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報道写真、「ハゲタカと少女」について

報道写真、「ハゲタカと少女」について かなり有名な報道写真ですのでお目にした方も多いと思います。この写真は飢餓死寸前の少女をハゲタカが狙っているというショッキングでメッセージ性の強い写真です。 撮ったケビン・カーター氏はピューリッツァー賞を受賞しました。発表当時は写真をとる以前に人道的観点から少女を助けるべき、いやプロとしての彼の行動は正しかったなどと賛否両論が巻き起こりました。様々な批判を受けたケビン・カーター氏は自殺してしまいます。 さあ、もう質問内容は予想できると思いますが、改めて個人的にみなさんに意見を聞きたいと思います。 ぶっちゃけケビン・カーター氏の行動は正しかったのですか?貴方がその場にいたらどうしましたか? 正直、正解もベストアンサーもない質問だと思います。正しいも糞もないです。彼はプロとして世界中に現実を伝えようとしました。それを否定できるわけがありません。しかし、だからこそみなさんの率直な意見が聞きたいのです。どっちつかずの答えなんかいりません。みなさんが第一に思った意見が聞きたい

みんなの回答

  • loveakane
  • ベストアンサー率18% (6/32)
回答No.12

大変失礼しました。 撮影場所は、ソマリアではなくスーダンですね。 最近、ある映画を見て、この写真のエピソードが紹介されており、インターネットで見ました。10年前、学生の頃に見たことがある写真だったのですが、今回は、この写真が何日も心に引っかかっており、この写真に関するトピックスがあるかどうか検索したら、このページにたどりつきました。 西山事件でも、真実を伝えた記者が批判され有罪になりました。ある感情によって真相が歪められてしまうのは残念なことだと思います。 「人の不幸を種にしている」報道もあるかもしれませんが、「弱者に手をさしのべる」報道や、「権力者の不正を暴く」報道に私は期待しています。 真実を知ることは難しいことであり、とても大切なことだと思います。 「やらない善よりやる偽善」ですか。 参考になりました。ありがとうございました。

noname#257539
質問者

お礼

再度、回答ありがとうございます。 いえいえ、お礼を言うべきなのはこちらです。本当にありがとうございました。 俺もこの写真を見たのは教科書でした。学校の勉強なんて意味ないものと思ってましたが意味のあることも教えているのだなと感じました。このとおり俺に凄まじい衝撃をあたえ、初めてつまらない学校の勉強のことについて皆さんの意見を聞くためにここに質問をたてている…それだけの力をこの写真はもっています。 「弱者の為の報道を」これを信念としているジャーナリストはどのくらいいるのでしょうか?そもそも信念なんて持っていない人のほうが多いのでしょうか? これから生きていくうえで冷静に物事を見つめ間違った情報に惑わされることなく客観的に判断できる人間になりたいと思います。

  • loveakane
  • ベストアンサー率18% (6/32)
回答No.11

私は、ケビン・カーター氏の行動は正しかったと思います。 アフリカのソマリアという国の悲惨な現実を世界の多くの人に伝えたのですから。大事なのは、その写真をみた私たちが、平和のために行動していくことです。 怒りの矛先がカーター氏というのが納得できません。責任があるのは、その現実を引き起こした、ソマリアという国であり、傍観者である私たち国際社会なのではないでしょうか。 彼が、その写真を撮ろうが撮らまいが、その現実は起こっているのです。 ただ、その写真からは推測できませんでしたが、少女が、鋭い口ばしのハゲワシに怯えているとしたら、一刻も早くその恐怖を取り払う義務があると思います。それは感情を備えているヒトであれば当然のことです。 カーター氏の手記を読みました。撮影時の状況からして、少女の近くには配給者に参列するお母さんを含め大人たちがいたこと、撮影後に彼が木陰で泣いた事。それが事実がどうかは私にはわかりません。 もしかしたら、彼だけが見ていた伝えられていない別の真実があったのかもしれない。憶測で話してもしょうがないですけど。 でも、ジャーナリストとしての彼がどうして自殺したのかと考えてしまいます。私が言うまでなく、ジャーナリストとしての自分の役目を知っていた人だと思うからです。 誰に非難されようと、確固とした信念があれば堂々としていいと思います。 質問者様の2つめの質問ですが、私だったら、写真を撮ります。でも絶対条件があります。少女が恐怖に怯えていない、ハゲワシに襲われないのが確実なのを確認できたらです。写真を撮ってから、ハゲワシを追い払い、少女に自分が持っている食料を全て与えます。そこにいる貧困にあえぐ全員には与えれなく、少女だけなのは不公平だという意見もあるでしょうが、自分は感情からそうせざるを得ないと思います。公平も不公平も考えません。自己満足です。 時々、考えることがあります。自分は偽善者なんだと。悲惨な現実を見て、その時は、その問題を考えるけど、でも結局は、今の自分の裕福な生活を手放したくない。でもその幸福は誰かの犠牲の上に成り立っているかもしれない。 最後は、話がそれてしまいました。ズバッと答えることができない証拠です。

