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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:三丁目 文夫 さんについて教えて下さい<m(__)m>)
三丁目文夫さんについての情報
このQ&Aのポイント
- 三丁目文夫さんは、昭和22年に「あの娘あの街」という曲を歌った歌手です。
- 彼は洋楽やジャズに向いた美声で知られており、その歌声は甘く深みがあります。
- また、彼の代表曲である「ペニイ・セレナーデ」も有名です。
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質問者が選んだベストアンサー
私は三丁目文夫さんの名前は知っていますが、歌声を聴いたこともないのであまりお役に立つような情報はありませんが、わかる範囲で… この方は主として戦前、戦中に活躍された歌手で、昭和14年頃にデビュー、当初はお察しのとおり「想い出の花束」とか「懐かしのキャロライナ」などという洋楽ポップスやブルースなどを歌っていたようです。 昭和16年に歌ったのがその「ペニー・セレネード」、これは同名のアメリカ映画(アイリーン・ダン、ケイリ-・グラント主演)のテーマとなった歌で、笠置シヅ子や小夜福子なども違う訳詞で当時歌っています。 (その小夜福子さんの歌ったPenny serenadeならYouTubeで聴くことが出来ます。また映画そのものも著作権が切れていますのでアメリカGoogleで検索すればまるまる2時間分が見られます) その後太平洋戦争勃発とともに戦時歌謡専門歌手のようになり、単独で、あるいは共演で多数の軍歌・戦時歌謡を歌っておりました。これらはいずれもあまり流行らないで、今に残っているのはないようですね。 戦後昭和22年になって歌ったのがお書きの「あの娘あの街」、これも余り流行ったという記憶はありません。その後は24年に「ぼくのルンバ」というレコードを出していますが、そのほかには見あたらないようです。 戦前はポリドール専属で、ポリドールではSP盤のラベルに歌手の写真を載せるのが通例でした。 ネットで出てくる三丁目さんのレコードではなかなかいかす顔のように見えますね。
お礼
ご回答有り難うございます。 >昭和14年頃にデビュー うーん、ここから2年位が、洒落た歌が歌えた、最後の時期ですね。やはり洋楽畑の方でしたか…。 「ペニー・セレネード」は昭和16年…"Penny Serenade"を検索すると、英語版Wikipediaで、 1941年の映画、と出てきたので驚いています。日米開戦の年に、よく検閲を通ったものです。 >戦時歌謡専門歌手 戦時歌謡が代表作の歌手、時代のせいでしょうが、確かに多くいましたね。もちろん 藤山先生や、伊藤久男さん、軍歌嫌いで有名な灰田勝彦さんまで、当時は皆、戦時歌謡 を歌わなければならなかったものですが、その中でも、戦時歌謡中心の方はいました。 「九段の母」「軍国子守唄」の塩まさるさん(94歳までステージに立たれていた方、80代後半でも SPで聴いたのより上手くなっておられました)、「涯なき泥濘」「音信はないか」の小野巡さん (ご健在なら100歳前後でしょう)、霧島昇さんと歌った「若鷲の歌」、戦後に近江俊郎さんが カヴァーしてヒットした「月夜船」の波平暁男さん(「月夜船」は良い歌ですが、オリジナルが 出たのが昭和19年10月、時期が悪すぎです。空襲空襲で、もはやレコードを蓄音機にかけられる 時期じゃないですから…)他にも、浪岡惣一郎さん、永田絃次郎さん、etc, etc...。 しかし、上に挙げた方々と、洋楽が合う三丁目さんとでは、個性が違いすぎますねぇ。 三丁目さんの、甘いあの歌い方には戦時歌謡は合いません。ご苦労されたでしょうね。 結局、戦争のために活躍する場を失った、多くの方々の中に入るんでしょうね。お書きの 通り、かなりのハンサムですから、時代が悪かったんですね。昭和1桁から12~3年頃なら、 もっともっとヒットを出せた方だと思います。