますよね。 実家に家賃と食費で5万いれたとしても、9万残り。 小遣い5万として毎月4万くらいは貯蓄できて、大学卒業の24歳から35歳までと計算したら、500万程度の貯金があるはずです。 で、質問主さんはいくら貯金がありますか?  私の父親が全く働かなかったので、母の年金ははっきり言って少ないです。月に5万?それどころか10万近く入れてますよ。それぐらいしないと生活できないですから。これで貯金ができますか?  ただしこの部分については思い当たる部分があります。  >例えば、派遣や期間工を繰り返していたとの事ですが、派遣ならば派遣なりに努力して派遣先から良い評価を貰って期間終了すれば、その評価を伝え聞く派遣会社から「信頼」が得られますから、 次の仕事探しの時に、より良い会社からの紹介予定派遣(数ヶ月後に正社員登用の可能性がある派遣社員)の求人を優先でまわしてもらう事ができます。  今の派遣会社の社長が私の近所でして、しかも以前に別の向上で勤務した実績(信用と言いかえてもいいかもしれないです。)を評価されて時々派遣先の紹介という形で話は来てました。そして今の向上になったのです。  >口先で「ああでこうだからもうダメだ」みたいなネガティブキャンペーンをする方って、「それって、アンタの努力が足りないだけじゃん」という方が多い印象です。 「いまの状況からして未来が悲観的」なのは、自分の行動の結果です。  あなたは自己責任論者のつもりでしょうが、それは私の手助けをしてくれた人をも侮辱した書き方ですよ?  自分の文章を振り返ってください。自業自得といいたいのが自分でも解るでしょう?  断言口調で他人を見下す書き方は不快を通り越して最悪そのものでしかないので、あなたをブロックさせていただきます。

  • jimmy35
  • ベストアンサー率26% (468/1774)
回答No.2

あなた自身がペシミズムな考えだろうと、考えという時点では特に悪いとは思いません。思う位個人の自由があっていいとは思います。ご時勢がご時勢ですし、あなたのご質問内容も兼ね合わせて悲観的にもなろうというものでしょう。それに対してあなた自身の中の方向へと極端な行動をします、と言わない限り自分は否定はしません。 但し、会話するとなると話は別になります。悲観的なものの言い方は悲観的になっていない他人に対しては不快感を与えます。会話は他人に対してあなた自身の言葉で多かれ少なかれ影響させるという行為でもありますからね。となると、いきなり暗いイメージの話ばかりでは相手も気が滅入りますよね。これは基礎的にそうだという事ですが、それに輪をかけて日本人の場合は嫌う傾向にあると言えるんです。例えば、受験生に「落ちる」や「すべる」という言葉を、モノが落ちるさまやドアスライダーがすべるさまを表現しても嫌がります。言葉に将来像を合わせてその運を象徴させてしまう言葉の歴史を持つからなんです。「言霊」という言葉がそれを示していると思います。あなたの感じた溝は、あなたは現状の現実を、友人はあなたの言葉が生きていると感じて嫌がった、その溝でしょうね。見方を変えれば悲観的な未来という事はその友人もわかっているという事でもありますね。ですから逆に悲観的な言葉が受け入れられないという事です。 またブログもその中身を発表した時点で、肯定否定両方の反応は覚悟すべきでしょう。言葉を出す行為という意味では会話と同じですし、自分の顔が見えない事はつまり相手の顔も見えないという事ですから、極端な言葉を発する方も多くいらっしゃるでしょうね。反応する一人一人が自覚をするべき問題ですが、発表する以上はある程度の覚悟は必要と思います。 そういう意味ではコミュニケーションのための工夫はあなたの側にも必要とは思います。現実を知れたこととコミュニケーションの場では違う言葉を発する必要が出てくるという事ですね。また、逆の反応でもある程度はその中身を読む必要もあるという事です。

lifedrop
質問者

お礼

 ありがとうございます。  >あなた自身がペシミズムな考えだろうと、考えという時点では特に悪いとは思いません。思う位個人の自由があっていいとは思います。ご時勢がご時勢ですし、あなたのご質問内容も兼ね合わせて悲観的にもなろうというものでしょう。それに対してあなた自身の中の方向へと極端な行動をします、と言わない限り自分は否定はしません。  ここで補足のようになりますが、私の悲観主義は正確には「自身の現実体験に基づいた悲観主義」です。具体的な例を挙げます。私は20歳の頃、アルバイトで貯金をして教習所に通っていましたが、仮免の実技試験だけで10回近く不合格になり、再試験の為の料金によって余分な金がかかってしまったので途中で退学しました。  その数年後に家族から免許を取るべきだという意見があったのですが、 「実技で10回近く落ちてる俺が免許取ったら、交通事故の加害者になって最低でも数千万単位の借金背負うに決まってるから、いやだ。」 と言って却下しました。  >またブログもその中身を発表した時点で、肯定否定両方の反応は覚悟すべきでしょう。言葉を出す行為という意味では会話と同じですし、自分の顔が見えない事はつまり相手の顔も見えないという事ですから、極端な言葉を発する方も多くいらっしゃるでしょうね。  私もブログを書いて5年近くになりますので、その辺りはすでに経験済みです。ただ、過激な言葉を使う人の大半が「まともにハンドルネームすら使わない」ので、そういうのは管理者権限で削除してます。  >そういう意味ではコミュニケーションのための工夫はあなたの側にも必要とは思います。現実を知れたこととコミュニケーションの場では違う言葉を発する必要が出てくるという事ですね。また、逆の反応でもある程度はその中身を読む必要もあるという事です。  まあ、工夫するといっても、現実での交友関係は0ですからね。学ぶ機会なんか全くないですね。でも、書き方には一考の余地はあるかもしれませんね。

  • vsm42952
  • ベストアンサー率27% (111/398)
回答No.1

確かに、世の中を悲観的に捉えている方の中には、 悲観オーラを纏っていて、話していると引きずられそうな感覚になる時はあります。 あなたの語っていることは確かに事実です。 現実を事実と受け止めた上で、悲観的な立場で物を考え行動するだけで それ自体はなんら責められることではありませんね。 でも、中には現実を受け止めながらも、前向きに捉えて立ち向かって いく方もおられます。そういう方の中には、マイナスオーラで自分の勢いを 削がれたくないと感じる方がいるのも事実なのです。 そして、もうひとつの立場として、とりあえず自分は大丈夫だから、 社会の暗部には目を瞑っていたい方もおられます。 そういう方にも、あなたの境遇は見たくないもののひとつになるでしょうね。 どれが正解というわけではありません。 皆さん、自分が生きやすい生き方を選んでいるだけで、 むしろ自分のおかれた現実を真正面から捉えている方のほうが 私は潔いとは感じます。

lifedrop
質問者

お礼

 ありがとうございます。  >確かに、世の中を悲観的に捉えている方の中には、 悲観オーラを纏っていて、話していると引きずられそうな感覚になる時はあります。 あなたの語っていることは確かに事実です。 現実を事実と受け止めた上で、悲観的な立場で物を考え行動するだけで それ自体はなんら責められることではありませんね。  仰るとおりです。私は自分自身を悲観しており、世間をはかなんでいる部分が大きいです。  >でも、中には現実を受け止めながらも、前向きに捉えて立ち向かって いく方もおられます。そういう方の中には、マイナスオーラで自分の勢いを 削がれたくないと感じる方がいるのも事実なのです。  言いたいことはわかりますが、それは努力が報われる人の話でして、世の中には目標の向かって行動してもそれが裏目に出てしまう人間がいるということです。つまり私のような。

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