noname#257539
質問者

お礼

誠実で清々しい回答ありがとうございます。 もう見てくれる人はいないかなと思いましたが、こうしてしっかりと自分の意見を持った人が回答してくれたこと、大変嬉しく思います。 正直、この質問を立てたことを後悔していました。過剰に反応をして揚げ足をとることしか考えていなく、この質問の本質を見てくれる人が減ってきたと思ったからです。しかし貴方の回答を見て、まだまだ考えてくれる人がいるんだと感じもっといろんな人の意見を聞いてみたいと思えることが出来ました。ありがとうございました。 俺も話がそれてしまいましたが(笑)確かに貴方の言うとおり信念というものがあればいかなる状況でも堂々とあるべきですよね。総理大臣に批判されようが教会の神父に軽蔑されようがそんなの関係ない、自分の中に一本の力強い芯があれば… 俺も偽善者でとんでもないエゴイストです。しかし「やらない善よりやる偽善」という言葉もあります。考えること感じることが大事なんだと思います。そこに行動がともなえるようになれば、何か意味のあることができるのではないか?俺に行動がともなえるようになるのはいつになるのか?それとも一生、偽善者でいるのか?少なくとも誇らしく死んでいきたいですね。

  • mnkii9
  • ベストアンサー率10% (4/38)
回答No.10

「正解もベストアンサーもない質問だと思います」 根拠がありません。 「正しいも糞もないです」 根拠がありません。 「彼はプロとして世界中に現実を伝えようとしました。 それを否定できるわけがありません」 彼の都合がそうであることは否定できなくても 行動の是非は別です。あなたは論点を取り違えており それを自覚するのが先決です。 少女を助けなければならないにきまっています。 単純明快に優先の序列はあきらかです。 彼が自殺したのはそれを認めた証拠ですよ。 あなたを含めて、 これを難しい問題としたがる人は 混乱した状況を好んでつくりだそうとしているだけです。

noname#257539
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 とてもわかりやすいご意見ありがとうございます。俺もそのとおりだと思います。同じ人間が今にも死にそうなのに写真を撮っている場合か?となります。 しかしこれをそのまま受け入れてしまうとジャーナリストという職業を全否定することになります。ようはジャーナリストとして写真を撮らず人命を優先するということは「だったらお前ジャーナリスト辞めて救命士にもなれば?」となってしまいます。 ジャーナリストは人の不幸を飯の種にしているので自分の正義や価値観を持てないとても難しい仕事だと思います。 あと、根拠がないとおっしゃいますがそれは貴方の価値観です。 人に自分の価値観を押し付けることはとても非情なことのように思えます。他の回答者様にも失礼ですのでこの質問が気に食わなければスルーするか、削除依頼をしてください。

  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1846/10420)
回答No.9

>これって誰しもが人を助ける余裕がなかったということではないでしょうか? いえ、現地ではハゲワシは存在自体珍しいモノではなく、生きた人を襲って食べるなどレアケースであったために助ける余裕が無かったのではなく、助ける必要が無いと判断したということです。 私の見た放送では「日本で言えば塀の上にカラスがいるようなもの」とコメントされていました。 現地の子どもの健康状態はその少女だけが特別悪かったというものではないでしょう。 自殺に関してはご質問者さんのように想像を膨らませることも可能で、そちらのほうがドラマっぽいですね。 いいのではないでしょうか。

noname#257539
質問者

お礼

再度の回答、ありがとうございます。 すみませんがこれではただの水掛け論になってしまいますのでもうやめにしましょう。不毛で無意味です。 俺が聞きたかったのはこの写真の撮られた経緯などではなくこの写真を撮ったことで巻き起こった。報道か?人命か?についての皆様の意見ですので… 一度、貴方のご意見を否定するような真似をしたことは誤ります。

