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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:なぜご来光を見に山に登るのか?)

なぜご来光を見に山に登るのか?

このQ&Aのポイント
  • なぜご来光を見に山に登るのか?山に登るのって結構大変ですよね。そんな中でもわざわざ登山をしてご来光を見る理由は何なのでしょうか?日の出を山で見ると普通の街中で見るのとは違いがあるのでしょうか?その価値観や意味について考えてみましょう。
  • ご来光を拝むとはありがたいものという考えがあるのでしょうか。価値観によって異なるかもしれませんが、何故人々は山に登ってご来光を拝むのでしょうか?また、この行為は世界共通なのでしょうか?意味や背景について考えてみましょう。
  • ご来光を見に山に登る理由は何でしょうか?山でのご来光は一味違った美しさがありますか?登山をしてまでご来光を拝む意義や楽しみ方について考えてみましょう。価値観や趣味によって異なるかもしれませんが、ご来光を山で拝むことの意義について考察していきましょう。

質問者が選んだベストアンサー

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  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.5

それはまあ、信仰以外の何者でもないと思いますよ。他の方も回答していますが、本質的に多神教でアミニズム全開の我が国では、山岳信仰と太陽信仰があるわけです。そのふたつが合体しているのですから、そりゃ「ありがたーーーい」気分になるものですよ。 我々日本人には「これはヨルダン川の水です」といわれても、はぁそうですかで終わりですが、キリスト教徒にとっては「ありがたーーーいお水」ですし、インド人にとっては神聖なガンジス川での沐浴も、日本人からすれば「あんな汚ったない川に入れるか!」となるわけです。 山岳信仰も、太陽信仰も、だいたいどこの民族でも多少なりともありますね。キリスト教であるヨーロッパでもアルプスの山に対するある種の信仰があって、山の高いところに十字架を立てて信仰していたりします。アメリカは歴史が浅いので、そういうのはないみたいですね。まあ白人にとっては「征服した土地」なので信仰するような謙虚な心は持ち合わせていないのでしょう。誰かご立派な人物が山頂で「神の声を聞く」ことでもあればそこは信仰の対象になるでしょうけどね・笑。 太陽信仰は、ほぼどこの民族でも冬至のお祭りを盛大にやるのでどこでもあるといっていいでしょう。他ならぬクリスマスが元はといえば冬至のお祭りです。冬至は、力を失った太陽がその日を境に復活することですから大切なお祭りの日なのです。 苦労をして登るから気持ちいい・・・というのはまあ「それもあるね」という程度なんじゃないですかね。だって、ご来光がありがたいのは元日も同じでしょ。で、元日のご来光は別に自宅の庭から見たってありがたい気分になりますからね。12/31でも、1/2でもありがたみはたいしてないのですから、やっぱり信仰ってのが大きいと思いますね。もちろん、私はそういう信仰はむしろ尊重すべきであるという考え方で、登山経験もそれなりにありますが、霊山として有名な高野山や羽黒山、早池峰山などは本来は修験者以外は入山しちゃいけないと思っています。

ichigoberry
質問者

お礼

そうそう、初日の出についても同様の疑問を持っていました。 12月31日に見ても1月2日でも同じもののはずなのに、それでも わざわざ元旦の初日の出を見に行ったりするんですよね。 大きく意識していなくても、回答者さんが言われるような 信仰がどこかにあり、ありがたみを感じてしまうものなのですかね。 とても納得できる、分かりやすい回答をありがとうございました。

その他の回答 (5)

noname#184289
noname#184289
回答No.6

最近は大変な登山しなくても車で雲の上という高いところまで上れるから 楽して登ってきれいな景色みる、そんなただの観光客もたくさんいるのでは、 乗鞍岳だと標高2702mの畳平までバス往復 2,400円 雲の上からこんな素敵な日の出見てみたいなとおもうんじゃない http://love-me.cc/blog/yado/alumu/index.php?cID=17&PHPSESSID=3f3cd18299bd6c661658bb174c9eeee7 富士山だって、五号目 2,305m で御来光を鑑賞なんてバスツアーあるし

ichigoberry
質問者

お礼

いや、そういう人々についての質問ではないのですけどね… 山でご来光を見る人全員が自力で登っているわけではない、 そのようなツアーがあることもわかっていますけど それでもわざわざ時間とお金をかけて、山までご来光を 見に行ってるわけですよねぇ・・・

