• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「ザ・コーヴ」の上映中止運動は正しいのか)

「ザ・コーヴ」の上映中止運動は正しいのか

このQ&Aのポイント
  • 「ザ・コーヴ」の上映中止運動は正しいのか。コーヴの上映に反対する側の主な反対理由は、映画内の情報が日本の文化を貶める虚偽であり、偏った価値観によるプロパガンダだということです。
  • 上映すべきだと主張する側の反論は、映画の内容を確かめることで日本国内の問題を見つける可能性があるという点や、イルカ漁は日本の文化ではなく日本のごく一部で行われていることを指摘しています。
  • また、あらゆるドキュメンタリーはプロパガンダであり、この映画の視点が偏っていることは事実ですが、その偏った視点を通じて異文化間の理解を深めることができるという意見もあります。さらに、作品の発表の場は言論の自由を保証する民主主義の基本であり、検閲のもとで偏った視点しか表現できないならば、日本は国際社会で孤立してしまう可能性があると指摘されています。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Ganymede
  • ベストアンサー率44% (377/839)
回答No.4

ご質問者は、「上映中止」、「上映すべき」の双方の意見を紹介しています。まず、この映画を批判するのは自由です。その批判に反論するのも自由です。双方の意見は検討する価値があるでしょう。しかし、「批判」と「上映中止運動」とは同じではありません。上映中止運動は、それ自体が誤りです。よって、ご質問の回答は「正しくない」で終わりです。 たとえば、「『ザ・コーヴ』には次のような批判が巻き起こっています」、「その批判に対する、次のような反論もあります」、さて『ザ・コーヴ』への批判は正しいですか、というのは質問として成り立つでしょう。「それ自体が誤り」とは即答できず、検討してから「それらの批判は誤り」と答えることになると思います。しかし、「『ザ・コーヴ』の上映中止運動は正しいのか」は、民主主義体制の枠内では成立し得ない質問なのです。 むしろ私は、次のような「大人の事情」を考えてみたいと思います。私は事情通ではないのですが。 (1) 自称市民団体(実は極右)の売名行為 この騒動は『靖国 YASUKUNI』の上映中止運動と、何やら似ていると思いませんか? どちらもドキュメンタリー映画で、右翼が反対した。肖像権うんぬんなどという、上映中止運動の言い分まで似ている。 しかし、『ザ・コーヴ』の騒動の新聞記事に少し目を通すと、「右翼」と書かずに「保守系市民団体」などと書かれているようだ。具体名を挙げている新聞はなかなか見つからなかったが、「主権回復を目指す会」などらしい。これは老舗の右翼団体というより、最近売り出し中の極右である(2006年設立)。 捕鯨と極右……。どういう主義主張でつながっているにせよ、こじつけのようなものだろう。また、映画を批判するにとどまらず、上映中止まで要求して圧力をかけ、実際に中止させたのは、なぜか。ずばり、売り出し中の団体の売名行為だと思う。派手な運動をして新聞記事になれば、団体名は載らなくても、知りたい人はネットなどで調べて、運動の主体の団体を知ろうとする。 (2) 攻撃を逆に利用する 前述の『靖国 YASUKUNI』は右翼の攻撃により、次々に上映中止に追い込まれた。しかし、それが報道されると逆に宣伝になって、観てみたいという要望が高まり、やがていくつかの都市のミニシアターなどで上映された。結局、低予算のドキュメンタリー映画としては意外にヒットしたという。 『ザ・コーヴ』も同じコースをたどる可能性はありそうだ。したたかな映画人魂とでも言おうか。アカデミー賞を受賞しているのも宣伝材料になる。しかし、右翼や「保守系市民団体」が物事の限度を知らないとすれば、街宣車で大迷惑をまき散らしたり、破壊活動をしたり、果ては怪我人まで出るかもしれない。そうなると「逆に宣伝に利用」とも言えなくなってくる。 『靖国 YASUKUNI』の配給はアルゴ・ピクチャーズだった。ミニシアター系の配給会社として数十年のベテランだという。一方、『ザ・コーヴ』の配給はアンプラグドという所で、新興の会社らしい。各上映会場も、いったんは脅しに屈するかもしれないが、やがて上映館が増えていき、日本は fair な社会ということが示されると思う。

その他の回答 (13)

  • nama777
  • ベストアンサー率26% (183/699)
回答No.3

先日の朝日の社説ですね。 不快に感じる人が多かったから上映中止でよいのではないでしょうか。不快にいちいち論理的理由を求める論調を、とても変に感じました。あとは上映側の判断でしょう。映画館も商売ですから、生理的に嫌悪感を示す人が多かったら中止というのは自然な対応ではあります。少なくとも朝日的なイデオロギーに乗っかって、上映を続けろと外から言う権利は、第三者にはないでしょう。その人が連日映画館に通い、上映を商業的に支援するような行動をとった上で言うのならまだわかりますが。 あとは上映すべきと言う側の理由ですが: >自身・または自国の価値観を相対化したり、どんな偏見や誤解が >異文化間の理解を阻んでいるのかを考えたりすることにつながる 相手にその気があれば、そもそもこんな映画は作られていません。送り手にその気がないのに、受け手が一方的に寛容を示して異文化尊重の姿勢を示すべきとは、どこまでも朝日らしい自虐的な主張です。

lu-mu-
質問者

補足

不快な人がいるから上映中止ですか。 表現・言論の自由のかけらもない国ですね。 namaさんの考え方こそが典型的な異文化理解を阻害するものだと思います。 仮に相手を批判するにしても、相手の考え方を理解せずには論理的な意見が言えません。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.2

愛国心のなんたるかもわからぬ愛国者から金をせしめるには正しい行動だ。

  • modoki666
  • ベストアンサー率27% (29/106)
回答No.1

そもそも映画自体を特定の誰かが先に見たのか見ていないのか知りませんが、 その人がそう判断したから、上映するべきであるとかないとか? そう勝手に判断して、見せるべきであるとかないとか? なぜ自分の判断を他人に押し付けようとするのか? 到底理解できない。 そもそも、この国は、北朝鮮のような、特定の人間の判断を大多数に押し付けるような国にするべきだろうか? 賛成反対論者は映画を見ているのだろうが。一般の国民は見ていない。 一般の国民は、自分達より判断能力が劣るとでも言うのだろうか? 完全に上から目線の、分別を持つことを一つの美学礼儀であると言う日本の伝統を破壊するものである。 自分達の「分」を弁えないで、日本を貶めていることに早く気づくべきだろう。