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宗教団体に居られた後辞められ自然な信仰心(特定の団体へ属していない)へ
宗教団体に居られた後辞められ自然な信仰心(特定の団体へ属していない)へ戻られた方へ質問です。 辞めると決めた出来事や思いはなんでしたか。 何年間悩みましたか。
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質問者様の「自然」とおっしゃる意味を理解致しました。 これも私が聞いた話しですが、 お正月に初詣に行く事は特定の宗教団体に所属していない前提で言えば、 一般的には何も問題はないらしいです。 しかし、宗教団体によってはあちらことらと詣でない方が良いとも聞きます。 これは、宗教団体のご本尊様のご加護が所属している団体から 得られている事が理由らしいです。 現在所属していらっしゃる団体に何か疑問をお持ちなのでしょうか。 次に「自然な宗教心」という点ですが、初詣は「商売繁盛」「健康祈願」 等のいわゆる人間の欲得を「お願い」しに行くのであり、自然かどうかと 言われるとちょっとビミョウなところかも知れません。 かといって観光目的でその様な場所に行くのは神様に失礼だと私は思って いるので、普段は行かない様にしていますがどうしても行く場合はお賽銭を 上げてご挨拶を申し上げてその場を離れる様にしています。
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- arema2
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私の周りにも問題を抱えて相談して来る人がいました。 一番はお金の問題の様です。 仏教系、キリスト系、神道系、その他様々ありますが、 そもそも多額の金が必要だとい言う点が信仰心が揺らぐ 原因の様です。 しかし、全ての団体がそうではありません。 どうしても今の状況にご不満ならば、他をあたれば良いのでは ないでしょうか。 また、辞めるときにお世話になった方達へ気兼ねされる様な思いが おありかも知れませんが、その心配は無用です。 新たに入られる方も辞められる方も自由なのです。 辞める時にいろいろ言われるでしょうが、また新たな先で 新たな気持ちで信仰を持たれると良いのではないでしょうか。 自然な信仰心とはいわゆる無宗教でということでしょうか。 例えば、亡くなった方の灰を海に撒いたりする光景をテレビで時たま 目にしますね。 でも、私は思うのです。 海底に沈んだ死体が引き上げられた時、遺族は 「さぞ暗かったろう、寒かったろう、冷たかったろう」という 思いがあるわけですが、灰を海に撒く時はそんな意識は全く 感じていらっしゃらないようです。 灰だから関係ないのでしょうか。 海洋葬にはそう言う疑問が私にはあるんです。 辞めるのであれば、そんなに悩む必要はないと思いますよ。 その際、どうしても先方に会いたくないならば、お手紙と 今までそこで購入した物等は全て郵送でお返しする事です。 全てをまっさらの状態にしてから次へ進んで下さい。 どこかを探されるのか、無宗教とするのか、それは自由です。 ただ、遺された者の事だけは考える必要があるかも知れません。
お礼
回答ありがとうございます。 その様な団体では無いと感じています。 自然云々と申しましたのは正月には神社さんへ初詣、お彼岸にはお墓参り、惹かれた場所には気兼ねなく手を合わすなどの事を自然と思い著しておりました。 ありがとうございました。
二十数年前に、エホバの証人に入りかけていました。 「一神教というものは、その宗教が全世界に広まったときに理想が現実になるのではないか。」と疑問を持った時にやめました。 誰も、人の思想信条を支配/強要することはできないし、してはいけないと思ったから。 でも、いまだにキリスト教に迷うことが多々あります。
お礼
回答ありがとうございます。 ありがとうございました。
補足
皆様回答ありがとうございました。 参考になりました。 情報や浅い捉え方に翻弄されない揺らがない心が大切だと受け入れることができました。 また揺らいだ時は質問させていただきたいです。 誠にありがとうございました。
お礼
<(_ _)>御親身に再度回答戴き誠にありがとうございます<(_ _)>。 他へ詣る事に関してですが昔とは違い問題ないですよ伺いました。 疑問に関してですが… お正月お彼岸等大半の方は団体の行われるお正月やお彼岸の会と申しますか…そこへ行かれます。 しかし私は行ったことがありません。 他へ行った先々では『詣らせて頂きありがとうございます』のみでお賽銭をさせて頂き詣らせて頂いています。 本当にそれで正しいのかなとの中途半端さを在籍している事で感じるのが正直なところです。 信じている内に入るのかと。 本当に難しいです。 <(_ _)>誠にありがとうございました<(_ _)>。