  • EFA15EL
  • ベストアンサー率37% (2657/7006)
回答No.8

これはこれで本来の意味での報道写真として見事じゃないですか。 メッセージを込めて事実の一部を切り取る。それで充分。 世界中で反応が大きかったのも、この作品の力であると言えます。 とはいえ、「可哀そうだ」とか「人道的に云々」の意味が良く分かりません。 今まさに食い殺そうとしているとかならまだ分かりますけど。 あるいは本当は数10枚の連作で、かなりの時間撮影者が見てるだけだったのが推測されるのなら… まあ、それでもまだ「ジャーナリズムとはどういうものか?」という議論は残りますが、少なくともこの写真を見ただけの状態ではそれ以前であるようにも思えてしまうのです。 実際に手記や周囲の証言を読むと、すぐ近くには食糧配給所があり、 母親が食事をもらうために一時的に抱えていた子供をおろした時の写真であり(つまり周囲には人間が沢山いた)、撮影者は撮影した後でハゲタカを追い払っているとのこと。 ということはこの少女は少なくともこのハゲタカには殺されていません。 母親が食事をもらっていたのならすぐに飢え死にする事も無かったはずです。 どう考えても自殺を選ぶほど真っ当な非難を浴びる事件だとは思えません。 まあ、この写真家は精神が不安定で薬物(安定剤)中毒だったようですから、むしろそっちが原因なんじゃないかとは思いますが。

noname#257539
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 この写真の力は凄いと俺も思っています。 確かにカーター氏はハゲワシを追い払っているのですがちょっとこれには裏と続きがあります。 彼の証言をご紹介します。 「自分はプロになりきっていた。何枚かシャッタ-を切ってからもっといい写真を撮るのにハゲワシが翼を広げてくれないかと願った。15分から20分ひたすら待ったが、膝がしびれはじめ諦めた。起き上がると、急に怒りを覚え、ハゲワシを追い払った。」 この時点で異常なほど(人道的観点から)少女を放置しプロのジャーナリストとして仕事を全うしています。 続きの証言はこれです。 「私は祈りたいと思った。神様に話を聞いて欲しかった。このような場所から私を連れ出し、人生を変えてくれるようにと。木陰まで行き、泣き始めた。タバコをふかし、しばらく泣き続けていたことを告白しなくてはならない」 少なくとも彼はこの写真を撮って複雑な心境に陥っています。 別に彼を否定しているわけではありません。しかも彼は死の数年前から衝撃的な写真ばかりが喜ばれることに疑問を抱いていた、そうです。自殺もピューリッツァー賞の授賞式の約一ヶ月後に、はかっています。彼が批判に耐えかねて自殺したのかはわかりませんが、間違いなくこの写真の影響は受けていると俺は思います。

noname#257539
質問者

補足

ハゲタカではなくハゲワシでしたね。報道関係で質問しているだけに間違った情報をのせてしまったことをひどく後悔しています。この場を借りて皆様にお詫び申し上げます。

回答No.7

検索して写真を拝見しました。 ハゲタカから少女を助けたあと、どうすればいいのでしょうか。 1日分の食料を与えたところで、1週間後には同じように飢え、倒れ、殺されるでしょう。 ならば養子に迎え入れて育てろとでも言うのでしょうか? 写真に写ってないだけで同じように上で死にそうなたくさんの人たちもいるでしょう。 その人たちはどうしますか? 数百人を養子にしろとでも言うつもりですか? 私は平等主義者ではないため、非常に差別的な考えを持っています。 そう言う意味では、村人全員を助ける必要はない、ハゲタカに狙われている他の人を見捨てて、気に入ったその少女だけを助ければそれで良いじゃないか、という考えも確かにあります。 報道関係者が報道していない場所で何をしているかは知りません。 報道により寄付金なども集まるかもしれませんし、ボランティア団体が現地に行って何らかの行動を起こすかもしれません。 ただ、「平等に」少女を含めた村人全員を助けなかったカーター氏の行動は「間違ってはいなかった」と、私は思います。

