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生きる意欲がわきません。
生きる意欲がわきません。 ニュースで人殺しや自殺などを耳にすると、生きてることに疑問を感じます。 頭では生きなければと思っていても、働いている最中に働いてまで生きる必要があるんだろうかと考えてしまいます。 もちろんそういった考えは自分が恵まれている為だということも分かります。 人はどうして生きなければならないのでしょう。 義務なのでしょうか。 曖昧でもいいので答えをください。
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生きるのに理由なんてありません‥‥でも、理由がないゆえの必然性、というのもあるのです。 物質に「目的」はありません。 しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。 「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。 生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。 人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。 生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。 しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう? 人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。 原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。 お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。 本来それは、分業=助け合いに於ける“感謝のしるし”であるにもかかわらず、いつの間にか(助け合っているはずの人々と)それを奪い合い、お金をもらうために仕方なく働くようになってしまっているのだ。 (その錯覚の端的な例が、取引きに於いて、役に立つものをもらう=助けられている方ではなく、手あかで汚れた紙切れ(お札)をもらう方が、お礼を言う奇妙) その結果としての“自己チュー”な意識において、死は絶対的な敗北となり、人生は必ず敗北に尽きるものになってしまう。
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- miracle3535
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#1の者です。 >周りの人が、くだらないことで言い争いをしたりするのを聞くと虚しくなります。 >自分の我が侭の為に人を傷つける人がたくさんいます。もっと人を愛せればいいのに。 >その方がずっと楽なのにうまくいきませんね。 本当にそのとおりで私も心を痛めています。特に子供への虐待は信じられません。 どうしようもありませんね。 >いつも自分は何故こんなに出来ないんだと比べてしまいます。 >昔から努力してまで何かを成し遂げようとはしませんでした。 >いつも周りに遅れをとって、悔しい気持ちばかりでした。 >精神的にタフではないのでその都度生きることに虚しさを感じます。 努力なんか努力して出来るのは結構難しいです。自分の心を入れ替えればよいのです。 ご自分の理想像を常に描いてください。絶対にこんなもんで・・と考えないで下さい。 数ヶ月すると自分の変化に気がつきます。
- happy_luck
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誰かに「生きなければいけない」と言われたのですか? 正直、生き続けるのも、生きないのもこの国では本人の意思に任されていますよね。 (自殺を重罪だとしている国もありますが) 生き続けるのは楽しいこともあるけど容易ではないです。皆が皆、生きやすい世の中ではないですね。 人間も動物社会のように生存競争が激しい。 精神的・肉体的・知能的にタフで優れていて、幸運も持ち合わせている者がその時の生存条件に適応しながらなんとかして生きながらえている。適応しづらい者にはとても厳しい。 だから苦労してまで生きることが必要なのかと仰る気持ち、とてもわかります。 生き続けるのも、そこで働いているのも自己決定ではないのですか? 生きるかどうかは自由ですが、死ぬ前にその仕事が嫌ならやめて好きなことをしながら生きるのもいいと思います。生きるのが嫌なくらい働きたくないのなら、働かずに、自給自足で暮らせばいいだけです。 私経ちは比較的長い寿命をできれば思い通りに暮らしながら全うしようとしているだけ。 誰に頼まれていないのにそれを義務と思うのは、生存本能なのかもしれませんね。
お礼
考え深い意見ありがとうございます。 いつも自分は何故こんなに出来ないんだと比べてしまいます。 昔から努力してまで何かを成し遂げようとはしませんでした。 いつも周りに遅れをとって、悔しい気持ちばかりでした。 精神的にタフではないのでその都度生きることに虚しさを感じます。
- zura69
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良い年して家で親の世話になってるような馬鹿は非難の対象になりますが 生活している人たちは、女房子供を捨てたとかで 無ければ、正直非難もされません。邪魔にはなりますが あなたに妻や子供はいますか?いるなら他人の人生背負ったんですから 頑張るしかないでしょう いないなら無理して働いてまで生きる必要は無いかも知れませんが、 死ぬことも無いでしょう、路上や駅、公園でひっそり生活すれば良いと思います
お礼
非難されたわけでなく、ただ単純に生きる意味が知りたいのです。 独身の人はどうするんでしょうか。
- miracle3535
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>人はどうして生きなければならないのでしょう。 人生最大の難問かと思います。 ある人曰く、「宇宙の発展に貢献するんだ」(中村天風) ちょっとピンとこないですよね、分かるまでは。 人生、楽しむしかありません。暗いほうばかり見ていたら嫌になってしまうのが当たり前です。 楽しい、幸せなことばかり考え実行しましょう。 生きていること自体が幸せなんですよ。 自分の心に夢を描いてください、楽しくなりますよ。
お礼
前向きな意見ありがとうございます。 周りの人が、くだらないことで言い争いをしたりするのを聞くと虚しくなります。 自分の我が侭の為に人を傷つける人がたくさんいます。もっと人を愛せればいいのに。 その方がずっと楽なのにうまくいきませんね。
お礼
素晴らしい回答ありがとうございました。 今までの回答の中で一番心に響きました。 働いているうちに、本当に大切なものを見失いかけていた気がします。 物質的な利益のことしか考えることが出来ず、もう一生人を愛することも出来ないんではないかといつも不安になります。 忙しすぎると、人は大切なものを見逃してしまいますね。 自分に出来ることを考えながら今を生きたいです。