日本の記者クラブは明治時代にできた古い形態です。しかし明治時代の発足当時は、メディアの取材を拒否する政府・官僚に対して集団で取材を迫る、世界一般のプレスクラブと同じような機能を目指していました。
これが変質したのが、太平洋戦争です。戦争末期の敗色濃厚な時期に「大本営発表」として記者クラブの報道を統制したのが始まりなのです。
その後、日本の敗戦により連合軍総司令部(GHQ)が日本を一時占領下におき、記者クラブも解体を迫ります。一応、建前上は解体されたのですが、GHQは同時に公共機関に対して記者室を作るよう指示しましたので、実態としてはそのまま残ったようです。
戦後はそれでも建前上は親睦団体として、実態は大本営発表そのまま、各公共団体が発表する内容を鵜呑みにして報道する機関だったのですが、テレビが入ることでさらにその性格を強くします。
その変質を印象付けたのが1972年の佐藤首相の退陣会見で、「新聞はうそばっかり書くから嫌いだ、離すことは無い」と語り新聞記者が「いいんですね」と念を押した後、全員退席しテレビカメラに向かって退陣発表をする、ということがありました。
これにより、テレビは生で真実を写す、という風潮が強くなり、記者クラブにもカメラが入るようになるのですが、かえって報道の本質から遠のく結果となります。
とくに日本のテレビ局と新聞社は資本関係にあり、また地方のテレビ局も系列があるため、記者クラブの約束に反する報道はしにくいの原状があったはずです。
日本の報道は世界の標準からみれば「報道」という名に値しない、とくに政府関係のものについては「真実を追究する」というレベルには達していないでしょう。
これは、戦争時代の名残を引きずっているからでしょう。平成になって、批判が高まり見直される機運が高まったのは、一部問題意識をもつジャーナリストたちの生の声がインターネットを通じて広まったからだと思います。
テレビが進出した時代にも見なす時期はあったはずですが、テレビと新聞社の資本同化が妨げたのでしょう。また記者個人のことをいえば、戦時中に政府の問題を取り上げる記者は大本営発表では仕事のしがいがいため居なくなり、戦後は極度の貧困から仕事を奪われまいとした人々が記者として残ったため、本来の報道機能が復活しなかったのでないか、と考えています。
お礼
回答ありがとうございました。 詳しいご説明に感謝しております。 マスコミ・報道は自由か?という世界ランキングで 日本は17位?に上昇しているわりには 根源的な(根本的な)ところへの突っ込みができない? 記者クラブ自体がそもそも怪しく思えてなりません! (ごく一般庶民からの意見ですが・・・)