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医師から「心で生きろ」と言われました どうすれば?
先日の診察時に医師から「頭で生きるな、心で生きる事を考えなさい」と言われました。 どのように解釈すれば良いでしょうか? 抑うつ症歴6年、現在レキソタン・パキシルからエビリファイを飲んでます。
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お医者さんは、ときどきそういった発言をされますね。 ちょっと考えてしまいますね。 考えさせることを主治医は意図的にしているのかもしれませんが・・ 心で生きる、というと・・・・なんでしょう。 気持ちに素直に従う、という風に解釈すれば良いのでしょうかね? 頭で・・というと、損得勘定で生きる、という風に考えてしまいます。 心で生きる、というと、情熱的な生き方、という風に見えます。 例えば、仕事をするとき、損得を優先するよりは、良いものを作りたい、と情熱にかられて仕事をするとか、いうことです。 教師になるなら、熱血教師かな?
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- kuroiso
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多分下記のホムペの様な事でしょうか? ちなみにバックナンバーも参考になるかもしれません。
- jinseiwalk
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抽象的でわかりにくいと言うべきでしょう。具体的にどうすればいいのか。医者であるなら示すべきですね。 お医者自体が頭で考える人かもしれませんね(笑) カウンセラーに相談してみてどうすればいいか具体的に聞いてみるのが一番でしょう。
- bukebuke
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薬が合ってないと思われますよ。 一つの薬平均3ヶ月試して効かなければかえるそうです。
- tumaritou1
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頭で生きるという事は、理屈で生きていると言う意味です。その意味は、計らいで生きている、或いは現実から逃避、或いは現実では無くて頭の中で作られた世界で生きている面があるという意味になると思います。 頭で生きるという意味の中には、感情に流されて生きているという意味が含ませています。湧き上がった不安の中で、どうする事も出来なくて、頭がマイナス思考のスパイラルに入って、抜け出せなくなるという意味です。この悪循環から抜け出す事を医師が薦めています。この思考方法が貴方の欝の原因となっています。 この思考方法とは、物事を二つにしてみている見方の事です。一つの出来事を良い事か?悪い事か?或いは好きだから受け入れる?嫌いだから心には受け付けたくない?と言う『分別心』の事です。分別心が頭の思考法という事になります。物事を論理的に考えるという思考方法です。 それに対して、もう一つの思考方法があります。湧き上がった感情を、好きとか嫌いとかを云わないで、只受け取って、受け流す思考方法の事です。子供の時の思考方法です。分別する思考方法を知らなかった子供の思考方法です。嫌な事を『只、嫌』好きな事は『只、好き』とする思考方法の事です。 今言ったことは判りにくいと思いますので、もう少し詳細に説明してみます。子供の嫌と好きという感情は『尾を引きません』頭で分別していません。対象物が無くなったら、その感情は消えてなくなっています。是が心で生きるという事になります。感情を頭で、或いは理屈で、或いは理論で武装していないという意味です。 この事に比べて、頭で湧き上がった感情を操作しようという試みが『心の健康を損なってしまう場合がある』という意味です。湧きあがった感情を『受け取りたくない』という分別が入っています。そうした場合に、ある出来事を思うだけで心に或る感情が湧きあがるかもしれないという現象の事です。現実には何も起こっていないにもかかわらず、感情が湧きあがってしまう現象の事です。 現実に不安というものに対する『対象物』が無いにもかかわらず、不安を抱いてしまう現象です。予期恐怖といっても妄想と言っても良いものです。この妄想が次から次へと湧き上がって、何も出来なくなっているのが心を病むという現象になっています。この思考法が悪循環を作っているという事になります。 従ってこの悪循環からの脱出方法が、『頭で生きるな』という事になります。具体的に云うならば『湧き上がった感情に振り回されるな』という事になります。湧き上がった感情を『心で』受け止めろという事になります。その違いを次に書いて見ます。 頭で生きる場合は、湧き上がった感情を論理的に打ち消しに入ります。『この感情は心地悪いから、排除しよう』という事を思考してしまうという事になります。 それに対して『心で生きる』という事は、湧き上がった感情は頭では操作できないという事を言っています。湧き上がった感情は『心』に任せておくという意味になります。感情は海の波と同じです。頭では操作出来ないという事です。 心随万境転 心は万境に随って転ず 転処実能幽 転処実に能(よ)く幽なり 随流認得性 流れに随って性(しょう)を認得すれば 無喜亦無憂 喜びもなくまた憂いもなし 是は禅語ですが、『心』の性質を良く顕しています。感情は流れていって、頭に止めておかないならば、流れ去ってなくなってしまう。という事を云っています。 この意味は、湧き上がった感情の波を『意識』していないで、只受け流しておく、という意味です。欝の症状である不安感や、その他の感情を『大事に』して頭にとって置く事は止めて、其のままにしておくという意味です。湧き上がったままにしておくという意味です。 この意味は『症状』を問題としない態度が大事という事になります。症状を問題としなくなった時が治った時だからです。問題としなくなった時には、『意識」 しなくなるからです。意識しなくなった時に完治した事が分かります。 症状とは頭で作り出したもの、言い方を替えたなら、何も無かった所に頭で作り出した妄想ということが分かります。頭で考える習慣から障害が近年増え続けているともいえます。