noname#257539
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 差別的な意見だろうとなんだろうと、いろんな意見が聞けて、俺はとても嬉しいです。 例えばこんな考えもあると思います。たとえ助けなくてもその少女がその後どうなるか?もしかしたら誰か助けるかもしれないし、そのまま死んでしまうかもしれない。その少女がどうなるか?助けないのであれば見届けるという手段もある。この少女の人生をほかの人達の代表として報道する。 ケビン・カーター氏は間違っていなかったがもう少し勇気をだして踏み込んでも良かったのでは?と思うこともあります。

noname#257539
質問者

補足

ハゲタカではなくハゲワシでしたね。報道関係で質問しているだけに間違った情報をのせてしまったことをひどく後悔しています。この場を借りて皆様にお詫び申し上げます。

noname#119180
noname#119180
回答No.6

その場では正しかったのでしょう。 人間は生きている場の感覚で判断します。 その中で最善だと思う行動を取っても、安全な場から見ていた人は言いたい事言いますよ。 私がその場にいたら、少女を助けに行っていたと信じたいです。 でも多分無気力になって弱肉強食を色んな意味で受け入れてしまうのだろうな。 カメラマンはカメラが武器になると考え、その選択をしたのでしょう。 彼なりの最善策だったのだと思います。

noname#257539
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 多分、貴方の回答が一番、俺の考えに近いように思えます。 確かに結果だけ見てカーター氏を非難だけしている人達は机を前にし、椅子に腰掛け、クーラーのきいた穏やかな部屋で唾を吐いているだけだと俺も感じます。誰も彼を責めることはできませんし、全面的に肯定することできないと思います。 結局、俺が一番どっちつかずですね…

noname#257539
質問者

補足

ハゲタカではなくハゲワシでしたね。報道関係で質問しているだけに間違った情報をのせてしまったことをひどく後悔しています。この場を借りて皆様にお詫び申し上げます。

  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1846/10420)
回答No.5

あれ?この写真の少女が全く危険な状況下にいなかったのは既に発表されてますよね。 (先月くらいにCNN?違うかな。TVで画像をコンピュータ分析しているのを見ました。) 訴求効果を狙った画像のトリックで、ハゲワシと少女のすぐ側には大勢の大人がいて、すぐ側の食料配給所に行った母親を待つ少女は飢えるような状況ではなく、本来、死肉を食べるハゲワシも元気な人間が取り囲んでいる中で少女に危害を加えるようなことは無いそうでしたが。 撮影現場を近くで見ていた他のカメラマンもいたことからも、撮影を許された開かれた場であったようです。 それにカーター氏の自殺はそれまで長く使用していた薬物が原因だったと。。。 発表の通り、少女の側には母親を始めとした大人がいることを確認したうえで、この一枚は戦争の悲惨さ、残酷さを世に訴える大きな力を持つと氏が判断したのであれば、私はこのトリックには拍手を送ります。 残念ながら、この一枚が呼んだ反響は氏の思惑とは違い、「報道か人命救助か」という本質から外れた議論となってしまったことです。 氏は戦争のもつ大きな問題を世間に知らしめようと正しいことをしたが、世間は画像に写った虚像にのみ捉われ氏の意志を読み取れなかった。 私はこのように思っています。

noname#257539
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 仮にそれが本当だったとしても少女が危険な状況にいなかったかどうかは判断できないと思います。実際、ハゲワシは少女に危害を加えなかったとしても狙っていたのは事実ですし、写真を見れば一目瞭然ですが少女は明らかに栄養不足でやつれています。しかも周りに大人がいたというのは余計にここは危険な場所と解釈できると思います。だって誰も少女を狙っているハゲワシを追い払おうとしなかったのですから…これって誰しもが人を助ける余裕がなかったということではないでしょうか? あとケビン・カーター氏の自殺ですがピューリッツァー賞の授賞式の約一ヶ月後に、はかっていますからこの写真を撮ったことで氏の心に暗い影を落としたのは間違いのない事実だと思います。もちろん薬物依存などの精神の不安定さも一つの原因、その中でのこの写真… とてもモヤモヤします。

