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論博のシステムとは?
- 論博のシステムは大学によって異なりますが、論文数5本が普通です。入学前の成果を論文に活かすことも可能です。
- ポスドクや助教をしながら論博を目指すことは問題ありません。
- 専門と異なる研究室に所属して学位を取得することも可能です。
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質問者が選んだベストアンサー
何から指摘するればいいのかわからない程、質問者さんは勘違いをしています。 まず、「論文博士」について勘違いがあります。 論文博士を取る人というのは。次のケースしかあり得ないと言ってもいいと思います。 修士課程以下を卒業した人が企業に入り、その人の仕事はほぼ研究をしているのと同じような人、 つまり、研究をしているのが大学か企業かという違いだけであるような人、 そのような人が、仕事の中で積み上げた業績を論文にして、それを「大学の教授」に 話をつけて審査してくれるようにとりはからってもらった人が 審査に合格し、大学で研究したり博士課程に行かなくても「博士号」を取得できた人。 です。まずはこれを頭に入れて下さい。 (1)まず、入学なんてしない。だから何年で取得とか無い。 そして、今博士課程にいるのなら、その時の業績はその分野の博士課程で博士号を取得するための業績。 仮にそこで「工学博士」を取得できたとして、その課程以外の博士では 「専門が異なるので他の博士でその専門を修めたと認定されるはずが無い」つまり、 工学博士を取得するために得た業績が生物の分野で博士を取るための業績であるはずがないので、 生物の分野で博士を取りたいのなら、その業績を積む必要があるのは当然。 もし、その工学における業績で数学とか似たような分野で評価されはしないか?というのなら、 そもそも、「工学博士」と「理学博士」の違いは何?ってことになる。 というか、「~博士」というは名前だけでどうでもいい話なんです。 結局は「何を修めてきたのか?」ということ。 (2)その前に「どのような分野でポスドクや助教になろうと考えているのですか?」 仮に、「工学博士」が評価されて(つまり、専門性が一致した)採用されるようなところですか? その場合、他の分野で論文博士を取るためには 「工学分野の結果を出さないと首になるような立場であるポスドクや助教で別の分野(工学以外)の業績をあげるような仕事はできない」と思いませんか? 逆に、「別の分野の研究室でポスドクや助教をするつもりですか?」そんなのまず採用されません。 (3)研究科レベルでの話ではありません。「その専門を評価することができる教授」がいないと話になりません。 だから、多くの場合「知り合いの教授がいるかいないか」が重要になってくるのです。 (4)まず、頭に入れて下さいと書いた文章を思い出して下さい。論文博士しながらって何を言っているのか私にはわかりません。 (5)そもそも、「評価してくれる教授がいるか。いないか」というコネが重要になってくるところでもあり、 また、論文博士が「楽して博士号を取得することができる」ということで博士号の安売りになりかねない、という考えから 無くした方が良いという話があります。もともと、日本しかない制度ですから。 ただ、この世界は「どのような業績をあげてきたのか?」ということが重要なので、 現場の研究者にとっては「~博士」を持っているのかは、「全くと言っていいほど関係ない」からどうでもいいのではと思います。 (6)(2)とほぼ同じことです。 (7)それよりも、「どのような論文を書いてきたか」が重要であり、特に、どのくらいのインパクトファクターの論文を書いてきたかの方が重要であり、学歴はその次に見るか見ないか位なものです。 ただ、現実は学歴が良いとされる学校にいた方が、良い先生や良い仲間、そして研究施設に研究費などなど 環境がいいので、インパクトフォクターの高い論文やよりよい業績をあげている人が多いです。 人脈というのは、その業績をあげる課程で、嫌でも出来てきます。つまり、環境がいいのです。 まず、質問者さんは、学歴とか博士号を2つ持っているとか、そんな「形ばかりを気にしないで」 クオリティーの高い仕事をすることを考えて下さい。形はその後に付いてくるものです。 乱文失礼。
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まあ、いろいろな視点があり、価値観がありますので最終的には本人の価値観で決めるべきだというのが大前提ですけど。 7)に関しては私はそうは思いません。大学も大学院も3流でアプライしてもダメというのは本人がダメなだけです。というか、そもそもアカデミックポジションにつくのは困難なのでつけないからダメとは言い切れませんけど。 >3流大学を卒業後、一流大学院を修了すれば・・・ 個人的には幻想だと思います。一流大学+一流大学院でもアカデミックは困難です。仮にそういったことがあるとすれば、研究室の出身者の人脈のようなものでしょう。ただし、嫌な言い方ですが、仮にそういうことがあったとしても他大学から来たよそ者の優先順位低いでしょうし、そもそも最近、まともな大学はほとんどが公募ですので、そういった採用は少ないでしょう。 >2流大学を卒業後、2流大学院で修士号を取得した後、・・・・アメリカの超一流大学の教員になった人を・・ これは東京大学がポイントではないと思います。おそらくあなたの大学で学位をとっても同じことになったと思います。特に海外でそこまで日本の大学名だけで通用するわけがありません。 幾分偏見があるかもしれませんけど、優秀な人は学歴がなくても頭角を現すでしょうし、優秀でない人には学歴は便利な看板になるでしょう。しかし所詮は看板に過ぎません。薄っぺらで裏には何もありません。東大出の人が出世したとしてもそれは東大を出ているからではなく、優秀だからであると認識すべきだと思います。 ちなみにアカデミックで問題になるのは博士号の有無のみです。今時、大学名とか、課程博か論博かなどということは全くと言っていいほど問題になりません。 それと、あなたの先生が「3流大学を卒業後、一流大学院を修了すれば、一流大学の教員の公募にも通る可能性は十分にある」という認識をお持ちだとすれば驚きです。現状と乖離していると思います。別の先生のお話もお聞きになった方が良いと思います。
