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なぜ首都は東京、定義は?
なぜ首都は東京、定義は? 「日本の首都はなぜ、東京なのでしょうか。首都機能移転計画の議論などもありましたが、首都の定義について教えてください」=岡山県倉敷市の会社員、中川真人さん(29)
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■?誕生日?のない東京 高校の教科書では「1869(明治2)年には京都から東京に首都を移した」と説明されており、広辞苑は首都を「その国の中央政府のある都市」と定義している。東京が首都という位置付けは常識ともいえるが、実は天皇の詔勅(しょうちょく)や政府の布告はなく、京都から遷都が正式に宣言された記録はない。 では、なぜ明治2年が遷都とされているのか。 奈良大学の佐々木克教授(日本近代史)によると、明治維新の新政府樹立に伴い、大久保利通らを中心に天皇を政治の表舞台に出し、新天地で改革を断行するための遷都論が浮上。その中で、当時世界最大の都市だった江戸が重要視され、明治元年、東京設置が発令された。 国家の最高機関である太政官など首都機能が次々に東京に移され、天皇が皇居(江戸城)に到着した明治2年3月28日、「江戸城」が官庁を有する意味の「皇城」に改められた。天皇の住まいと中央政府(官庁)が一体となったこの時点を遷都と解釈できるのだという。 遷都宣言がなかった理由としては、民心の安定を優先したという説や、遷都に反対する京都の尊皇攘夷派を刺激しないように考えた政府が、発令のタイミングを失ったなど諸説あるが定かではない。 その後、天皇と中央政府が所在し続ける東京を首都とする考えは時代の流れとともに既成事実化していく。戦後復興期の昭和25年に出された首都建設法で「東京都を新しく我が平和国家の首都として…計画し、建設する」などと法的に首都が東京と明記されると、「東京=首都」の考えが普及した。 ただ、首都建設法は明確に首都を定義づけるための法律でもなく、廃止となったため、国会などの首都機能移転問題を所管する国土交通省は「首都が東京を大前提に移転の議論を進めているが、明確な定義や根拠は分からない」とする。 また、東京都は「首都の定義がない。国会の質問で、国からも『定義したものはない』との回答があった」などと首都を自認できない状況が続いている。 ■首都機能移転論争 明確に首都と定義されない中、人口が増え続けた東京は次第に過密に伴う弊害が顕在化。昭和30年代から一極集中が問題視されるようになり、政府も第三次全国総合開発計画(52年)などで首都機能移転を検討。だが、実際の議論は「浮かんでは消え」を繰り返した。 平成4年に「国会等の移転に関する法律」が制定され、11年には首相の諮問機関が移転先候補地を答申。「栃木・福島地域」▽「岐阜・愛知地域」▽「三重・畿央地域」(滋賀、京都、三重、奈良)|の3地域が対象地域に選ばれたものの、17年10月の両院協議会を最後に議論はストップしたままだ。 もともと、主要機関を各都市に分散配置する「分都」の考えや国会移転そのものを「遷都」とする議論は国会や研究者らの間で重ねられたが、当事者の国と東京都の主張には大きな開きがある。 国は一極集中の是正や災害対応力の強化を主張する一方、東京都は莫大(ばくだい)な費用がかかる点や災害に備えたバックアップ体制充実を優先すべきだと反対し、議論は平行線。 東京都は現状について「特に動きはなく、全くの膠着(こうちゃく)状態で先は見えてこない」と説明。国交省は「移転は大きな政策で、慎重にならざるをえない。国会で議論される話」と移転の行方は定まっていない。 一方、国交省の資料によると、海外の主な首都機能移転=表参照=では、米国やカナダ、ドイツなど首都そのものが移転したケースや、国会だけが移転したチリなどの例がある。首都機能の一部(省庁や最高裁判所)移転を計画するマレーシアは、慢性的な交通渋滞の解消や電子政府化の推進を目的とするなど移転の背景は多岐にわたる。 佐々木教授は「東京の移転の場合は国民の関心も低く、現実的ではない。歴史上、遷都は新しい政治のために行われる切実なものだった。これまでの議論でそこまでの明白な理由は示されておらず、国民全体の合意形成は難しい」としている。(楠城泰介) ◇ 「社会部オンデマンド」の窓口は、MSN相談箱(http://questionbox.jp.msn.com/)内に設けられた「産経新聞『社会部オンデマンド』」▽社会部Eメール news@sankei.co.jp▽社会部FAX 03・3275・8750。