真如苑の教徒です。本来は、その上司の方から、じっくり説明があってしかるべきですが、
真如苑は、昭和11年に開祖が仏道ひとすじに立って、スタートしました。
鎌倉時代からの浄土宗・室町幕府の禅宗etc.とくらべると、新しい仏教ですが、空海の真言密教の法脈につらなって、醍醐寺さまと深いご縁をもつ正統の仏教です。
<真如苑のHP、ご覧ください>
「献金」ですが、苑費が月200円・入会金が200円。
その他に、「お布施」とも言われますが、岩波新書「仏教」(渡辺照広 著)にも、仏教の実践として「まず布施」とされます。<168ページ>
ただしこれは、あくまでも自由意志、と言うか、喜びをもって支出するものです。強制されたり、金額が負担になってムリをするのは、いけない所か、かえって有害です。
「お施餓鬼」(おせがき)は、仏弟子の目蓮(もくれん)が、母親が餓鬼となってしまい飲食に苦しむのを見て、仏の教えによって供養したのが始まりだと経典に書かれます。密教でさかんに行われ、空海が日本に輸入して、鎌倉時代から他派に広まりました。
(同じ著者の、岩波新書「日本の仏教」111頁・113頁) *さっきとは別の本です
「お護摩」(おごま)は、平安貴族の祈祷のイメージですが、釈尊より前の、古代インドの火祠(ホーマ)の修法を、密教が受けついだものです。(同書、168頁)日本では、さらに役小角の修験道と習合しました。
「お施餓鬼」「お護摩」は、年に8回程の大きな法要で、一つ500円で、祈念をこめる事が出来ますが、
これも強制・ムリな負担は、絶対に禁物です。イヤイヤな心では、供養になりません。ムリに支出すると、どうしても現世利益を願ってしまうから、仏道の修行になりません。
よろこびで・楽しく、との教えです。趣味もたっぷり楽しんで、家族のイキイキとした笑顔の生活の上に、感謝の心をもって、させて頂く。そうして初めて、仏さまも喜ばれるのです。
「自己啓発」とは、まったくその通りなのですが、
もう少し深い、人格を磨いて、人として向上し、世のため人のために役立つ、円満な人格をめざしています。
だから、真如教徒一人一人が、「新興宗教ではないか?インチキではないか?」という視線に、堂々と喜びで生き方を示せるような、そんな人格を形成したいと、がんばって修行しています。(日々、反省する点が多いですが・・・)
この点につき、大阪大学大学院の教授による、研究論文がありましたので、URLを貼っておきます。
「勧誘」ですが、人格を高めて周囲の人々から信頼されて、
「なぜ、そんなしっかりした生き方が出来るのか?」「信念をどう築いたのか?」と尋ねられる位になれれば、特に「勧誘」せずとも、「真如苑に入れて下さい」と皆に言われます。
そうなれないから、私も努力しているのですが、
「家庭が明るいのは、なぜ?」「やさしくて強い人ですね」と言って頂けるよう、頑張っています。
めざすのは、「勧誘」ではなくて、自らの人格を磨くこと。そうして一瞬一瞬を生きたいと思っています。
入会されるか否かに関わらず、いっそうのご多幸をお祈りしております。
お礼
ありがとうございます。 施設は、これでもかというくらい豪華です。あのお金はどこから来るのでしょうかねえ。 仏教は質素なイメージがあります。。。。。。。