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手紙を読まずに放置する兄の行為の理由とは?
- 兄が手紙を読まずに放置している理由としては、私の手紙が兄にとって好ましくない内容であったことや、文面が長いことが挙げられます。
- 兄との関係修復を図るために手紙を送った私が兄にとって好意的でない内容を伝えていたため、兄は手紙を読まずに放置したのかもしれません。
- 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉で私の気持ちを表現したが、兄はそれを理解せずに手紙を放置していた可能性があります。
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質問者が選んだベストアンサー
質問者さまとお兄様はご性格が違われるのだと思います。性格が違うというのは同じ親御さんから生まれていたとしても全く違った考え方、感受性の元に日々を送られているということであり、ここを深く認識されれば、読まなければ返事も書かなくてもいいやという実に単純な好い加減な理由で手紙をほっぽって置かれたのではということに気が付かれるのでは思うのです。妹さんが憎いとかそこまでの意味はないでしょう。 子供さんたちは意味が分らないのではなく真面目な叔母さんの問いかけをわざとはぐらかしているのであり仲良くしてほしいなと願っているのでしょう。駄目なお父さんに対する同情も感じられます。 誰がどう言っても、もしかして自分に非があると分っていても謝らない人は謝らないです。話し合いにも応じないでしょう。真面目に真面目に迫っても逃げるだけです。 今は冷却期間をおいて暫くは放置しておくに限ります。 それに子供さんを間に入れると余計にややこしく7なると思います。 ならぬ堪忍、するが堪忍でしょう。
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- henmiguei
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人間関係で縺れ話の一番厄介なのは 肉親の縺れです その内一番厄介なのは兄弟、姉妹の縺れです 貴方は此の縺れの発端になったのではないでしょうか きっかけを作った人間は 被害者たるきっかけを作られた方よりも 早く冷めます 従って和解の行動もきっかけを作った人間から働きかける方が多い様です 一方、縺れ話を吹っ掛けられた方は何時までも根に持って 和解に応じようとしないのが常です 特に身内は“骨肉の争い”と言って根が深い様です 貴方は相手の恨みを意識下に置いてしまっていますが 兄上は忘れていない様です 御質問の文面から推測するに 貴方は兄上の腹立たしさを理解していない様です だから、坊主憎けりゃ・・・・・と言えるのでしょう 自分の仕出かした事を忘れて 和解の行為を正当化しているのはむしろ貴方では無いでしょうか 昔、いじめられた人は何時までも覚えていて いじめた方はすぐ忘れている これが今回の縺れ話に当てはまるのではないでしょうか。
お礼
「和解の行為を正当化」という文面もよくわかりません。どうして和解しようという努力が非難されなければならないのでしょうか。 せっかく回答していただいたのに素直に理解出来ずに申し訳なく思います。 どうも済みませんでした。
補足
「きっかけを作った人間」が私で、「被害者たるきっかけを作られた方」「縺れ話を吹っ掛けられた方」が兄というわけでしょうか。また、「早く冷めます」とは何のことなのでしょうか。 回答いただいたのに理解できなくて申し訳ありません。 *
親子であっても兄弟であっても、人間一人一人考えも常識も違います。 「人は十人十色、千差万別」です。 兄弟であっても家庭を持つと、新しい家族で新しい常識が生まれます。 「家の常識、隣の非常識」です。 自分が正しいと思っている人程、人を正そうと躍起になります。 でも意見される方も自分は正しいと信じていますから、中々人の言う事は受け入れられません。 お互いが似たような性格であれば、夫婦でも親子でも兄弟でも、一生交わることは無いと思います。 お互いの違いを受け入れて始めて交われるのだと思います。 自分が正しいと信じている人の集まった家庭は、自分以外の人を正そうと躍起になるので争いが絶えません。 自分にも非があるかもと己を顧みる人の集まった家庭は、お互いを尊重しますから争いは起きません。 