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相手を100%信じてはいけない?
- 相手を100%信じては危険。特に社会は厳しいよ。
- 相手を100%信じた自分が苦しくなるだけだから。
- 信じなきゃ始まらないし。
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質問者が選んだベストアンサー
信じたければ信じればいいんですよ…。 人はどうあがいても結局は自分のためにしか生きられないんです。 「人のために」「尽くすことが好き」な人はそうある自分が好きなだけで、結果的には自分のためにしているんです。 無条件に人を助ける人はいませんっていうかありえません。 どこかで見返りを求めていたり、もらっています。 前例で言えば人からの「感謝」や「理想像の自分でいられること」等。 物事は光の見方だけが正しいんじゃないんですよ。 影からの見方もいるんです。 人を100%信じても信じなくてもいいんです。 言い方は違うだけで、根本的なやり方は一緒なはずだから。 表面の言葉に惑わされずに。
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- greatpurin
- ベストアンサー率23% (16/67)
『疑って安全を保つより信じて裏切られた方が良い』 漫画の中の言葉ですが。 基本的に大概の人間は信じるに値しないと思いますが、 信じたいと思える人が現れた時にはこういう心境で居たいものですね。
- hyuuma8579
- ベストアンサー率29% (326/1097)
本当に信じられる人と出会う秘訣がその言葉に隠されているのです。 いつも簡単には人を信じない人がいたとして、その人が信じないという態度を覆さざるを得ない人と出会ったなら、その人こそ本物の人間だということです。 信じられる人と出会うための秘訣を逆説的に言った厳しい言葉です。 私自身も、逆説的にものを考えてますからわかるのですが、 今度は自分が信じられる立場になって考えたらよくわかると思うのです。 だれ彼かまわず人を信じてしまう人がいたとして、その人から仮に自分が信じられてもあまり嬉しくはないのです。 どうせなら、人間不信の固まりのような人の心を動かし、そういう人から信じられたなら、それこそ本物の自分になった証でありましょう。 本物と出会う秘訣は、ふるいやフィルターに粗さを作らないことです。 信じないということは、それだけ人に対する理想が高いのです。 そして、本当に信じられる人と出会いたかったなら、容易に人を信じないことです。 そのぐらいの人を見る目を厳しくすることで、その目をかいくぐって、その厳しい目に適う人が現れたなら、その時は、堂々と100%どころか1000%信じても信じすぎるということはありません。 信じられる人を探し出すために、人を信じない者となるのです。 これぞ、逆説の真理!!
- tomban
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うわー、その人はきっと「すごく痛い目」にあったんですね!…カワイソ。 うーん「利害」っていうのもあるけど、それは「ひとつ下の段」のお話。 人は自分が生きてくために、他人を裏切ったり、場合によっては殺したりもします。 これは人の歴史が連綿と続く中で「モラル」というものに規定されている現代だからこそ「忌むべきこと」とされている「だけ」で、実際本能を開放したら、人間なんて「地上最悪の生物」になってしまいます。 …で、あっという間に滅亡してしまうでしょうね。 しかし人間は「知恵」というもので、巧妙にバランスをとって子孫を増やし、繁栄してきました。 豊かな感情の構築と、それによるところの「知恵」によって、無駄な殺戮を減らしてきたわけです。 …ですから…わかりますか?…この「不完全さ」というものの「怖さ」というものが!。 人間の感情は完全でもなんでもないんです。 優しさの奥に「残忍さ」をはらんでいたり、正直さの奥に「破壊願望」が眠っていたりするんです。 こんな「不完全な存在」を、手放しで許容できると考えるほうが問題です。 だから基本、私は人という存在を信じきることは出来ません。 信じるためには、自分が相手の毒にやられないように強くあることや、自分のスタンスを固めてから相手と本腰入れて話すこと…そういう「地力」がいるんです。 私は他人の言うことは「6分目」で信じます。 5分目では白黒つかないから「6分目」です。 臆病なくらいで、社会人はちょうど良い、ってことでしょうかね?。
- crivelli45
- ベストアンサー率44% (251/563)
人を信じるということは、 「この人に痛い目に合わされても仕方ないな」と覚悟を決めることだと思っています。 悪意があって裏切る人もいますが、のっぴきならない事情がある人もいます。 人じゃなくても、この会社は大丈夫だろと思うところが破綻したりもしますし、この地域に?というところに地震がきたりします。それでも、人はある会社を見込んで入社しますし、ある地域を厳選して居住します。それは、最終的には、メリットとリスクを勘案したうえでの自分の決断ひとつです。 自分がある人を信じたいと思うのであれば、信じるに値する人かどうかという冷静な判断も必要ですが、最終的には、その人を信じたいという自分の欲求に従うまでです それによって後になって痛い目をみたとかウジウジいったりするのは、逆恨みというやつです。 判断と覚悟をじゅうぶんにしないまま、流れにまかせて相手を信用すると、あとからのウジウジを引き起こしやすいのではないでしょうか。
- Oby_st
- ベストアンサー率11% (26/233)
「信頼はしてもいいが、信用はするな」という有名な言い回しがあります。 ただ、どこまで人を信じるか。その線引きは難しいですね。 他人と一定の距離を置けば、深く傷付かずに済みますが 同時に、相手からも一定の距離を置かれてしまいます。 これって寂しくないですかね。 相手を信じ過ぎて失うモノもあれば、相手を信じることができずに失うモノだってあると思いますよ。
- tiltilmitil
- ベストアンサー率22% (1871/8250)
「裏切られても構わない」っていうのは、逆にいえば「この人は裏切るかもしれない」ということじゃないのかなあ。100%信じるというのは「この人は裏切るはずがない」じゃないかと思うんだけど。
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
そらそうです。例えば騙されてお金を取られても、同情してくれる人や慰めてくれる人はいるでしょうが、だからといってお金は戻ってこないし、代わりに払ってくれる人もいないでしょう。 ただし、だからといって「私は誰も信用しません」なんて公言するのも思慮が足りません。信用しているような顔をして、ちゃんと逃げ道の確認をしておくのです。 ホテルに泊まったときに非常口を確認することはホテルを信用しないことですか?自分の身は自分で守るのが自立した大人ってことです。
私もそう思ったことがあります。 でも今は「この人は裏切ることはできないな」って思われる人に 自分がなりたいと思っています。
- kojotyo
- ベストアンサー率16% (5/30)
100%信用できる関係が構築されているかいないかです。 >どんな相手であっても・・・ その人は100%信じられる相手がいないからそう思うのでしょう。だからその考えは間違っていないと思います。 また、100%信じられる相手がいる人はほとんどいないでしょう。私は2人いますが奇跡だと思っています。(ちなみに家族ではありません)。100%の関係を構築するのは相当難しいです。でも100%の関係ってものすごいです。それこそ鬼に金棒です。確実に人生のプラス幅が大きくなります。なのでそれを目指すのは良いことだと思います。ただ、繰り返しますが、100%信用することができるのは100%の関係が構築されているかどうかです。
『信じる』ってどういう事ですか? 「ある人」は、『信じる』と『依存する』を混同している様に思います。 たまにいますよね、親しくなると図々しい頼み事をしてきて、お断りするとふてくされる人って!! 自立した大人の信頼関係を築きたいですね。
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