補足します 3)ミスマッチに関しては程度問題だと思います。少なくともその論文を評価できる人がいないほどのミスマッチがあれば難しいのではないでしょうか。そもそも論博に関しては所属という認識は乏しいと思います。もちろん何らかのコンタクトはあるでしょうけど。それとどこか他大学で教員をしながら東京大学に所属というのもおかしな話です。 5)年代に関しては不確かですが、ご指摘の通りです。そして現状もまたご指摘の通りです。今後の見通しは私にはわかりませんが、当分は現状維持になると思います。 6)教員になれば学生が付くわけで、論文が増えるのは当然と言えるでしょう。そもそも彼らは博士号をもっているわけですから、複数の博士号をとれるだけの業績があるのも当然です。複数の博士号をもつ人が少ないのは、そのメリットがないからです。実際に博士号を有する人が全く違う分野を始めたというのならいざ知らず、それまでの研究を継続して、その過程でのマイナーチェンジぐらいで別の学位を目指すのはいかがなものかと思います。学位を取得した研究とその後の研究が違うのは当然と言えることだからです。自分が大学院生の頃の仕事を延々と続ける人は珍しいと思います。 いずれにせよ、複数の学位をもっていることがポストを得る上でのメリットはほとんどないでしょう。論文の数、質、分野、学位の有無は問題になるでしょうが、学位が1つか2つかということは問題にされないでしょう。分野の違う複数の学位をもっていた場合、その人の研究の方向性が定まらないようにも見え、不利になる可能性すらあると思います。ちなみに教員に応募するレベルであればどの大学の学位であろうがほとんど問題とされません。その後の業績の方が遥かに比重は大きいです。
論博というのは要するに論文と業績の評価ですので、在籍期間云々は基本的に無関係です。ただし現在、博士課程に在籍しそこで学位を取得したとすれば、その学位を取得するための論文、あるいは現在の大学院に在籍中の研究成果はその博士号を取得した時点でチャラになると考えるべきでしょう。したがって、論博を目指すのであれば工学博士になった後に新しく始めた研究の成果のみが対象になるべきであると思います。また、工学博士と似たような分野で理学博士の学位を認めるかどうかということも問題になると思います。博士論文を提出したとして、その論文に対して審査にあたった教授が「これって工学博士の学位を取った研究と同じようなもんだよね」と発言すれば認められない可能性はあると思います。ただ、こういったことは研究内容やその場の状況にもよるでしょう。 それと東大の博士号に魅力を感じて尾おられるようですが、少なくとも助教のポストにある人が、たとえば他大学の准教授の公募に応募したとして、その博士号を出した大学名が問題になることはほとんどあり得ません。 それと、論博であれば筆頭著者としての論文が要求されます。ポスドクでそれが可能であるかどうかはわかりませんよね。 4)については上述の理由によって無理があると思います。まあ、そもそも論博で入学云々ということ自体が意味不明です。
お礼
回答ありがとうございます。 いくつかの回答に関して納得することが出来ました。 残りは、 3) 論博を取ろうと思っている大学の研究科に自分の専門とマッチする研究室がない場合、 多少分野が違っていても所属して学位を取得することは可能なのでしょうか? 5) 検索すると、2005年くらいの記事に論博は廃止という記事がたくさんあるのですが、 実際には、まだ残っているようです。この情報の食い違いはどこからくるのでしょうか? に関してどなたかご回答頂けますでしょうか? それと追加質問なのですが、 6) 助教や准教授、教授になるくらい経験を積む頃には 論文は数十本以上出ているわけですが、 そうすると、論博などものの簡単に取得出来てしまうのではないでしょうか? それにも拘わらず、多くの、というか、ほとんどの教職に就いている人が 博士号を2つ取得していません。 これは単に何のメリットもないからということなのでしょうか? 例えば、変に2つ博士号をもっていると、気取っているみたいで評価が下がってしまうということもあるのでしょうか?
お礼
もう一つ質問をお願いしたのですが、 7) 担当教官や、他の人から聞く話なのですが、 学歴は最終学歴で決まるという話しを聞きます。 3流大学を卒業後、3流大学院を修了したのでは、一流大学の教員の公募にアプライしても まず通りません。 しかしながら、3流大学を卒業後、一流大学院を修了すれば、 一流大学の教員の公募にも通る可能性は十分にあるという話しを聞きます。 また、2流大学を卒業後、2流大学院で修士号を取得した後、 一度企業に就職し、その途中で、東大で論博をとり、アメリカの超一流大学の教員になった人を 知っています。 こういうことから、業績はもちろん必要ですが、 最終学歴として論博であっても東大をもっていると役に立つのではないかと思うのですが どうでしょうか? それとも、最終学歴として通用するのは過程博士だけであって論博は通用しないのでしょうか? 要は、過程博士であれば、その大学で人脈を築くことが出来るのに対し、 論博では、ほとんど人脈を気付くことが出来ないため、いくら 一流大学院で論博を取得したとしても意味がないのでしょうか?