noname#257539
質問者

補足

ハゲタカではなくハゲワシでしたね。報道関係で質問しているだけに間違った情報をのせてしまったことをひどく後悔しています。この場を借りて皆様にお詫び申し上げます。

  • roroko
  • ベストアンサー率38% (601/1569)
回答No.4

今晩は。 私ならですが、写真を撮る前に少女を助けると思います。 確かに、少女を助けたところで、彼女が生きながらうことは無かったかもしれません。 例え手を貸したとしても死にゆく運命だったのかもしれません。 ただ、人として、死ぬだけの命だったとしても、なんらかの温かさを感じさせて、見送ることは可能だったように思うのです。 確か、あの連写された写真の少女が、カメラマンに目を向けている写真は無かったように記憶していますが、彼女の意識の中に、カメラマンの存在は認識できていたようにも思うのです。 幼い彼女が、明確な意識がなかったとしても、本能的にカメラマンに助けを求めていたように思えてならないのです。 それを与えることなく、カメラマンはただシャッターを押し続けている。 その行為は少女の絶望に、さらなるダメージを与えたと私は感じます。 報道写真によって、世論は動かせるかもしれません。 そして、そのことで、第二・第三の彼女を作らないことはできたかもしれません。 けれど、彼女の生命を救うことはできなくても、最後に人の温もりを彼女に伝えられないのなら、それがいかほどのことだったのでしょうか? 人間は幼い物、弱い物を本能的にかばうものだと思っています。 このカメラマンは、確かに報道カメラマンとしては立派な信念があるのかもしれませんが、人間としては如何なものなのでしょうか? 私が覚えている範囲では、この写真が注目され、非難の声が上がると「写真を撮った後、ハゲワシを追い払った」とか「母親がそばにいた」「この後立ちあがって歩き去った」とかの言い訳が発表されたように思います。 もし、そうであるなら、逆に写真の中になんだか彼の作為を感じてしまうのです。 この写真が伝える物は、過酷なスーダンの現実であるはずなのに、その後の発表で、過酷さが薄れてしまい、本来の現状に対する認識にゆがみを生じさせているようにも思うのです。 カメラマンに徹するなら、写真だけで訴えて欲しい物です。 ご参考までに

noname#257539
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 人間は誰しもが幼い頃、両親などから「困っている人を見たら助けなさい」と言われてきたと思います。そうなんです!! 世の中はとても単純にできているはずで子供の時に戻って考えれば、なんで困っている人がいるのに目の前で写真なんかとっているの?と考えられるのです。 そもそもジャーナリストなんて職業は人間が勝手に創り出したものでジャーナリストのプロ意識、信念などは実際くだらないもののハズなんです。 しかし、大人になって考えてみるとこの平和ではない世界はジャーナリストの力が必要と感じてしまいます…世界はもっと単純だったハズなのに複雑に入り組んでしまったからです。 「弱者の為の報道を」 そもそも平和な世界に弱者なんていないはず…ジャーナリストなんて仕事は今は必要だと思いますが、そのうち無くなればいいなと思います。

noname#257539
質問者

補足

ハゲタカではなくハゲワシでしたね。報道関係で質問しているだけに間違った情報をのせてしまったことをひどく後悔しています。この場を借りて皆様にお詫び申し上げます。

  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11790)
回答No.3

有名な写真ですね。 例えば、最貧国に行って「物乞いをする子供」を撮ったとします。 伝えたい意図は、その背景にある政治腐敗であり、国境紛争であり、宗教対立であり、民族対立なんだと思います。 photographはその裏の現実を教えてくれます。 それが確実に伝わる被写体が、たまたま「ハゲタカと少女」だったのかも知れません。 伝えたいものの大きさ、深刻さが分かるほどに、少女への施しはないのかも知れません。 非人道的な(人間の愚かな行いの)結果、犠牲となった少女に対して、人道的な施しを行うのはブラックユーモアに他なりません。

noname#257539
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 世界に悲惨な現実を伝えるためにはその瞬間に悲惨な目にあっている人々を助けるのではなく、ありのままを世界に伝ええなければいけない。その仕事がケビン・カーター氏の職業だった… 何とも複雑な職業だと思います。

noname#257539
質問者

補足

ハゲタカではなくハゲワシでしたね。報道関係で質問しているだけに間違った情報をのせてしまったことをひどく後悔しています。この場を借りて皆様にお詫び申し上げます。

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