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信仰に関する質問はごく普通に行われているものなのでしょうか?
こんにちは。今回は教えて頂きたいことがありましたので質問させていただきました。よろしくお願いします。 心療内科や精神科で初診の際に、いくつか質問がある表に記入してから診察になると思うのですが、その際の質問の中に、宗教の信仰があるかないかの質問というのは、結構あったりするものなのでしょうか? そして、どんな必要性があってこういった質問があるのでしょうか? 私としては、宗教とかって個人の自由だと思いますので、なぜこのような質問があるのかな?と不思議に思いましたので質問させて頂きました。 もし、何か知っている方がいらっしゃいましたら教えて下さい。よろしくお願いします。
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- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
優れた精神科医として認められていた、V.E.フランクルという人が書いた本などを読むと書いてありますが、精神疾患は人間の内部(心の奥底)には、はっきりと意識はされないけれども「識られざる神」とも言うべきもう一人の自分の人格が存在していて、その人格からの情報を「病状」として受け取っているようです。 と言う事は精神疾患の症状(病状)はそれぞれの個人に備わった、自分のもう一つの「意識」からの情報という事になります。この者が神という事になります。キリスト教や仏教とは直接には、係わり合っていなくとも、自分自身の心の声を聞くという事は、宗教的な試みと言えると思います。 仏教の元を作ったお釈迦様は「一切皆苦」と言っています。悟りを開く事で「心が、常に静かになって、心が平和になる」という意味の「涅槃」に入るといっています。一切皆苦が精神疾患という事になるなら「心の苦しさは」一切皆苦と言う事が理解できます。心が矛盾や対立をしなくなった、と言う事は「心の中で言い争いが無くなった」という事で理解できます。 自分が自身のもう一つの心に出会う、という事が「悟り」という事になれば、もう心は対立をしなくなるはずです。対立と矛盾を繰り返していた者と会って和解が成立した事になるからです。キリスト教には神に会って和解する」と言う言葉が出てきます。 精神疾患と「神」は、多分繋がりが在るはずです。神の御心のままにと言う事が宗教の根本をなしています。仏教においても「自分を忘れる事が」仏道を習う事、或いは「弥陀に救われる」と言う言い方をします。どちらにしても、自分自身の内部にある、あるものに救われる事に変わりはありません。 ただ自分を捨てたり、忘れた時に「救われる」と言う事になります。その時に「自分のもう一つの心が」表れてくれるという意味になると思います。人間の心の半分は「宗教」で出来ていると言う証と思います。 心療内科や精神科でもこの事に気が付き始めたのかもしれません。
- toshichan-
- ベストアンサー率43% (145/337)
3件の精神病院に入院歴あり、現在心療内科に通う、うつ病患者です。 信仰や宗教の欄は必ずあります。 それは医師にとって他の質問と同様に それが患者の生き方や考え方などに どんな影響を与えているか知るためにあります。 戒律でがんじがらめにされてストレスを抱えていないかとか あまりに寛容すぎて、自分の考えとは合わないために 逆の意味でストレスを抱えていないかとか。 なので、患者の人生観や生き方を知るそのほかの質問と 何ら変わりはありません。お酒は飲むか、タバコは? などと。 蛇足 前に入院していた時に、人生の意味について考えすぎて、 哲学書や宗教書読み漁って混乱し うつ病になり入院した方がいました。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですか、その人の考え方にどんな影響が出てきているのかを知る手掛かりの一つのような感じなのですね。 まあ、なにごとも程々にということなのでしょうかね。宗教でも、あまり深く考え過ぎないほうが良いということですね。 ありがとうございました。
- jinseiwalk
- ベストアンサー率23% (372/1603)
宗教まで聞くのは機微にいった診察をする良い医者ですね。 反対に宗教まで考えない医者はヌケテルといった方がいいかもしれません。 良い医者かどうかの一つの判断基準になると思います。 ・・あくまでも一つの判断基準ですので、100%良い医者とは限りませんから念のため。
お礼
回答ありがとうございます。 私は、個人的には宗教とかってかなりプライベートで、簡単には話しにくいことだと思っていますので、正直どちらかと言えば、こういった質問はないほうがいいかなと思いました。自ら話がしたくてしたのなら別ですが、何と答えていけばいいのかが結構難しいような気がしますので。偏見を持たれてしまうのではないかと、不安になってしまいます。 ここまでプライベートなことも聞かれたりするなんて意外性がありましたので、気になって質問させていただきました。 ありがとうございます。
- JP002086
- ベストアンサー率34% (1535/4403)
精神科の初診の際に書かれる問診票には、必ず有りますね。 多分、私が思うに“疑わしき所は、全て疑う”みたいな感じだと思います。 確かに、宗教の自由はありますが洗脳されている可能性も疑うのだと思っています。 それと同じ様に、自分の親兄弟についても同様に書いて、診察時には必ず“同じ病気になった親兄弟は居ないか?”も聞かれます。 なので、医師が治療に専念できる条件をクリアにするため、書かされていると思った方が良いですよ。 書かれた内容については、患者の機微情報にあたりますので厳重な情報の取り扱いをされます。 ご参考にどうぞ
お礼
回答ありがとうございます。 それは意外でした。私はいくつかの病院で診て頂いたのですが、そのような質問はないところの方が多かったので気になったんです。それに、かなりプライベートというか、人によっては正直に答えにくい質問でもあるのではないかと思いますので、正直に答える必要性があるのかな?とも感じました。 それでは、あるところにはあると言った感じなのですね、ありがとうございました。
お礼
お返事が遅くなってすみません。回答ありがとうございます。 私は全然詳しくありませんでしたし、知識もありませんでしたので、そのような意味合いがあるということも全然知りませんでしたので、何故なんだろう?と思ったのです。 結構、一言で言えば奥が深いということなのかもしれませんね。 色々分からなかったことが分かったりして、参考になりました。ありがとうございます。