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鈴木みのる と 船木 の因縁について

今度、全日本プロレスで金網マッチがありますが、過去にどのうような因縁があるのでしょうか。よろしくご回答の程、お願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • tyanoha
  • ベストアンサー率21% (23/109)
回答No.1

こちらに詳しく載ってるので参考にして下さい。

参考URL:
http://blog.livedoor.jp/tkday/archives/51594561.html
karere
質問者

お礼

大変、参考となりました。ありがとうございます。

その他の回答 (1)

  • 2009ken
  • ベストアンサー率21% (769/3580)
回答No.2

事実とストーリーラインを織り交ぜて。 新日本プロレスでデビューした二人ですが、キャリアでは船木のほうが早かった。中嶋勝彦以前は、史上最年少デビューレスラーだった船木は、そのマスクもあいまって、スター候補生として育てられた。 第二次UWF全盛時、船木は前田の勧誘を受け、修行先のヨーロッパで移籍を決める。同時期、やはり新日からUに移籍した藤原に連れられる形で、まだデビューまもない鈴木も移籍。注目度では鈴木は、完全に後塵を配していた。 第二次Uの時は、特に鈴木が船木を意識していたが、船木はむしろ前高山ら上位陣を脅かす存在に。やがて前田とフロントの確執(フロントの使途不明金とされる事項の追求と、SWSの接近、提携話)に端を発した騒動で「解散」となると、藤原に追従する形で、船木と鈴木は藤原組に移籍。ここで初めて、鈴木は船木のライバルとならなければならないと、自他共に見られるようになるが、戦績ではまだ歯が立たなかった。だが、水と油と言われた対SWS(試合がまったくかみ合わずノーコンテストになった菅原戦)や、異種格闘技戦といわれたモーリ・スミス戦など、矢面に立つ鈴木に対し、船木は対U系プロレスに専念。好きなことだけやる、と、ここからライバルと言うか、確執の発端が始まる。 藤原組から船木と鈴木が独立して、パンクラスを起こす。同団体は、当時黒船と言われたグレーシー一族、バーリテュードゥ(後の総合格闘技)に対抗すべく、日本初のリアルファイトのプロレス団体を標榜したもの。鈴木と船木は2枚看板と言われるでになり、リアルファイトが共通の理想とされていた。道場制をしいたパンクラスの、船木は東京の、鈴木は横浜の代表を務める。試行錯誤しながら、競技体系は完成に近づいていったが、やがて2人は目標がずれてくる。船木は、総合ルールでヒクソン・グレーシーと対戦。敗れた直後に電撃的に引退を表明した。鈴木はなんの相談もなくそうした船木に不信感を持つ。以後、ほとんど交流が途絶えた(船木もパンクラスと距離を置くようになる)。 鈴木は、パンクラスのスタイルに違和感を持つようになり、パンクラスミッション(パンクラスのプロレス部門)所属と言う立場に転進し、以降リアルファイターではなくプロレスラーとして活躍するようになる。 一方の船木は、俳優などをこなすが、行き詰まり、総合挌闘家として復帰。だが戦績は振るわなかった。 鈴木はそのころ、有限実行キャラを確立し、トップレスラーと自他共に認められていた。そこに、船木が武藤に請われる形で復帰を決意。だが、鈴木は、かつて後ろ足で砂を掛けて好き勝手に辞めた奴が、いきなり復帰してメインイベンター面することに激怒、かつての感情と現在の感情、そしてキャラクターとしての毒舌が入り混じって、激しく攻撃するようになる。それにたまりかねた船木。最初は「復帰したばかりの新人」と」我慢していたが、度重なる挑発に、ついに堪忍袋の緒が切れた!ここはプロレス流儀に則り、デスマッチで決着を!と、言うことです。

karere
質問者

お礼

大変、参考となりました。ありがとうございます。