回答No.4

登山はしんどいものですが、よい景色や自然を感じられるという報酬があります 同じ登るなら、ちょっと上等な報酬を狙っていくのは別におかしくないでしょう 特別な場所にいるから、苦労してここまで来たから、 普通のものをことさら特別なものとしたい一種の期待や思い込みもあるでしょうが、 それを差し引いても、山で見る日の出は一味違うものです

ichigoberry
質問者

お礼

同じ登るなら…というのならわからないでもないです。 でもご来光を見るために、しんどい思いをして登るのは 私にはなかなか理解が難しいです。 でも、そのしんどい行程を乗り越えたからこそ 山頂から見るご来光は特別で美しいと感じるのでしょうね。 回答ありがとうございました。

  • 4500rpm
  • ベストアンサー率51% (3210/6285)
回答No.3

>山で見るほうが断然きれいとかですか? 登る山にもよりますが、標高の高い山の雲海から登る太陽は大変きれいです。 そして、それはそこに登った人しか見られません。 太陽自体は、同じ物なんですがね。 富士山のご来光は、それはとてもきれいでしたね。 >「ご来光を拝む」ともいいますが、ご来光はありがたいものという 考えがあるのでしょうか。 太陽を崇拝する信仰は世界各地に有ると思います。 日本を含め、太陽を神様になぞらえる神話はたくさんあります。 また、山自体を信仰する山岳信仰もあります。 wikiより 「そこから早朝に拝まれるご来光を非常にありがたがる傾向が強く、山頂のさらにその先(彼方)にあるもの(あの世)を信仰していることが原因であろう。日本ではアニミズムとしての太陽信仰と山岳信仰が結びついているのである。」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B2%B3%E4%BF%A1%E4%BB%B0#.E5.B1.B1.E5.B2.B3.E4.BF.A1.E4.BB.B0.E3.81.A8.E7.99.BB.E5.B1.B1

ichigoberry
質問者

お礼

確かに綺麗そうですが、そこに至るまでの行程がきつそうで そこまでしては別に見たくないな…というのが私の考えです^^; どこで見ても日の出は日の出で変わりないし… その行程を乗り越えた山頂で見るからこそ、というのも きっとあるんでしょうね。 太陽信仰と山岳信仰が結びついての考えなのですね。 なるほど・・・ 回答ありがとうございました。

  • comattania
  • ベストアンサー率23% (840/3549)
回答No.2

応えは簡単です。山の頂上で日の出を見たいだけです。私は自然崇拝者じゃないから太陽を拝む事はありませんが、清々しい気持ちと、満足感と、達成感と・・・さまざまな感動を味わいながら明日への希望を新たにするのが毎回です。 で、お尋ねの貴方は、こうしたご来光を経験された事があるのですか?無いのですか? 無かったら、ぜひ富士登山をされて、ご来光を見てください。何の意味もありませんが、見ることで、ものの見方が少し変化するでしょう。 http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1+%E3%81%94%E6%9D%A5%E5%85%89

ichigoberry
質問者

お礼

山頂で見る日の出というのはそんなに素晴らしいのですかね。 私は見たことありませんが…登山もしたくないので 経験したいとは思いません。 個人的には別に普通の日の出で十分です^^; というかどこで見ても日の出は日の出と思ってるので… でもきっと、経験した人にしかわからないものがあるんでしょうね。 (推測でしかありませんが…) 回答ありがとうございました。

noname#29454
noname#29454
回答No.1

おはようございます(^v^) 登山の経験はありませんが、回答させて下さい<(_ _)> 登山以外の事で似たような経験があるのでわかる気がするのですが、「登山の大変さを差し引いたとしても、とても素晴らしい経験となったから」ではないのかな、と思います。 そして、「もう一度行きたい、見てみたい」と思うからじゃないでしょうか。

ichigoberry
質問者

お礼

山登り自体が好きな方もいらっしゃるでしょうけど、 登山って大体がきつくてしんどいですよね。 それを差し引いても、頂上からみるご来光というのは そんなに素晴らしいものなんでしょうかね。 回答どうもありがとうございました。