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諏訪大社の御柱は既に終わりましたが 一つ質問があります. 茅野の上社と
諏訪大社の御柱は既に終わりましたが 一つ質問があります. 茅野の上社と諏訪の下社の二つがありますが それぞれの御柱は共に樅の木との事でしたが 色が全く違いました.上社はまっさら 下社は黒ずんでいました. 聞いたところ下社は一年前に伐採をしてから皮をむき 一年置いておくが 上社はその年に伐採し 皮をむいて持ってくると. 質問は何故上社と下社で違いがあるのでしょうか それから上社の御柱のポスターですが 明らかに皮をむいていないそのままの木に人が乗り 今正に上社で立てかけるようすが映っていましたが これは間違いですでに皮を向いた木なんだと思うのですが. つまらない質問で申し訳ありませんが
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湖南・中洲地区(諏訪湖南側の地区)では、伝統的に皮をむかずに曳行と建て御柱実施していましたが、安全面を考慮して今回は皮むきを実施したようです。 http://www.shinmai.co.jp/onbasira/2010/04/post-137.html 上社と下社は元々地域が違います。東南側が上社、北西側が下社で、真ん中に諏訪湖が挟まっているため、ひとつの盆地内ですが全く地域性が異なっています。上社側は標高が高く、八ヶ岳からの寒風が降りてくる気候の厳しい地域であるのに対し、下社側は諏訪湖に南面し、山懐に抱かれた比較するとやや穏やかな気候の地域です。 中世鎌倉時代や室町時代には、上社と下社で戦争も起こっています。 http://www2.harimaya.com/sengoku/html/suwa_k.html http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kanazasi.html 御柱祭は、両地域の和平を意図した一面もあったのではないでしょうか。
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- jgk99
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私も、現在、諏訪について勉強しています。 ポスターの件については、その事実も知りませんでした。 さて、質問者様は「違い」について疑問をお持ちのようですが、私は四社について本来は別の意義が有ったものとして注目しています。 四社を諏訪大社としますが、神紋も違い・方角も違い・建築様式も違い・御神体も違い…そんな四社です。 逆に、四社が揃って同じ神事を持つことのほうが何か意味が有るのだろうと考えています。 答になっていませんが、御柱の製作過程に違いが有るのは当然ではないかと考えますが、どうでしょう。
補足
勉強もしていないのでよくわかりませんが 一般的に上社と下社に別れて 男神と女神 なんて言われると全く別の神社とも思えませんが その辺りがよく理解できないので 御柱一つにしても理解できないんですよね. 同じ日にちだし 7年に一度 と言うのも同じ ただ 上社は原村近くから 下社は霧が峰 ますます理解できません
お礼
大変ありがとうございます 正に納得です. 諏訪の人達にも聞いたのですが これで納得する事ができ 気分爽やかです.有難うございました.納得した上でもう一度上社と下社にお参りしてこようと思います