質問者様とお兄様のどちらが正しくてどちらが間違っているかは、原因が書かれていないので何とも言えませんが、命に別状ないことであれば其々の家庭で収まっていることはそのままにした方が良いと思います。 手紙にしても、普通自分の気持ちに添う内容ならば、どんなに長くても読むと思いますが、おそらくお兄様にとっては到底受け入れられない理不尽な内容だったのでしょう。 例え質問者様が自分が正しいと思っておられてもです。 これは人其々の環境や思想によるものですから、どちらが正しくてどちらが間違っているとかは、それこそ人其々十人十色、千差万別でしょう。 「坊主憎けりゃ袈裟まで」と言う意味は、坊主が憎ければ、その坊主が身に付けている袈裟まで、つまりその坊主にまつわる物は全て憎いと言うことかと私は解釈しています。 質問者様がどう言った事の引用で使われたかが分からないので、使い方云々は何とも言えませんが、最近の若い人では袈裟が何たるかも知らない人が結構いるんじゃないかと思います。 ですから大意なく叔父様である質問者様に問われたのだと思います。 先ずはお兄様の意見に同調するところから入られると、弟も分かってくれたかと心を開いてくれるのでは無いでしょうか。 相手に自分の気持ちを伝えるには、まず相手の心を開いてからでないと、絶対に聞いては貰えないと思います。 どちらにしても兄とか姉は面子があるので、妹や弟に謝る事が苦手です。 そう言う私も長女で、私が悪くても妹から謝ってくれて喧嘩が終ることが良くあります。 心の中では自分も悪かったって思うことも多いんですけどね。 困ったものです。
お礼
* 回答ありがとうございました。 私は自分の抱える兄との問題を解決する手法を学ぶために心理カウンセラー養成講座を受講しました。そこで多くのことを学ぶことが出来ました。その一つが、相手が変わらない限りは自分が変わらなければ問題は解決しないということです。 私が心理カウンセラー養成講座を受講した家庭内の問題」相談室のHPには 「『寄り添う』 ということ」として次のようにあります。 相手に寄り添うということは、決して簡単なことではありません。人それぞれに、価値観があり願望があります。無理に相手に合わせることでは、寄り添う形になりません。その人のすべてを受け容れ、未来を信じて差し上げてはじめて寄り添うスタイルが取れるようです。カウンセリングに限らず、家庭や生活の中でも、相手に寄り添うことの意味を感じたいものです。 誰か、一人でも自分のことを信頼し、選択を支持してくれる人がいるだけで、人は自信をもって前に進むことができるようです。そして、その相手が信頼できる人であればあるほど、その自信はゆるぎないものになります。寄り添うことをいつも心がけることがカウンセラーにとっては大切なことと感じています。 家庭内の問題」相談室 http://blogs.dion.ne.jp/legal/
補足
私は自分にも非がある事は十分理解しています。そもそもトラブルの発端が私の手違いだったのです。その手違いに対して兄の反応が尋常ではなかったために抜き差しならない事態に発展してしまいました。 私はその手違いによって兄の怒りを誘発しましたのでそれに対しては素直に謝っているのですが、兄は自分にも事態を紛糾させた責任の一端があるにもかかわらずそれをまったく顧みないのです。 兄は私との関係においてのみならず家族の誰に対しても自分の不手際を素直に認めようとしません。何かと言うと訳のわからない言い訳でごまかそうとします。 私が兄の子供に兄への助言を求めたのも兄の自分本位が言動が家族全員に関係しているからでした。 *
お礼
* 回答ありがとうございました。 ネットで相談してもなかなか理解してもらえず納得できる回答が得られないのですが、このたびようやく納得できる回答を得ることができました。 私は兄との関係の修復を目指してブログを開設しているのですが、そのブログに回答を転載させてもらいました。ありがとうございました。 * http://kyoudaikankei2010.blog.so-net.ne.jp/
補足
確かに「読まなければ返事も書かなくてもいいやという実に単純な好い加減な理由」かもしれません。そうであれば私の「坊主憎けりゃ…」という例えは勘ぐりすぎ、不適切ということになります。私もそうなることを期待しています。 子供たちは「意味が分らないのではなく真面目な叔母さんの問いかけをわざとはぐらかしているのであり仲良くしてほしいなと願っている」のだと思います。